生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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生長の家「今昔物語」・霊界篇の再掲示 <第九話> (310) |
- 日時:2013年03月04日 (月) 14時56分
名前:信徒連合
生長の家「今昔物語」第五篇 霊界篇
第九話(通算第251話) 肉体の“死”の定義について(その一)
臨終に何が起こるか
(『到彼岸の神示“神示講義・自覚の巻”』P.216−220)
<<さて、我々が死にますと、死ぬといっても「肉体」のことでありますが、霊魂は生きていて、断末魔になると、普通、霊魂は肉体の後頭部の下の辺から、紙巻煙草(たばこ)の煙のように、少し銀色に近いような白い煙となって――煙じゃないけれども霊眼で視れば、そう見えるのです――徐々に抜けていくのであります。
霊魂が上部へ抜けるに随(したが)って、下部の足の辺には霊魂が空っぽになる。ここに言う、「霊魂」というのは幽体、エーテル体、霊体、本体などが一つになったものです。
霊魂が抜けていくに従って、そのカラのところの脚が冷えてくるのであります。吾々が体温を維持しているのはそこに霊魂が宿っているからであります。霊魂がなくなると体温はなくなります。死体は冷たいのはそのためであります。
もう臨終に近い人には、脚が冷えて仕方がない場合が随分あるのはそのためです。夏の土用の真最中にでも足が冷えて冷えて仕方がない、炬燵(こたつ)ででも温めてほしいなんていうような例があります。これは、霊は陽であり、肉体は陰でありますから、肉体だけでは冷たく感じるのであります。
肉体に霊が宿って、陰陽相合して体温と言うものが、保たれているのであります。だんだん霊が抜けていくにしたがって、足先や手先が冷え胸の辺までも霊が抜けたとき、肉体の意識は朦朧(もうろう)とするか、人事不正に陥ってしまって、やがて、霊魂と肉体とは完全に分離するのであります。
以上は普通、病床にあって霊魂が肉体から別れを告げる時のことでありますが、何か一大ショックが起こって、急激に魂が抜け出すと云う時には、その時には、当たり前に、後頭部の辺りから霊魂がぼつぼつと抜け出して行くのには間に合わないことになりますので口から急遽飛び出す事があるのです。
そういう事は霊界通信によって知るのであります。私の霊魂が口から飛び出した訳ではありませんから、こういうことは、霊媒を使って、霊界の人に問答して知るより他に仕方が無いのです。
霊魂というのは、エーテル体、幽体、霊体、本体の複合体ですが、エーテル体は、幽体から爆発的に起こる感情の発作を適当に加減して肉体面に現すための調節作用をすると共に肉体に感覚及び知覚を与える働きをする体でありますから、肉体と分離して肉体に想念感情を与え知覚、感覚を惹き起こす必要がなくなると、エーテル体は分解して散ってしまうのであります。
残るのは幽体と霊体とその奥にある本体でありますが、幽体には、悲しい、口惜しい、腹が立つとかいう感情の「座」としていろいろな記憶がテープレコーダーのテープ録音のように印象されて存続しますそれが残続する「業」として霊魂が霊界へ持って行く所のものであります。
霊魂が肉体を脱出する際、高級霊は眼が覚めたまま、スウーッと出て行って、霊魂自身が自分の肉体を上から見下ろして、「ああ、自分の皮袋はあんな格好でひっくり返っているなあ。あの僕の外套もう少し上手に畳んでおけばよかったのに」などと思うこともあるのですけれども、それほど高級でない霊魂は意識を失って人事不省の状態で肉体を脱出します。
高級というのは、何度も生まれ更って魂が磨かれている成熟せる霊魂のことであります。肉体人間でも成熟して老齢に入っているものは、あんまり睡眠しなくてもいいのであります。幼いものほどよけい眠る訳です。赤ん坊などは、魂が幼くて成熟しておらんから、長時間眠る。段々大人になるに従って睡眠は少なくて済むようになるのであります。
霊魂もやっぱり同じ事であります。意識が完全に目覚めたままで、死体を抜け出るのは、高級の霊魂だけれども、まだ幼い霊魂は、(註・幼いというのは、その肉体は大人になっておっても、魂がまだ何度も生まれ変っておらぬ、産まれ更わりの回数の少ないのを幼いというのです)そういう霊魂は断末魔の苦しみで人事不省におちいったまま霊界へ行くのです。
霊界へ往って先輩の諸霊にいろいろと世話して貰って意識を回復して目をひらくと、潜水服を脱いだ潜水夫がやはり、水中と同じように目が見えると同じように周囲が見えるのです。そして、死の直前の病気の時のその記憶が出て来るのです。
その霊魂は肉体を抜け出た時は人事不省になっていて知らないのですから、自分が肉体を抜け出たと云う事を知らないのです。「死んだら何も判らなくなる」と思っておった人の霊魂が、ハッと霊界で眼が覚めて、そして何でも見えたり、記憶が蘇生ったりしますと、その霊魂は、「自分は肉体のままで生きとった」と思うのです。それが多いのであります。
霊媒に霊魂を喚(よ)び出して研究してみますと、亡霊の八十%位は自分の魂が肉体を脱して、肉体は焼き場で灰にされていながら、肉体のままで生きていると思っているのが多いのであります。>>
<注・コメント>
<<「霊魂」というのは幽体、エーテル体、霊体、本体などが一つになったものです。・・・エーテル体は分解して散ってしまうのであります。残るのは幽体と霊体とその奥にある本体であります。>>
私達は、「霊魂」とか「魂」という言葉を使っていますが、“霊魂とは?”・“魂とは?”と聞かれますと普通は明確には説明出来ないのであります。開祖・谷口雅春先生のこの様な心霊学的方面からの説明は他にはお目にかかれません。
しかし、この「霊魂・魂」の明確な<定義>が判らなければ、「人間の生まれ替り」・「心主物従」・「霊主肉従」という言葉の正確な意味を理解出来ないのであります。
かくのごとく、生長の家の教えは極めて科学的な内容の教えであることが分かるのであります。この様なことを幼い時から教えておくことが、長い目で見れば生活が唯物論一辺倒にならず、物心両面に於いてバランスが採れた人間の育成となり、ニート・ホームレス・モンスターペアレンツ・モンスターペイシェンツ・パラサイトシングル・自殺・人工妊娠中絶の増加に対する極めて重要な根本対策となるのであります。現代教育の最大欠陥は霊的方面の教育が完全無視されていることであります。
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