生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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“推論”を重ねて、最後に勝手に<断定>してしまう、マサノブ氏 (276) |
- 日時:2013年03月02日 (土) 16時48分
名前:サーチャー
<生長の家“本流宣言”掲示板> ======================================== マサノブ暴走列車、第3号 (10249) 日時:2012年06月13日 (水) 13時12分 名前:鳶の子
「唐松模様」 2012年6月12日 (火) 聖経について (3) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー この中で「本部の発行じゃなかったのであります」という部分は、見方によっては雅春先生が「自分の意志じゃなかった」という意味で書かれたと解釈できる。またさらに拡大解釈すると「自分は東京の本部にいて知らなかった」という意味にも取ろうと思えば取れる。しかし、当時の状況を詳しく知り、教団の中での先生の位置や信徒の尊崇の念を考慮に入れれば、先生の著作物であり、かつ教団の運動中で重要な役割を果たしつつあった「甘露の法雨」の詩編を当時、先生に断りなく誰かが発行する可能性などゼロに等しいと言える。それよりもむしろ、この御文章中にある「最初は京都の教化部で」の意味は、「聖経」という呼称のことではなく、「経本型」での発行のことを指している、と私は考える。つまり、「聖経」と呼ぶことは先生御自身のアイディアであったが、「折本型の経本」という体裁で発行したのは京都が初めてだという意味なのである。 (谷口雅宣) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
・またまた、京都にて“聖経”が発行された経緯をのべています。
・『この御文章中にある「最初は京都の教化部で」の意味は、「聖経」という呼称のことではなく、「経本型」での発行のことを指している、と私は考える。つまり、「聖経」と呼ぶことは先生御自身のアイディアであったが、「折本型の経本」という体裁で発行したのは京都が初めてだという意味なのである。』・・と断定しています。
・マサノブ教祖は、『「聖経」と呼ぶことは先生御自身のアイディアであった』ということ、そして『「折本型の経本」という体裁で発行したのは京都が初めてだという意味』ということを強調しているのであります。
・だから、何を言いたいのだろうか? これがまだまだ不明であります!! ========================================
仝上の『「唐松模様」2012年6月12日 (火) 聖経について (3)』・・・について、推論を重ねておいて、最後に<断言>するのはオカシイと、“ROMの人”氏が下記のように述べています。
======================================== といいますか、 (10266) 日時:2012年06月14日 (木) 10時12分 名前:ROMの人
「唐松模様」 2012年6月12日 (火) 聖経について (3)
@・・・という意味で書かれたと解釈できる。またさらに拡大解釈すると・・・ A・・・可能性などゼロに等しいと言える。 B・・・指している、と”私は考える。” C・・・京都が初めてだという意味なのである。
@ABは、全部推測でものを書いています。それなのにいきなりCで「意味なのである」 と断言になっています。 論文などを書く時、推論だけ述べて最後が断言となるとそのようになる根拠を問われるの ですが、なっていないですね。
それに谷口雅春先生その人でないのにどうして「こうだ」と断言が出来るのかわかりません。 それはご本人もどこかで言っておられたはずです。 ========================================
<留意点> マサノブ氏の文章は、回りくどい、読みづらい、そして長いのですが、それを読む際には注意が必要です。
他人には、「それは推定文だ」「勝手に断定している」なんて指摘するくせに、ご自分の文章では平気で それをやってのける のです。
誰もが“その点を指摘しなければ”、そのまま押し切って <断定> してしまうのです。
こんな<ゴマカシ>をする為には、皆さんがまともに読まないような文章が 便利 なのです。
注意! 注意!! 注意!!!
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マサノブ氏の<常用の手法> (319) |
- 日時:2013年03月05日 (火) 02時03分
名前:サーチャー
<生長の家“本流宣言”掲示板> ======================================== その断定がクセ者です (10278) 日時:2012年06月14日 (木) 22時17分 名前:ソウダネ
ROMの人さんの言っておられること、本当にそうですね。
雅宣さんは、その断定したところが「ご自分の利用したいところ」だと思います。 ========================================
マサノブ氏の <常用手法> なのですね、これが・・・
“推論”を次々と述べていき、あるところで突然にそれを “断定” するのです。
くどくどと“推論”を続けるから、読者にはそれで マヒ される。 そこに “断定” がやってくるのです。
普通の人達はマヒしているから、本当は注意すべきところを スルー していまうのであります。
マサノブ氏が 強引 に押し切って行く為の <常用手法> なのであります。
注意! 注意!! 注意!!!
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