生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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聖経『甘露の法雨』の奇蹟 A (223)
日時:2013年02月27日 (水) 12時48分
名前:ハスの華



合掌、ありがとうございます。

< 小は個人の病を癒し、大は国家の病を癒す > といわれて数えきれないほどの奇蹟が生じた天来の聖経『甘露の法雨』も、今や三代目の雅宣総裁は捨て去り、自分の頭で考え出した人間罪の子意識による「大自然讃歌」・「観世音菩薩讃歌」に置き換えようとことを進めております。果たして雅宣総裁の新・聖経?は『甘露の法雨』を凌ぐ奇蹟を生じさせるでしょうか? この際、これまで生じてきた『甘露の法雨』の奇蹟の数々を復習する事は大変意義のあるところであり、ニュー信徒さんにも認識を新たにして頂きたいと思います。

なお、『甘露の法雨』がどうしても手に入らない方々は、(株)光明思想社 TEL: 03−5829−6581 へ申し込めば手に入ります。また、末端の誌友会では、まだまだ『甘露の法雨』による地方講師の指導が依然として自信を持って行われておりますので、奇跡的な結果も指導を受けた信徒さんの身の上には起っていることも沢山あります。其の際には、間違っても「大自然讃歌」・「観世音菩薩讃歌」による奇蹟だとすりかえられないようにご注意願います。



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聖経『甘露の法雨』の奇蹟A


火にも焼けず水にも溺れず 

『生長の家』四十年史(p.41-42)


<<空襲で下関市が火の海になったとき藤林千代子さんの携帯した『甘露の法雨』が、そのサックも表紙も全然焦げていないのに、中味の聖経の本文のある部分がチョコレート色に焦げていて自分たちが微傷だに負わなかったのは聖経の本文が身代わりに焼けて下さったのだと思うという体験談は先に録したが、それとは逆に“生命の実相”の真理は火にも焼けず水にも溺れないという事を立証するような奇蹟もあらわれているのである。


 大東亜戦争の南方作戦の時、随分日本の輸送船団が待ち伏せしている敵の潜水艦から魚雷攻撃を受けて撃沈されたものであった。

奈良の大田秀夫さんもその一人であって、千名余を載せた重量噸の鉄船に魚雷が命中して大いなる穴が開いて、突然滔々と海水が船内に浸入する時には、船が重いだけに沈下の速度も早く、急激に海水を押しのけて沈んでいくので、そこに台風の目のような渦の中心が出来て海水の渦巻きを生じながら下降する。

大田秀夫さん・・・もう窒息死するか水を呼吸器に吸い込んで水没するほか仕方がないと言う時に、突然船の破片と思われる大きな木材が下方から上方へ急激な速力で浮かび上がってきた。その木材は運よく太田さんの胸の前方一寸ばかりのところを走ったので、その瞬間大田さんはその木材をグイと抱いた。・・・

精魂を尽くして、それをシッカリ握っていなければ振り落とされるので間断なき筋肉労働の連続である。渇きと、空腹と、疲労とで、力を尽くして木材の破片を握りしめているのだけれども、肉体は困憊の末、眠りを催して来る。こうして三十人ばかり水面に浮かんでいた人たちも、一人減り二人減りして姿が消えてしまった。

そして最後に大田秀夫さんひとり大海に当ても無く漂うのである。しかし太田さんにも最後の時が来た。肉体の耐える力には限度がある。太田さんも睡魔に襲われてフラリと身体が倒れそうになり、握っている手を放ちそうになった。その時、白髪の老翁の姿をした神霊が、それは祖先霊か、守護霊か、生長の家の神様かハッキリしないが、顕れて「眠ったらいかん」と大声で叫ぶと共に、太田さんの頬っぺたを平手打ちで殴りつけた。

太田さんは目が醒めた。もう一寸の所で眠ってしまって、木材から振り落とされて水没せんとする瞬間であった。そしてこの輸送船に乗っていた全員のうち救かったのは大田秀夫さんだけであった。氏は無論『甘露の法雨』を携帯していた。“生命の実相を悟るものは火にも焼けず、水にも溺れず”という諺の“水に溺れず”を実証した訳であった。>>






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