生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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反・『御教え』・・・雅宣総裁語録と講評 <第四十七話> (755)
日時:2013年04月09日 (火) 08時32分
名前:信徒連合




< 第四十七話 >「私は、生長の家・総裁という“職業”に就いております?!

(平成22年6月18日『小閑雑感』より)


<<生長の家の講習会でも空路をよく使うが、行き先が東北、近畿、四国の場合、1時間前後のフライトが多く、離陸したと思ったらすぐに着陸……という感じで、機上でなかなかゆっくりできない。が、九州への往復は、比較的時間の余裕があるのだった。特に、帰路の便は往路と違い、旅先での仕事の準備の必要がなく、解放感に溢れているのだった。>>




(講評)


 上記の三代目雅宣(自称)総裁のご文章の中で注意を引く言葉は,“旅先での仕事”という言葉遣いであります。

当、ブログでもこれまで何回も申し上げましたように、三代目の彼は、講習会やこの場合の長崎の総本山へ大聖師・谷口雅春先生25年祭へ赴く時など、いつもそれは“旅行”であり“旅先での仕事”と表現されそのような自覚で総裁の椅子に座っているのであります。

開祖・谷口雅春先生の如き“燃ゆるが如き使命感”< 見よ!自分の身体が燃え尽くすまで、蠟燭のようにみづからを焼きつつ人類の行くべき道を照射する。>ということなど微塵も持ってはいない事が分かるのであります。

だから、講習会へ赴くことを“小旅行”、そこで講話をする事を“仕事”、その仕事を終えて東京へ帰るときにはヤレヤレということで“開放感に溢れる”気分になると大変正直に書いているのであります。


しかし、吾々信徒から見れば、この様な総裁は不適格者であって辞めて貰わねばならないと思うわけであります。

「生長の家」の看板は三代目の彼にとっては“金の成る樹”であり、“打出の小鎚”でありますが・・・。


 誌友会場主が自宅を提供して毎月の誌友会を開く時、地方講師が其処へ行って真理のお話しをし病・悩・苦の相談に乗ってあげることなど、誰一人賭して“仕事”だと思っている人などおらないのであります。

皆、開祖・谷口雅春先生と同じく燃えるが如き使命感をもって神様から与えられた使命を果たしてゆこうと思っているのであります。

三代目雅宣(自称)総裁の心のレベルは信徒以下であります。

一日も早く三代目雅宣(自称)総裁には教団を退去して頂かねばなりません。日本国の大国難の今、全信徒の下からの力の結集が必要な時であります。






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