生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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開祖・谷口雅春先生の直接指導録 <その5> =信念の力= (248)
日時:2013年03月01日 (金) 00時58分
名前:信徒連合




開祖・谷口雅春先生の直接指導録 <その5>


=信念の力=


『生命の實相』第15巻・人生問答篇(P.83〜88)




大村:

病人が子供で、お経をあげても、『生命の實相』を読んでも意味が解らなくっても効くんでしょうか。



谷口:

それは効きます。一つは念の感応で効きます。こちらが解って読めばその悟りの念が感応するのです。それから人間の意識は幾層にもなっていて「表面の心」は教育されたことだけしか知りませんが、奥底の心は幾度も生まれ代わってきている霊魂の意識ですから、現世で教育されないことでも知っています。



野田:

奥底の心は「守護神」のこころのことだと思いますが。



谷口:

奥底のこころの中には守護神の心もあり、自分の霊魂の潜在意識もあります。



高橋:

表面の心には理解できなくとも奥底の心が理解するということになれば、『般若心経』の棒読みでも効果がありましょうね。



谷口:

無論効果があるはずですが、読み手が理解して読むといっそう効果があります。



高橋:

お経の意味が解って効果があるという説でありますが、ちょうどそれと反対の事があります。ある所に御加持をして非常に上手に病気を治す婆さんがあったが、その御加持に唱える真言が「油虫そこ退け」というのだったから、ある人がそれは「阿尾羅吽欠姿婆詞」(あびらうんけんそわか)のまちがいだと教えてやった。それ以来婆さんは正しく教えてもらった真言どおりを唱えて加持するようになったが、かえって病気をなおす霊力が無くなったという話があります。



谷口:

「阿尾羅吽欠姿婆詞」(あびらうんけんそわか)を「油桶底ぬけ」(あぶらおけそこぬけ)と言って病気を治したという話もきいています。



篠原:

「尻々、マカ尻、尻々、ソワカ」と言って病気を治した人もあります。これは「修利修利、摩詞修利、修利修利姿婆詞」(しゅりしゅりまかしゅり、しゅりしゅりそわか)のまちがいであります。



谷口:

御経を理解して読んだら相手に感応して病気が治るというのは読む人の真理の念波が感応するのです。今まで御加持に使っていた真言がまちがいだったと解った時にその婆さんの御加持が効かなくなったのは、お婆さんの信念が動揺を来して強い信念の念波を相手に与え得ないからです。

要するにこの世界は念波の世界です。治るという信念があれば御経がまちがっていても治るのは、鰯の頭でも信ずれば御利益があるのと同じですが、信念がなければ、治らないのは阿弥陀様の前に坐っていても信念のない人はすくわれないのと同じでありましょう。

本来お経をあげて病気が治るというのはお経そのものの意味を病人の潜在意識が理解し得て治る場合とお経をあげたりお題目を称えたりする人の悟りの念波が感応する場合と、たんに「これで治る」という信念の強さが波及して効く場合とがありまして、信念さえあれば、キリストも言っているように芥種(からしだね)のごとき信念だにあればこの山にかしこに移れと言っても、それが実現するのです。だから信念さえあればどんな呪文を唱えてもよいし、また唱えないでもよいのであります。

それからまた、お経の治病的要素としては、このお経はありがたいということを人類の何割かが知っている。それは意識の表面には現われていないけれども、そういう信念の波は宇宙に満ちている。その信念の波にちょうど感合するようにその経をあげると人類の何割かの信念の波がそこに具象化して病気が治ることになるのであります。

もう一つは、佛教の経典にはそれを護持している仏霊がある。神道の経典にはそれを護持している神霊がある。その仏霊なり神霊なりが感応して来て病気を治す場合もあります。



高橋:

そうすると何も生長の家の聖経『甘露の法雨』でなくとも『般若心経』を一心にあげてもよいわけでありましょう。



野田:

「般若心経」を棒読みにするのでは専門の坊さんのほかは意味がわからないでしょう。聖経『甘露の法雨』は同じ真理を極解りやすく書いてあります。



高橋:

「表面の心」は『般若心経』の意味は解らなくとも、われわれの「奥底の心」は意味が解るとおっしゃるのではありませんか。



谷口:

われわれの「奥底の心」は「表面の心」の知らないことも知っています。しかしそれは全能の神性のことではありません。全能の神性なら、何も真理を読んで聞かしてもらわなくとも、真理そのものだから真理を知っているのです。

われわれがここで奥底の心というのは野田さんのおっしゃるように守護神というのもある。また本人自身の霊魂の潜在意識もある。それは一個の幾度もこの世に生まれ代わって出て来たことのある霊魂であって、肉体の知らないことも知っていますけれども、全然真理を知り尽くしたものでもありません。

やはり解り難い言葉よりも解りやすい言葉で聞かしてもらう方が解りよいのです。それに読んで聞かしてもらう病人が大人である場合は、肉体の意識の方も意味が解って真理を悟る方がよい。ことに重要なのは読む人の心が、読んでいる間じゅう真理を悟らしめられ、高められて、その高められた平和な確信に満ちた精神波動を病人に送ることになることです。

御経を棒読みにするのでは、専門の坊さまは別として読む人だって意味がわからないから、こんな事が効くのだろうかと思って頼りないし、読む人自身が真理がさとれず平和な確信に満ちた精神波動を病人に送ることができないでありましょう。こうして古い御経では現代人には信念が高まりにくい。神は救うてやりとうても信念が高まらねば救いようがない。

そこで神の救いの摂理として「生長の家」が現代に適するように出現したのであります。「生長の家」の聖典『生命の實相』を読んで病気が治るという事実は古今を通じ各宗を通じた真理が新しい迫力をもって現代人の心を打つような形をもって出現したからだと思います。したがって各宗の諸神諸霊が聖典『生命の實相』を護持していられるというような事実もあります。



大村:

ある霊学者の説によると病気のほとんど全部は、悪霊の災いで、黴菌や災難もみな悪霊が武器として使うものだと言うじゃありませんか。



谷口:

それはなるほど、一面の真理であります。医者は悪霊が武器として使った黴菌を征服する方法を考えています。心霊療法家は、その悪霊と正面から戦って退治する方法を考えています。「生長の家」ではその悪霊と共鳴するような悪精神波動を起こさないようにして、悪霊がいても害をすることができないようにするものです。

悪霊は魚みたいなものです。その波を干上がらしてしまえば悪霊が禍いをしようと思っても水のない魚のように禍ができなくなるのです。そうさせるのが生長の家の「神想観」であり、聖典の一章の毎日読誦であります。






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