生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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義憤・公憤の声をもっと大きく・・・特異な異常性格者“雅宣(自称)総裁”の更迭を急ぐ! <その1〜その3> (758)
日時:2013年04月09日 (火) 10時09分
名前:画龍点睛


合掌、ありがとうございます。

「鳶(とんび)3」さんが、当、掲示板4月3日記事NO.703で書かれておりますように、
http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=snihonryuu&mode=res&log=378
「暴走列車・雅宣号」はますますスピードアップをあげて走っております。

言い方を変えるならば、われわれの一般社会常識では考えることが出来ない暴走振りであります。彼のよく使うコトバで言うならば、かれは明らかに“統合失調症”に罹っております。その症状は、益々重症化して行っていることが解ります。

“統合失調症”は最近の医学用語ですが、簡単に言いますと“精神異常”と云う事であります。本人自身は極めて正常と思っているのですが、一般社会常識から見れば“異常”であります。その“異常”を解明していきたいと思います。

そうすれば彼が如何に「生長の家総裁」としての資質と適性を欠いている人物であるか、が現教団にまだ残っている信徒さんにもご理解していただけるとおもいますし、この様な < 極めて特異な異常性格者 > は開祖の『御教え』を大切に後世に伝えていくためには“更迭”されるのが最適の道である事もお分かりいただけると存じます。




   特異な異常性格者“雅宣(自称)総裁”の解明!


            <その1> 「教え」の継承について



<常識では>

宗教の世界に於いては、開祖の教えの内容を、継承者はそのまま継承する事は極めて当たり前のことであります。< 一杯の盃の水をそのまま一滴も零さず、残さずに次の盃に移し替えること > であります。これが師の教えを嗣(つ)ぐということなのです。弟子の中には師の教えの内容とは違った考えを持つ人もおります。そのような弟子は、師の下を去って独立して別宗・別派を立てるのであります。これは常識なのであります。



<雅宣教では>

@ 開祖・谷口雅春先生の説かれた『御教え』をそのまま継承せず、自分の左翼的唯物論とも言える個人的価値観を基準として、開祖・谷口雅春先生の『御教え』の内容を取捨選択し、換骨奪胎して自分流の教えを作り出したのであります。このことを解り易くいえば、人々の病悩苦の解決という宗教本来の役割を果たすことよりも、地球環境の改善・地球温暖化防止というものを達成していくのがこれからの生長の家の使命だと言い、これを自然と共に伸びる運動だと教えているのであります。雅宣(自称)総裁は、「個人の救済よりも社会問題へ関心を持つことを重要視する」とハッキリと明言しているのであります。「個人の救済を第一に考える」のは、時代の要請の何たるかを理解できない“原理主義者”であるとも明言しているのであります。

A 雅宣(自称)総裁は、愛国心というものは戦争につながるという価値観をもち、日本国家・日本民族・愛国心を悪と考えて、開祖・谷口雅春先生の『御教え』から国家論を捨てたのであります。さらに日本古来からの鎮護国家という日本國民の使命を捨て、左翼と同じ観念の遊戯でしかない世界平和というコトバに入れ替えたのであります。


かくして、開祖・谷口雅春先生が説かれた「生長の家」出現の目的である「人類光明化」・「日本國實相顕現」のコトバを「国家を超え民族を超えた信仰による世界平和」・「自然と共に伸びる生長の家」というコトバ(左翼思想と瓜二つ)に完全に換骨奪胎を図ってしまったのであります。



<雅宣教への狡猾なる洗脳テクニック>

@ 『生命の實相』に書かれている文章を引用して「雅宣教」の主張を正当化し信徒を洗脳する。この最大なるものは“時代即応”の教えである事を『生命の實相』第33巻P.53にある「自ら説明の仕方を不断に改革しながら進んで行く宗教であってこそ永遠に生きる」を根拠として説明するのであります。雅宣(自称)総裁はこの文章の前の部分「悟りそのものは表現形式の奥の奥に形を超えてある」という所を無視したのであります。つまり、開祖・谷口雅春先生の“お悟り”そのものを無視して捨て完全に左翼的な自己の価値観に入れ替えたのであります。そして“時代即応”を強く信徒の心に印象づけて「雅宣教」の内容こそが現代という時代に即応した「生長の家」の教えとしたのであります。


A この「時代即応」をキーワードとして、開祖・谷口雅春先生の説かれた真理は過去のもので現代にはそぐわない。自分は現代に適合した真理を語っている。それが「今の教え」であると信徒を洗脳しているのであります。清超先生は雅宣(自称)総裁のこの考えはマチガイであると気付いておられたので最後まで「法燈継承」の認可は与えられなかった。そこで、雅宣(自称)総裁は狡猾にも自作自演の“法燈継承劇”を演出したのであります。(注:清超先生が雅宣氏を破門・更迭できなかったのは清超先生の明らかに公表できなかった事情があったと推測が出来るのであります。)



<雅宣(自称)総裁の“更迭”は当然である>


以上の説明の如く「雅宣」という人物は、如何に開祖・谷口雅春先生のお孫さんであっても、“教祖反逆罪”という宗教家として許されざる大罪を犯した人物であります。自分の為した宗教的大罪を大罪として自覚できない、恬として恥じないで総裁の椅子に堂々と終身座り続けるこの無反省ぶり!

 彼は自分の為してきたことが宗教家として許されざる大罪である事が解らないのであります。

かれの心理状態は、いまや一個の人間として常識的判断が出来ない精神的異常の状態にあります。

本人は自分のして来たことは間違ってはいないと思っているのです。彼はまさしく重度の“統合失調症”であります。

しかし、かれは以上の如き常識的思考が出来ない限り、上記説明の如く、生長の家総裁としても、また自称にしろ開祖・谷口雅春先生の『御教え』の継承者としても完全な失格者であります。

彼が自分から辞職しないのであれば“更迭”の道しかないのであります。これが、私たち信徒全員に与えられた喫緊の課題であります。 再合掌




特異な異常性格者“雅宣(自称)総裁”の解明!  <その2> 「汝の兄弟と和解せよ」について (786)
日時:2013年04月12日 (金) 10時09分
名前:画龍点睛

  

   特異な異常性格者“雅宣(自称)総裁”の解明!  

 
           <その2> 「汝の兄弟と和解せよ」について




<常識では>


@ 雅宣(自称)総裁は、「生長の家」の最高トップとして「大調和の神示」を大きく取り上げている。
トップとしてまず考えるべきは、<自分はこのように「大調和の神示」の重要さを取り上げたのであるが、信徒から義兄実弟の人たちとどうして和解しないんですか? 先生は宗教家であるのに、言っていることと行なっていることとは全然逆ではないですか?> この様に信徒の皆さんは考えるのは至極当然なことである。自分は宗教者としてこの二十有余年なしてきたことを考えると、大勢の人たちに人倫の道を説く資格は無いといえる。自分は総裁の任に耐える人間ではない。やはり、潔く信徒の皆さんに謝罪して総裁を辞任しよう。――このように考えるのが常識ある良心的宗教家であります。

A また、一般的社会慣習としても、たとえ村八分といって平素の付き合いを断絶されている家も婚姻と葬式の時には例外とされているのであります。

B 普通の一般常識では、どんな会社でも創業者の遺志と遺産とを後継者が引き継ぎ更に拡大発展を目指すのであります。また、創業者の子供や孫が力を合わせて「毛利元就の三本の矢」のたとえの如く親子・兄弟が結束して社業を発展経営するのであります。これに反して自分の独裁体制を作り創業者の遺産を一人占めして、その独裁体制を維持する為に意に沿わない兄弟を追い出して甜として恥じない独裁経営者は社内や世間の評判も悪くやがては没落していくと考えられるのであります。




<雅宣教では>


人倫道徳を説くのは古き宗教家である。「生長の家」という宗教は常に自己変革を遂げなければ時代から取り除かれ陳腐化する。現憲法は素晴らしい憲法である。個としての確立、個の尊重、個としての権利の自覚を謳っている。つまり、個というものが中心なのである。家の観念は古い思想となった。“兄弟仲良く”と言った古来の道徳概念は破壊されて然るべきである。これをバサラ的生き方という。「生長の家」は原理主義ではないのだから開祖・谷口雅春原理主義信奉者とはたとえ兄弟姉妹といえども共に歩まないでよいのである。




<雅宣教への狡猾なる洗脳テクニック>

“原理主義”という考え方は、個人的な救済を第一とし、社会問題への関心を第二とする。原理主義は進歩変革を妨げる。時代の流れから取り除かれていくことになるのである。ゆえに個人の悩みの解決よりも環境問題の解決が優先されなければならない。幾ら個人が救われてもこの地球の環境が破壊されて人の住めない星となればなんにもならない。今までは、人間の利益中心主義であったので斯くの如き環境破壊となったのである。この点をシッカリと理解して今後は「神・自然・人」この三者の調和を実現して行く社会運動を時代は要請している。「鎮護国家」という自国だけの平和を求める時代は過ぎ去った。これからは国家意識や民族意識を脱却した世界全体の平和をもとめる時代となったのである。「大調和の神示」の本当の意義は此処にあるのである。世界の国々、世界の民族は国家意識、民族意識をすてなければならない。自国のみを愛する偏狭な愛国心を涵養する時代はすぎさっている。今は、これからも国際的な地球全体の平和を追求していく時代なのである。この世界的流れの先頭に立って「神・自然・人間の一体意識」の上に立った「自然と共に伸びる運動」、「自然との共生の生活」こそ日本の建国神話に秘められている理想である。これが信仰による世界平和を目指す新世紀の宗教のあるべき姿なのである。

以上のような論理展開は、日教組の左翼思想教育を受けた世代には受け容れ易いと考えて雅宣(自称)総裁は話し、書きしてお孫さま信仰信徒やニュー信徒の洗脳を施しているのであります。しかし、この考えはどこかで聞いたことがあるのであります。それは旧・社会党の、頭だけが走り(いわゆる机上論)、体が付いて行かない(いわゆる現実離れした空論)政策と同じなのであります。




<雅宣(自称)総裁の“更迭”は当然である>


以上の説明の如く「雅宣」という人物は、如何に開祖・谷口雅春先生のお孫さんであっても、“兄弟離間罪”という宗教家として許されざる大罪を犯した人物であります。

自分の為した宗教的大罪を大罪として自覚できない、恬として恥じないで総裁の椅子に堂々と終身座り続けるこの無反省ぶり!

 彼は自分の為してきたことが宗教家として許されざる大罪である事が解らないのであります。

かれの心理状態は、いまや一個の人間として常識的判断が出来ない精神的異常の状態にあります。本人は自分のして来たことは間違ってはいないと思っているのです。

彼はまさしく重度の“統合失調症”であります。しかし、かれは以上の如き常識的思考が出来ない限り、上記説明の如く、生長の家総裁としても、また自称にしろ開祖・谷口雅春先生の『御教え』の継承者としても完全な失格者であります。

この人並み以上の強引さと独裁権力者希求心は彼一人の力ではなく、背後霊のしからしめるところであります。

この強大な背後霊、霊界の大悪霊に雅宣(自称)総裁は明らかに憑依されているのであります。これは“波長共鳴の法則”どおりの現象であります。彼が自分から辞職しないのであれば“更迭”の道しかないのであります。これが、私たち信徒全員に与えられた喫緊の課題であります。




特異な異常性格者“雅宣(自称)総裁”の解明!  <その3> 数々の「言行不一致」について (805)
日時:2013年04月14日 (日) 12時29分
名前:画龍点睛


    特異な異常性格者“雅宣(自称)総裁”の解明!

 

          <その3> 数々の「言行不一致」について




<常識では>


@ 信徒に対して「汝らの兄弟と和解せよ」と説教しているのであるから、真面目な普通の宗教家ならば、まず率先垂範するのであります。常に自分をかえりみて信徒の範たらんと謙虚にふるまうのであります。

A 温暖化防止のためのCO2削減を運動方針として信徒に示した限りは、自らも自動車でのドライブを控え、遠距離移動の場合にも列車を使い航空機の使用を極力抑える、少しの距離ならばタクシーではなく徒歩移動を優先させる。自ら率先垂範しなければ指導者とは言えぬと考えるはずであります。

B 講習会のための前日の現地宿泊は、たとえ側近の秘書たちが気を遣って高級ホテルのVIP用スイートルームに宿泊手配していても普通の部屋に変更するのが謙虚なる宗教家としては当然のあり方である。(清超先生はこのようにされたと聞いています。) 宿泊の費用は信徒の浄財で賄われていることを知っているためであります。

C 温暖化防止運動の一環として、肉食削減運動を打ち出したからには、最高指導者は率先して肉食全廃の私生活を率先実行するものであります。

D 「ウソを言わないのが日本建国の理想」と説教するならば、ウソの数字の発表は誡めなければならない。講習会参加者数の発表は大幅に水増ししたウソの数字発表は行わないはずであります。

E 教団の主たる収入は信徒の浄財であります。特に、高齢の年金生活者や子育て主婦のパート収入で奉納された聖使命会費が大部分であることに気付くならば、一般職員の待遇も若年壮年層の子育て者には厚く、幹部役員や理事長・参議長・総裁は宗教家として質素に生活すべきで、高給待遇は間違っていると考えるべきであります。

F 信徒の浄財はすべて人類光明化、日本国實相顕現という本来運動にのみ充当せられるべきであって、株式投機や投資で不労所得の利ザヤ稼ぎに向けてはならぬことは宗教家としては当然のことであります。

G 「四無量心」を信徒にむかって説教している教団の最高指導者たる者は、信徒や職員の状態を慮った行動を採るのが普通である。最高指導者が自分の身の安全を第一に優先した行動は深く戒められなくてはならないのである。宗教指導者においては尚更のことであります。

H 信徒に“因果応報”の法則を説教しているならば、総裁としても、自らの言動がこの法則にかなっているかどうかの脚下照顧の反省を宗教家としては為すのが当たり前であります。

I 「日時計主義」を強く唱導するならば、総裁という最高指導者はまず率先垂範しなければならぬ。明るい笑顔、和顔・愛語・讃嘆の率先垂範である。自分自身の心の状態が周囲の状態(鏡)に映っていると常に自己反省を為すのが総裁という最高指導者のあるべき姿であります。ひとの居ないところでも決して渋面などを作ってはならない事ぐらいいわれなくとも自覚しなければならないのであります。




<雅宣教では>


@ 自らを改革しながら進んでいかなければ、宗教団体も時代から取り外されて周落して行く。

A 中心真理は時代の変遷にかかわらず不変であるが、周縁部分の真理は時代即応に取捨選択すべきものであり、周縁部分の真理の取捨選択は「法燈継承者」の教義判釈の判断による。「生長の家」では原理主義は採らないのであるから、その時の「法燈継承者=総裁」は生長の家大神から直接啓示を受け得るである。これを図式化すれば < 生長の家大神――(その時の)総裁――み教え > となる。

B 総裁は信徒から見れば仰がれる立場に立っている。ゆえに、信徒は神の啓示を直接受けて信徒を導く総裁に中心帰一するのである。これが「ハイ」の精神である。

C 総裁の姿は信徒の心境の反映したものである。したがって、総裁の「言行不一致」の姿は、信徒の「言行不一致」の至らなさの反映であるから、信徒は自らの「言行一致」の努力をまず為すべきである。そして信徒は総裁の完全なる實相顕現を直視してその顕現を祈らなければ成らない。< 立ち向かう人の姿はかがみなり、己が姿を写してや見ん > である。

D 現世で総裁の地位に就くものは、過去世の大きな陰徳の「因果応報」の顕われである。信徒の過去世の陰徳の分量は総裁の陰徳の大きさとは比較にならぬほどに小さい。信徒であると云う立場をわきまえずして総裁を批判すれば、それだけ自分の徳分を減らすことになる。総裁を批判・批難せず常に総裁の完全円満なる神の子の實相に感謝礼拝する習慣をつければ信徒自体の運命を向上させることになるのである。




<雅宣教への狡猾なる洗脳テクニック>


@ 寓話「おじいさんの云う事には間違いはない」に学んで、「開祖・谷口雅春先生の“お孫さま”の仰ること、なさることには間違いはない」と教団の最大勢力である白鳩会員の共通認識を醸し出せばよい。

A そのためには、開祖の著書から「今の教え」の権威付けに利用できる文章を抽出して強調すれば、理性的判断よりも感情的判断を優先させる白鳩信徒は「やはり、お孫さまは立派に開祖・谷口雅春先生の教えを継承しておられる」と信じてしまう。これは、女性信徒操縦の上手な方法である。

B キーワードを大いに活用する。女性信徒懐柔のキーワードは < 中心帰一・何でもハイ!・時代即応 >である。この言葉を末端使徒層まで浸透させるためには、組織上層部から総裁に中心帰一せしめること、そのためには本部役員・教化部長・職員を公務員以上の給料で遇することである。所詮、人間は金の力に弱いもの、幸いにして教団資産は雅宣一代でも使いきれぬほどに豊富である。

C 日教組教育を受けた世代には、『生命の實相』第33巻P.53の < 自ら宗教改革しながら進んで行く宗教であってこそ永遠に生きることが出来る > 、これを大いに活用して真理を“中心部分の真理”と“周縁部分の真理”に大別して、教義判釈の特権を使って替えたい教義の換骨奪胎が出来るのである。

D 総裁の<言行不一致>と指摘されるような情報が流されると、“デマ情報”として教化部長や広報室、教区五者の組織を活用して断定させる。このためには、総裁に逆らえば地位と収入を失うとの意識を組織全体の役職者に暗黙裡に浸透させていく。

E 実情を末端まで知らせない情報統制を敷き、たとえ実情が漏れたにしても“デマ”情報として信じないように組織を通じて否定し、そのままにして置けばよいのである。そのままに放置さえしておけばあとは時間の経過と共に忘れ去られていく。「人のウワサは75日」まさにそのとおりである。下手に騒ぎ立てない“放置作戦”が最上の策! 特に、白鳩の純真な人ほど“悪口批判はイケナイ”と自分から耳を塞ぐのである。それよりも総裁批判をすれば仲間の親しい信徒からも白い目で見られる。彼女たちにとっては仲間に入れて貰えないこと、仲間からはじきだされて孤独になる事は高齢者になればなるほど耐えられない辛いことなのである。この高齢者女性特有の心理状態をおおいに鼓舞すればよいのである。

  


<雅宣(自称)総裁の“更迭”は当然である>


以上の説明の如く「雅宣」という人物は、如何に開祖・谷口雅春先生のお孫さんであっても、完全な専制独裁教主に成り下がったのであります。 側近達を金の力で縛りつけ、信徒達に殊勝な内容の話し(講話)をしていますが、実に数多くの<言行不一致>があるのであります。

しかしながら、傲慢と驕慢の極に達していますから自分の為した宗教的大罪を大罪として自覚できない心理状態にあるのです。<言行不一致>と判っていても恬として恥じないで総裁の椅子に堂々と終身座り続けているのであります。

繰り返しますが、 彼は自分の為してきたことが宗教家として許されざる大罪である事が解らない筈はないのであります。それでいて一切反省しない。かれの心理状態は、いまや一個の人間として常識的判断が出来ない精神的異常の状態にあります。

本人は自分のして来たことは間違っていると思ってもブレーキが利かず押し通すのであります。暴走列車であります。「朕は国家なり」と同じく「生長の家とは吾(雅宣)なり」であります。

彼はまさしく重度の“統合失調症”であります。かれは常識的思考が出来ないのであります。ここまで彼の異常性格が明らかになった以上は、生長の家総裁としても、また自称にしろ開祖・谷口雅春先生の『御教え』の継承者としても完全な失格者であります。

そしてまた、この人並み以上の強引さと独裁権力者希求心は彼一人の力ではなく、背後霊のしからしめるところであると考えざるを得ないのであります。この強大な背後霊、霊界の大悪霊に雅宣(自称)総裁は明らかに憑依されているのであります。これは“波長共鳴の法則”どおりの現象であります。

故に、彼が自分から辞職しないのであれば“更迭”の道しかないのであります。これが、私たち信徒全員に与えられた喫緊の課題であります。






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