生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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生長の家「今昔物語」・ 理性篇の再掲示 <第十三話> (286) |
- 日時:2013年03月03日 (日) 09時38分
名前:信徒連合
生長の家「今昔物語」第六篇 理性篇
第十三話(通算第339話) 光明思想家とマルキストとの対話(12)
歴史的存在としての日本<その二>
(『解放への二つの道』P.152−155)
客:
しかしその精神と云うやつが、物質の化学作用の結果、放射能のように出て来る。そして、・・・・
主:
それでは、その君の物質というものは、ただの「物質」と云う概念に当てはまるものではない。「精神」というものがその内部に既にあるから、ある機会にその「精神」の働きと云うものが出て来たと云うことになるでしょう。
客:
そう言えば、結局そう云うことになりますけれども。
主:
物質は自主性のないところのひくい程度のものであり、精神は物質のように機械的な働きをしないで、もっと複雑な自主的な高級な働きをする、従って「低い」ものから「高い」ものが生まれる筈がない。併し高いものは低いものを造り出すことが出来る・・・
客:
待って下さい。この世界には「進化」と云う事実があります。すべてのものは「低い」ものから「高い」ものへと進化いたします。
主:
そうです。形あるものは簡単なものから複雑なものへと発展いたします。しかし家を建てるにしても、簡単な骨組みから複雑な内部構造へと作るのでありますが、物質が勝手に自動して自主的にそう並ぶことはできない。
簡単な物から複雑なものに進化するその働きをしているのは、建築家の心の働きである、「心」が「物質」に先立ち、「心」が「物質」の構造を左右するのです。
マルクスの『資本論』第三篇第五章第一節にも、「最も拙劣な建築士でも、もっとも優秀な蜜蜂よりも最初から優越している所以は、建築士は穴を蝋(ろう)で建築する以前にすでにそれを彼の頭の中で建築しているということである。労働過程の終わりには、その初めに当ってすでに労働者の表象のうちに、かくして、すでに観念的に存在していた一つの成果が出て来る」といっているのです。これで見るとマルクスは唯物論ではなく、唯心論または観念論と云うことにもなるでしょう。
客:
人間がこしらえた建築については「心」の中にまず形がつくられるというところまでは、たといマルクスの言ったところが唯心論または観念論でありましても、マルクスは、人間の心が出来るまでに天地があったと言っているのです。
生長の家のように、人間がつくったものでないものまで、これを同じ性格をもつと考え、すべて形あるものは“心”が先でつくられていると世界全体に唯心論をおしひろげるのは間違いだと思います。
人間のつくったものは先ず心の中でつくられても、人間以前の世界全体は「物」が先にあったとマルクスは考えるのです。それが発展的に色々のものが生じて来た――これが弁証法的唯物論の世界観なのです。
「心」は人間の頭脳のはたらきであって、人間以外には存在しません。まだ人間が地上にあらわれてこなかった時代にも、宇宙は存在していましたし、それらが形をもっていたことも疑いありません。すべて形あるものは、「心」が先で出来上がっているとすると、人間以外に「心」があり、全宇宙はこの「心」の産物だということになってしまいます。
主:
そうです。全宇宙は、此の普遍的「心」の産物であり、その普遍的な心(叡智)を神と呼ぶのです。この宇宙の大なる系統がその微細なる原子構造に至るまで秩序整然と数学的秩序によって化合したり分解したり運動したりすること、そして数学的秩序と云うものは知性の輝きでありますから、この宇宙全体は神と云う叡智者によってつくられているほかはないのです。
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