[648] 相倚りたすける(四月の光明道中記) |
- 伝統 - 2015年05月03日 (日) 03時25分
【燦爛輝く桜花】〜四月「相倚りたすける」はじめの言葉
観る世界は観られる世界である。 能観(のうかん<あるもの>)の中に所観(しょかん<みられる>)の世界があり、 所観の世界の中に観る人の心がある。
観る者と観られるものとは本来一体であるのである。 これを吾々は心の影と言っている。
日本に美しい桜の花が多いのも、日本人の心が桜の花のように美しく潔いからであり、 執拗でなく淡白であるからである。
本居宣長の『敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花』 と云う歌は日本精神を詠んだものとしてその内容に就て色々と解釈せられているが、
『朝日に映(は)えている爛漫たる相(すがた)』が日本精神だとか、 散りぎわの潔い相(すがた)が日本精神だとか、互に言い争って、 その解釈の優劣を決定する必要はないのである。
観る世界が観られる世界であると云う真理が本当に解るならば、 日本の国の相、日本の樹木の相、日本の風光の相、すべて、日本人の心を 現していないものはひとつもないのである。
風土が人間を感化するとも言えるが、桜も生命であり、心の表現であり、 人間も生命であり、心の表現であるから、
日本人が桜を感化し、桜が日本人を感化し、日本人の中に桜があり、 桜の中に日本人があるのである。
差し昇る朝日に映える桜花を鑑賞する日本人の心には、 差し昇る朝日に映える桜花の心があるのである。
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