生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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「トキ」さんよ、貴殿の言いたいのは、「和解(お互いが譲歩)して、マサノブ体制を温存しましょう」という事ですね! それはダメですぞ!! (1553) |
- 日時:2013年07月18日 (木) 14時43分
名前:怒れる信徒代表
「トキ掲示板」の「トキ」管理人さんは、下記のような個人的な見解を発表されていますが、マサノブ君の暴走振りを批判して「正統・生長の家」復活側に理解を示しているように見えます。が、結局のところ、マサノブ君の考えと目指す方向は純粋な崇高なことなのだから、お互いにいつまでも角つき合わさずに譲歩しあって、マサノブ体制を温存して進んでくれないか。 今あえて言うと、生長の家という組織は世間様に何かものを言える資格があるとは思えないからです。「正統・生長の家」復活側の皆様よろしくお願いします。――まとめると、このように「トキ」さんは言っているのであります。閲覧者のみなさまももう一度読み返していただきたいと思いますので、次に引用掲載させて頂きます。
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本流対策室/5 1971 :トキ:2013/07/16(火) 22:53:32 ID:csJKRmmg
これは、個人的な考えですが、谷口雅宣先生は、自分なりに思索をして、人類のすすむべき方向は、自然との調和である、という結論に達したと思うのです。おそらく、谷口雅春先生のお考えとも矛盾はしないと思います。すると、何故、こんな失敗ばかりするのか、という疑問が生じますが、理想が高く、正しいだけに、その理想を絶対視し譲らない、という事になるのだと思います。極端な話、親や兄弟でも、人類の理想実現のためには、切り捨てる、という気持ちはあるのでしょう。おそらく、ご本人の脳裏にはすごく崇高な理想が展開しているのですが、問題は誰もそれを理解できない、という事だと思います。周囲の側近は、口では総裁の理想を褒めた絶えますが、現実には、理解したふりをしているだけなのは明白です。私がこんな事を言うのはおかしいですが、それなら、教団を飛び出した人達のほうが正直だと言えるでしょう。 私個人としては、総裁が批判されるべき点は、目的の崇高さにだけ幻惑され、現実というものを全く見ていない、という事なのです。昔、ミルトン・フリードマン(ノーベル経済学賞受賞)が、講演で、『論理の間違っている事は、目的の間違っている事よりも悪い事なのです」と発言していましたが、現在の生長の家教団では、負のフィードバックというものが全然働かない世界です。失礼ですが、ジョージ・オーエルの「1984」の世界みたいです。 さらに言うのなら、鎮護国家の除外と『新経本」は、私でも援護できないし、するつもりはありません。 今あえて言うと、生長の家という組織は世間様に何かものを言える資格があるとは思えないです。高い理想を説いて世界を導くという前に、先ず、自らが行いをただし、『大調和」を実現すべきだと思います。そうしない限り、崇高な理想をとくだけに、逆に聞いた人はシラケる、という結果になるでしょう。
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「トキ」さんは、今は京都教区の幹部のようですが、もともとは本部の重要な位置にいてマサノブ君とも話が出来る人物のように過去の掲示板記事から分かるのであります。そのような教団幹部の一員の人が今回の様な投稿文を掲載したと云う事は“個人的な考え”と断っては居ますが、実際は教団本部の考え方を示したものであると私は考えるのであります。然し、なんともお粗末すぎる思考回路の人しかマサノブ教団には残っては居ないのか? ホントにマサノブ教団には人材がいなくなってしまったのだなあ、と情けなくなるのであります。この「トキ」さんの投稿文を読んでの私の感想は、「バカも休み休み言え!、顔を洗って出直して来い!」 以下、説明いたします。
@ 「トキ」さんは、「正統・生長の家」復活側をくすぐり懐柔する事を忘れません。次のようにであります。
イ <周囲の側近は、口では総裁の理想を褒め讃えますが、現実には、理解したふりをしているだけなのは明白>
ロ <教団を飛び出した人達のほうが正直だと言えるでしょう>
ハ <総裁が批判されるべき点は、目的の崇高さにだけ幻惑され、現実というものを全く見ていない、という事>
ニ <鎮護国家の除外と『新経本」は、私でも援護できないし、するつもりはありません>
ホ <生長の家という組織は世間様に何かものを言える資格があるとは思えない>
へ <先ず、自らが行いをただし、『大調和」を実現すべきだと思います。そうしない限り、崇高な理想をとくだけに、逆に聞いた人はシラケる、という結果になる>
以上の部分を読むと、マサノブ教団にも是々非々主義で物事を冷静に見ている人が居る、という感じを持つ人たちも大勢居ると思われます。
A 然し一方に於いて「トキ」さんはマサノブ君を最大限に持ち上げ、理解を示しているのであります。
イ <谷口雅宣先生は、自分なりに思索をして、人類のすすむべき方向は、自然との調和である、という結論に達したと思う、おそらく、谷口雅春先生のお考えとも矛盾はしない>
ロ <谷口雅宣先生の理想は高く、正しい>
ハ <ご本人の脳裏にはすごく崇高な理想が展開しているのですが、問題は誰もそれを理解できない>
B このように、「トキ」さんは、マサノブ君にも幾多の欠点はあるが、彼の理想は実に崇高なものであり、余りにも崇高すぎて今の段階では理解出来る人は少ないのである、と最高度のコトバで以って“ゴマスリ?評価”しているのでありますが、それでは「トキ」さんは“それでは何を為すべきか?”については言及せず、単なる評論家の域にとどまっているのであります。然し、“和解念仏和尚”の別名を持つ「トキ」さんのことであるから、「トキ」さんの言わんとしていることは、「お互いにいつまでも角つき合わさずに譲歩(和解)しあって、マサノブ体制を温存して進んでくれないか。お願いです!」という事であります。「トキ」さんと言う人は本当に蝙蝠の如く社会的遊泳術に長けた人であると云うのが私の感想であり、私などの遠く及ぶところではないのであります。だから敢えて申し上げる。「バカも休み休み言え!、顔を洗って出直して来い!」と。
C 「トキ」さんは、上記@でまとめました如く、マサノブ君の短所を多数挙げていますが、この幻術に引っかかってはならないのであります。マサノブ君のこれら現実的短所は正にその通りと共感を呼ぶものでありますが、この短所の列記は「マサノブ教」の崇高さ?の共感を引き出すための誘導言辞であると解釈せねばならないのであります。
D それでは、マサノブ君の思想はそれほどまでに果たして“崇高な理想”であるかどうかが問題であります。おそらく、雅宣教団の「国家を超え、民族を超えた信仰による世界平和」と「人々の救済(病悩苦からの解放)よりも、地球環境の保護改善が第一」この二点のことであろうか思います。この二点は現行憲法の「前文」と相通ずるものを感じるのであります。この二点はマサノブ君の人間知から絞り出したものであり、全能なる神である宇宙意志が開祖・谷口雅春先生の大悟徹底を通じて啓示された「生長の家出現の使命と目的」即ち「人類光明化(観の転換)」と「日本國實相顕現(真理国家の建設)」とは180度逆のことであります。「マサノブ教」では、国家の存在は戦争の原因として否定します。然し「正統・生長の家」の『御教え』では“国家は生命体なり”として、“神の理念の体現”と観るのであります。そして吾ら日本民族は實相世界の金波羅華中心帰一理念のモデル国家を地上で建設する聖なる使命を持つのであります。
E 戦後教育(東京裁判史観・侵略戦争観・自虐史観)を受けた人たちの大部分は、「国家意識や民族意識は戦争に通じる、愛国心よりも友愛精神の世界市民意識」とか何でもかんでも「世界平和」と言えば拍手して共鳴するでしょうが、これ等の一見“崇高”に見える「平和思想」も“唯物論”に根ざしている限りいつまで経っても机上の空論にしか過ぎないのであります。「マサノブ教」の本質は、“唯神實相観”ではなくて“唯物論”即ち、唯物的人間観、唯物的人生観、唯物的世界観であり、彼の悉くの<言行不一致>振りがこれを証明しているのであります。マサノブ君は講習会では「唯神實相・唯心所現・萬教帰一」の教義3点セットを繰り返して説明していますが、これはあくまでも建前だけであって、マサノブ君の本音の思想は「左翼的唯物思想」であります。だから、“善悪二元論”であり、“現象独在”であり、“霊界否定・霊魂進化否定・罪の子思想・倫理道徳否定”であります。
F かつて、安保闘争の学生運動が激烈であった時、浅間山荘事件なるものが起きたのであります。米帝打破、独占資本主義打倒、国際共産主義革命による平等平和社会の達成を掲げていましたが、これ等の言葉は、自由・平等・平和を連想させる“崇高なる理想”の様な印象を受けたのでありますが、その実態は暴力革命であり、伝統破壊であり、倫理道徳の破壊であって、憎悪・闘争・破壊によって「世界平和」を目指すものであったのであります。誰が考えても若気のいたりの未熟思想・机上の空論であるのでした。マサノブ君は暴力的手段こそ取らないで外面的には紳士面をしておりますが、伝統破壊・倫理道徳破壊・開祖憎悪・バサラ蕩尽思想等の面において内実は左翼学生の思想と底流に於いては相通じるものが大いにあるのであります。
G “崇高な理想”を掲げるならば、“聖なるもの”は“聖なるもの”として扱わねばならないのであります。「森のオフィス」落慶式では、この“聖なるもの”が“聖なるもの”として全く扱われてはいなかったのであります。「御神像」は「光明の塔」の上から、地面に引き摺り下ろされ、信徒が滅多に行けない八ヶ岳に隔離され、地面の上に人間と対等の位置に置かれており、“彫刻品の神像”として訪れた人の記念撮影の背景に利用されており(マサノブ夫婦も記念写真をフェースブックに掲載済み)、国旗・国家・聖旗も隠され、聖経『甘露の法雨』も姿を消し、「實相」額も途中から消え、挙句の果てには八ヶ岳の「雑木林」を本尊?として合掌礼拝したのであります。ここにおいて、「森のオフィス」落慶式=開祖・谷口雅春先生訣別式=「マサノブ教立教宣言式」となったのであります。「マサノブ教」なる者が、本来の「生長の家」よりも“崇高な理想”を持つものならば、教団名も「環境の家」とかに変えてもよさそうなのに、依然として看板だけは「生長の家」を名乗り続ける。この様な狡猾さ満点の人間の思想を如何して“崇高な理想”だなんて呼べますか? それを「トキ」さんは「マサノブ先生の理想は高く正しい」と心にも無いことを最高度に評価しているのでしょうが、本音は“マサノブ及びマサノブ体制(理事・参議)の温存”のためであります。
H 「森のオフィス」構想もマサノブ君の“崇高な理想”から出たのでは決して無いのであります。マサノブ君の實相はあくまでも完全円満な神の子でありますが、厚き迷いの雲に閉ざされている現象のマサノブ君は、決して「トキ」さんが最大限のコトバで持ち上げるような純真な人間ではありません。冷酷なる蛇の如き執念深い狡猾な人間であるのであります。この様な人間の語ることなど、どうして“正しい崇高な理想”などと呼べましょうか?!! 「森のオフィス」構想は、マサノブ君が自分の人生において、独裁者となって人と比較して何か大きな足跡を遺したいという個人的欲望と、開祖・谷口雅春先生を凌駕したい、見下してやりたい、そのためには開祖・谷口雅春先生の息の掛かったものをすべて破壊したいという野望、労せずして巨大財産をものにしたい、これ等の邪悪な現世的欲望実現のために着想したものであっただけであります。この信念的欲望が、暗黒想念界の巨大悪霊と波長が合って憑依状態となり、日本精神の復活を阻止し、天皇制を廃止に追い込む国際的勢力と結びついてしまったのであります。開祖・谷口雅春先生は本当に真剣な求道者であり、純粋な崇高な理想を持たれ、その実現のために私心を無にして真理の普及に生涯を捧げられたのでありますが、マサノブ君は何不自由のない環境で育ち、開祖の孫という立場を最大限に悪用して、個人的欲望を達成する人生を送っているのであります。
I マサノブ君の「森のオフィス」は、多くの本流投稿者のいう如く、お金持ちのボンボンの金に飽かしたセレブノ道楽であります。「自然から奪わない共生生活」といいながら、人間至上主義の産業社会の製品を使って(人には手を汚させ)、自給自足の食糧を作って生活するのではなく、自分は信徒の浄財で悠々と恵まれた環境で、無農薬有機栽培農産物を購入して机上の空論の講釈を垂れ、自然散策とパソコンに向かう別荘生活を送る。おそらく、都心にも豪華マンションを購入しているかもしれない??? 地球環境保護を世界を廻って訴えるわけでもない。全く井の中の蛙であります。“ヒキコ森”(教団内だけの引き籠もり)の環境運動であります。今、信徒の数は実質2万人を切っているでしょう! この程度の人間がCO2ゼロを実践したとしても、共産中国と言うCO2排出大国をそのままにして置く限り全く“焼け石に水”の効果すらないのであります。こんなことにISO経費を含めて150億円を超える浄財を独断で使うなんて・・・そして、それを“時代即応の英断だ”とゴマをする理事・参議たち――全く以って言語道断であります。
J この様なマサノブ君を“崇高な理想の正しい考え”の持ち主と持ち上げる教団幹部が「トキ」さんを初め実に多くいるのであります。そして、恥かしげも無く「開祖・谷口雅春先生のお考えとは矛盾していない。同じである。」などと言うにいたっては世間の物笑いであります。<今あえて言うと、生長の家という組織は世間様に何かものを言える資格があるとは思えないです。>と「トキ」さんは言っておりますが、そのようにしているのは「トキ」さん始め「マサノブ教団」の幹部たち、カルト講師たちであります。猛省を促したいであります。今回の「トキ」さんの文章に対しては「ナメンナヨ!!」と言いたいのであります。
K 最後に、「トキ」さんは、今回の投稿文を通じて「マサノブ教」との“和解”を呼びかけているのであります。「トキ」さんの呼びかける“和解”は<お互いに譲歩する>ことを言っているのです。そして「マサノブ体制」の温存継続を希望しているのであります。然し、「トキ」さんは、次の二つの重要点を観落としているのであります。
イ 開祖・谷口雅春先生の「正統・生長の家」の教義と「マサノブ教」の教義は、<お互いに譲歩した教義をつくりましょう>というわけには行かないのであります。開祖・谷口雅春先生が到達された神啓という“お悟り”が教義であります。マサノブ君の悟りに基づかない肉体頭脳による人間知が教義ではないことは当たり前のことであります。教義の譲歩妥協なんてありえません。「トキ」さんと同じく、この点に固執するマサノブ君と信徒たちは「生長の家」という看板を捨てて、「マサノブ教」とか「環境の家」という名前をつけて独立すべきが宗教家としての当たり前の道であります。
ロ マサノブ君が御兄弟に対して今までの非を詫び、懺悔して心からの“和解”が実現できたとしたならば、マサノブ君は迷いの雲が晴れて「神の子」の實相を現わしたということになります。その時には、マサノブ君としては、今までの神性隠蔽されていた行動の責任を誰に言われなくても取らなければならないと言う自覚に目覚めるでしょう。この目覚めが無ければ、マサノブ君は本当の“和解”の心に至っては居なかったと云う事になるのであります。この今までの責任の自覚がマサノブ君に出来れば、「トキ」さん始め、擁護派の人たちが如何にマサノブ君を引き続き教団内に総裁として温存したくても、真実の廻心に達したマサノブ君は頭を丸めて教団を去るか、或いは長期練成員として便所掃除、皿洗い、下足番から再修業するかの二者択一の行動を取ることになります。「トキ」さんの考えているような、総裁職の継続、名誉総裁にする、平の理事・参議とすると云う事はいずれにしても、真の“廻心”に至ったマサノブ君であれば、自らそれらすべてを辞退するでありましょう。いずれにしても、四代目の総裁は、開祖・谷口雅春先生の『御教え』の全相をそのまま継承される方となるのであります。「トキ」さん、反論があればどうぞ!!
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トキさんは、マサノブ温存派です!! (1554) |
- 日時:2013年07月18日 (木) 15時24分
名前:トンチンカン
<トキ傍流掲示板(男性専科)> ======================================== 1309 :神の子様:2013/07/16(火) 13:14:43
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ヘタレな男が大嫌いな元美女です。 教区で活動してますが分派も教団も嫌いですけども。。。。 訊けクンとはメールしたり電話したりしますね。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「サリーちゃん」は、教区で活動なのですね・・・
「訊けクンとはメールしたり電話したり」しているのですね・・・
「訊けクン」は京都で「トキさん」と会っているのですね・・・
「サリーちゃん」と「訊けクン」と「トキさん」とは、同じ穴の狢(ムジナ)なのですね・・・
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・影武者が大好きなマサノブ氏のことです。
・サリーちゃん = マサノブ氏 ...なんて考えると・・・
・トキさんは、マサノブ氏を切れますか?
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