生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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マサノブ君の「生長の家」解体実行の証明語録 <第三弾> (2937)
日時:2014年01月12日 (日) 10時18分
名前:怒りの信徒代表




マサノブ君の「生長の家」解体実行の証明語録 <第三弾>




(21) マサノブ君は、「大乗仏教完成の教え」を退行せしめたのだ!

<< 私たちは「他からできるだけ奪わない」生き方をしたいと思う。が、都会生活は・・・欲望が渦巻き「奪わない生活」はむずかしい。そういう都会がいいのか、それとも不便ではあるが、自然との接点が多い“森の中”がいいのかと考えたとき、私たちは後者を選んだのである。抽象的な“魂の向上”ではなく、具体的な生き方による“魂の向上”を選んだ>>(平成22年4月15日『小閑雑感』)



(22) マサノブ君は、独裁者の錯覚「自分は絶対権力者で例外」に陥っている!――『御教え』の率先垂範者ではない。即ち、「言行不一致」だ!

<< 自分の信仰とは異なる人々が“聖典”として崇める本を、大量に集めて燃やすという考え方の狭量さと野蛮さには呆れるほかはないが、この出来事にも、宗教における原理主義がどんなに平和と縁遠いかが示されていると思う。この出来事はまた、政治的な“右派”が、アメリカにおいても、そういう狭量さと近いところにあることを教えている。>>(平成22年9月10日「小閑雑感」)
( ⇒ 聖典絶版は“焚書”で葉ないのか!)


<< 今日は福島市のパルセいいざかで生長の家講習会が行われ・・・前回、駐車場スペースが不足したために来場者が会場前まで来たのに帰ってしまうという残念な事態を改善した。今回は、駐車のためにより広いスペースを確保しただけでなく、実行委員の駐車は会場から遠い所に定め、会場と駐車場間をワゴン車などで連絡する対策を講じたという。(平成22年9月5日「小閑雑感」)
( ⇒ 講習会の日だけは、炭素ゼロ・解禁か? )


<< 何回も同じ間違いを繰り返していながら、その原因を突き止めて取り除く努力をせず、「問題が起こったら、その時対処すればいい」というような生ぬるい現状肯定の態度が、今の社会には蔓延していないかという疑問。私は、少なくとも生長の家の運動は、そうあってはならないと思う。(平成22年8月24日「小閑雑感」>>
( ⇒ 急激な教勢低下の原因究明は? )


<< 生長の家では盂蘭盆供養の際、先祖をはじめ親族縁族で亡くなられた方々の諸霊を祀るために、霊牌を書いて供養します。ある信徒の人が雅宣先生に「私達信徒は、雅春先生や輝子先生に霊牌は書かないことになっていますが」という質問をしたところ、「私も雅春先生や輝子先生の霊牌を書かないことにしている。」と返答されている。私たち信徒と両先生の孫にあたる雅宣先生とは明らかに立場が違います。普通、おじいちゃん、おばあちゃんを供養したいと願うならば、霊牌を書くのが、生長の家の教えを信ずる者の行動です。生長の家は先祖供養を大切にするところじゃなかったのかと腹わたが煮えくりかえる思いで一杯になりました。>>(平成22年7月18日 生長の家関連の掲示板より) 
( ⇒ これは驚いた! 総裁みずからが祖父母の霊牌を書かぬとは?!! )


<< 「大調和の神示」には「われかつて神の祭壇の前に供え物を献ぐるとき、先ず汝の兄弟と和せよと教えたのはこの意味である」とも書いてあります。・・・神の創造されたすべてのものと和解することが、神に通じる道であるとの教えが説かれているのです。>>(平成22年3月21日・布教功労物故者春季慰霊祭)
( ⇒ これは驚いた! 総裁みずからご兄弟との和解を実行しないとは! )


<< 私たちは両親を通じてご先祖と、さらには神との連絡なくしては存在しえないことが分かります。親やご先祖は、私たちの人生の「共同構築者」だといっても言い過ぎではないでしょう。あるいは、私たちの人生を建築物に喩えるならば、その“基礎工事”は親やご先祖によってなされているのです。私たちはその上に、自由に自分の人生を築き上げることができるけれども、基礎を無視することはできない。>>(平成22年9月23日「小閑雑感」)
( ⇒ これは驚いた! 総裁みずから生長の家の「基礎工事者(創始者)」や「共同構築者」を無視しているのに!! )



(23) マサノブ君は、日本は悪、近隣諸国は善なりとの固定観念を持つ反日的日本人である。

<< 国益を考えて何かを言ったり、何かをしたりすることと、実際に国益に合致することとは異なるのである。国益を考えて立てた戦略でも、それが実行に移される地域の政治環境や民衆の感情などを十分に考慮していなければ、国益を大きく損なうこともあるのである。これは、「目的が正しくとも手段が間違っていれば、行為の正当性は失われる」という言説にも通じる。日本にも「国益」を声高に叫ぶ人は多くいるが、この点をどれだけ考慮しているのか疑問に思うことがある。>>(平成22年9月2日小閑雑感)



(24) マサノブ君は、信徒の思考方法を「当事者意識」から「評論家意識」に誘導する。すなわち、「日本精神」を捨てさせ「左翼的反日の日本人」へと誘導する。

<< 今回は船長の逮捕を決めた日本政府が、中国側の反応を十分予測できなかったという点は「失敗」と言わねばならない。 クリントン国務長官は日米安保条約第5条にもとづく米国による日本の防衛義務は、尖閣諸島に対して「明らかに適用される」と述べ、ゲーツ国防長官もこれに関して「我々は同盟の責任を遂行する」と述べた。前原誠司氏は、米側に大きな借りを作った。 “第1ラウンド”では中国勝利だったが、“第2ラウンド”以降はどうなるか。>>(平成22年9月27日「小閑雑感」)

<< 日本には日中戦争での侵略行為を反省し、罪の意識を感じている人が多いと同時に、歴代の日本の首相が何回謝罪しても沈静化しない中国側の不信感に嫌気が差している人も多い。“真相究明”とか“白黒の決着をつける”ことを急がずに、両国は“対立点”ではなく“合意点”を強調し、それを拡大していく方向に進むべきである。>>(平成23年9月26日「小閑雑感」)







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