生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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反・『御教え』・・・雅宣総裁語録と講評 <第六十一話> (893) |
- 日時:2013年04月25日 (木) 15時04分
名前:信徒連合
< 第六十一話 >北朝鮮型・恐怖管理体制下の原宿教団本部にも「言論の自由」と「表現の自由」は勿論ありません。
(平成22年8月16日『小閑雑感』)
<< 最近見た映画の中に『ザ・コーヴ』がある。これは、2009年度アカデミー賞の長編ドキュメンタリー賞などを受賞したアメリカ映画である。ご存じの読者も多いと思うが、そんな名誉ある映画を、日本では大手の映画館が上映をやめた。
理由は、この映画が日本のイルカ漁を批判的に扱っていて、政治的に“右寄り”と言われる人たちに「反日的」というレッテルを貼られたからだ。
そんな理由で映画館が上映を渋るのは、「言論の自由」「表現の自由」を標榜する民主主義国として恥ずかしいかぎりだ。
が、幸いにも中小の映画館には気骨ある経営者がいたおかげで、この映画が何をどう言っているのかを知る機会を私に与えてくれたのである。結論を先に言ってしまえば、私はこれを見て知らなかったことをいろいろ知り、とても勉強になった。>>
(講評)
第三代目・谷口雅宣氏は<「言論の自由」「表現の自由」を標榜する民主主義国として恥ずかしいかぎりだ。>と此処には書いておりますが、これが一番その通りに当てはまるのが、現・原宿教団ではないでしょうか?
第三代目・谷口雅宣氏の「恐怖管理体制下」の原宿教団に於いては、「言論の自由」「表現の自由」は全くないのであります。
その典型的な例が上記の<第六十話>で採りあげた終戦の日に関するインターネット本部講師達の例であります。本部講師たちが誰も終戦の日について、それに関する『甘露の法雨』の奇蹟について書かなかったのは、原宿本部には言論と表現の自由が全くないからであります。
それほどまでに第三代目・谷口雅宣氏の「北朝鮮型の恐怖管理体制」は浸透してしまったのであります。全く以って第三代目・谷口雅宣氏は「独裁専制教主」となってしまったのであります。
人事権と給与査定権の二大特権を掌中に収め、此れを最大限に活用して諫言する者、反論するものを全員追放してしまい、現・原宿教団には阿諛追従(あゆついしょう)型の人しか残っていないのであります。
<会議には臨席を乞われて出席し、皆から仰ぎ見られる立場である>と恥ずかしくも公言して憚(はばか)らず、
<互いに助け合い向上しようというのが自然的な生き方である>と信徒には説教しながら、自分の義兄・実弟・姉たちを追放絶縁し、
<人の忠告を大切にする人が本当の指導者である。忠告が「真実である」と感じる時、それに従う事は忠告者に従うのではなく神に従うのだと思え。人からの忠告に怒りを感じるのは自分を神の座に置くからである>と、これまた信徒に対して説教しながら、自分のことになると、人の忠告・諫言は“その考えは間違っている”と受け付けず、自分自身を神の座に置いてしまっているのであります。
独善と傲岸不遜(ごうがんふそん)のこの心が『小閑雑感』7月23日の山荘の自製本棚の前の写真の表情に表われていると思われるのであります(皆様、拡大してご覧あれ!)。
この様な実例の前でもまだ第三代目・谷口雅宣氏は<「言論の自由」「表現の自由」を標榜する民主主義国として恥ずかしいかぎりだ。>と再度言う事ができるのでありましょうや!
さらに第三代目・谷口雅宣氏はまたもや、自分が“左翼”だと確認したのであります。<この映画が日本のイルカ漁を批判的に扱っていて、政治的に“右寄り”と言われる人たちに「反日的」というレッテルを貼られたからだ>と書いており、第三代目・谷口雅宣氏の思考は「反日的」なのが“まともな価値観”であり、この左翼的価値観を基準にすると他国の反日的言動を正すことさえ“右翼”とするのであります。
従って、第三代目・谷口雅宣氏は完全な“左翼思想者”であり、同時に、まぎれもなき“ジパノフォビア”(日本人でありながら日本を蔑み貶める言動を為す人)であることが証明されたのであります。そして、結論的部分の文章は次の如く読み替えられるのであります。
<幸いにも生長の家信徒の中に気骨ある人々がいたおかげで、この「小閑雑感」が“お孫さま信仰”でないところの理性ある信徒の皆さんに何をどう評価されているのかを知る機会を私に与えてくれたのである。結論を先に言ってしまえば、私は「生長の家・今昔物語」を読んで見て開祖・谷口雅春先生の御教えについて知らなかったことをいろいろ知り、とても勉強になっている>。
(ツブヤキ・・・だけど、わたしは「生長の家教団の解体」という“与えられた使命”を放棄するわけにはいかない。なにしろ私の命がかかっているのだから。このまま突き進むのみ!・・・
本部講師たちのツブヤキ・・・そろそろ辞めたら如何!)
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