生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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雅宣氏は平成11年3月末に自主退職していた (180) |
- 日時:2013年02月24日 (日) 22時30分
名前:金剛山
雅宣総裁は平成平成11年3月末日で宗教法人「生長の家」を自主退職していました。それは平成11年4月頃全国教化部長宛にFAXでその理由を得々と述べられています。当時の全国の教化部長は記憶があるでしょう。(原文は現在もあります) それなのに現在総裁として君臨されているのが不思議です。そのFAXを読み返しますと副総裁の権限が無くなった事への不満でした。 平成の時代になってオームの事件が社会を震撼させました。そこで当時文部省によって、宗教法人法が大幅に改正されたのです。その大きな骨子は宗教団体の教祖的立場の人に権限が集中しないように宗教活動と言えども民主主義の精神で理事・役員・責任役員達が協議して活動をするように進められたのです。
生長の家ではたとえ総裁先生の権限が法的に弱められても、信徒たちの総裁に対する信仰や崇敬の念は変わりないので、文部省の指導に基づいて内部教規もそれに準じて改正されたのです。宗教法人法改正に反対する教団が多い中、『生長の家は率先して受け入れた』と当時の週刊誌にもその話題は出ていました。 ところが権力意識の高い雅宣副総裁は心穏やかではありませんでした。当時の心境を先のFAXには下記の如くです。
>>前略 これらすべてのことは、理事会等の正式機関に於いて“慎重審議”の末に決定されたことです。この新しい制度の特徴を一言でいえば、それは「理事長の権限の大幅拡大」で、それとの比較上で総裁先生の権限は縮小し、副総裁の権限はほとんど何もなくなりました。「なぜそうなのか?」という理由を、私はいまだによく理解できないでいます、「税金対策のため」というのが、表向きの理由のようです。しかしこれって何かおかしくありませんか? 私は、生長の家は「中心帰一」を説くと思っていたのですが、これでは「税金対策を最重要とする」というように受け取れないでしょうか?
ふたたび誤解のないようにしておきたいのですが、私は何も「かつての権限を戻してほしい」とタダをこねているのではありません。もっと合理的に、納得のいくような説明をしてほしかったと言っているのです。また、このような大幅改正を行ったわけですから、当然、私の実際の仕事の中身にも影響が出てくるはずです。権限が縮小されれば当然、責任も減るはずです。権限のない領域での仕事はする必要がなくなるはずです。これは、別に悪い事ではありません。その空いた時間とエネルギーを、私は別の仕事に振り向ける事ができるからです。(仕事はいくらでもあります!)
新年度の開始にあたり、この考え方に則って私の従来の仕事を総点検してみたところ、講習会は生長の家教規第10条と第11条に定めた通りの副総裁の任務でありますが、その後に教区の幹部の方々とともに行ってきた幹部会は、どこにも規約上の定めがなく、また、地元の組織運動の細部にわたった指導を求められる場があるにもかかわらず、私の任務としてはそのような仕事の規定が明文化されていないので、これをやめることにしました。
ついでに申し上げますと、私は平成11年3月末日をもって宗教法人「生長の家」を退職致しました。その理由は、現行制度の下では、生長の家副総裁は役員でも職員でもなく、役員でも職員でもない者は宗教法人「生長の家」とは直接的な雇用関係が生じる考えをもっている場合は、採用されるはずがなく、また自分が信念をもてない方策は、責任有る立場の人間は採用してはいけないのです。何といっても、新しい制度下にあっては理事長に責任と権限があり、私には責任も権限もないのです。そして、この新体制は私以外のすべての理事皆様の総意にもとづくものでした。この冷厳な事実に気づいた時、私は自分の誤りを知りました。
私は“我”の意志で教団を動かそうとしてはいけないのだ、ということです。運動の方向を決定し、教団の運営を行うのは、副総裁ではなく「総裁先生と理事」の皆様 なのであって、私は「助言者」としてその脇に立っているだけで、先生に助言を求められた時にのみ何かを言えばいいのでした。そのような制度になっているのだから、そのように行動すべきなのです。そこで考えたことは、私は現在の新制度を定める諸規約に書かれたことことのみを行い、書かれていないことは原則として行わず、例外的には顧問弁護士の正式見解が肯定的である場合にのみこれを行う、ということです。<<
雅宣氏のFAXは、ざっとこんな認識です。谷口雅春先生の神様から受けられた真理によって一人でも多くの人々を救うという使命感等は微塵も感じられません。 >>私は平成11年3月末日をもって宗教法人「生長の家」を退職致しました。<< だったら何故今総裁なんですか???????
そしてFAXの締めくくりは次の文です。
>>今後、私に副総裁としての手当を支給するか否かは(あるいは法的に支給できるか否かは)、すべて理事・役員の皆様の判断に任されます。私としては今後、家族を含めた生活のこともありますから、また新たな道を模索してまいりたいと思います。
皆様、長い間、有り難うございました。 谷口雅宣 拝<<
以上のご文章は実際のFAXを原文と原型に忠実にパソコンに起こしたものです。編集脚色は一切ありません。長文で同じ事の繰り返し部分は切除しました。 雅宣氏は俗人そのものです。一般の会社を辞める場合でもここまでは書きません。
そしてFAXの中程にありました「中心帰一」の認識も全く生長の家ではありません。
以上ですが当方は雅宣氏を攻撃しているのではありません。このようなお方ですと言う事を皆様に知って頂きたいのです。このようなお考えの方は生長の家総裁であられては困るのです。早期に退陣頂くべく全国信徒みなさま立ち上がりましょう。
噂によるとこの時退職金を受け取ったとも言われています。
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そのまま別の道を歩まれていれば・・・ (189) |
- 日時:2013年02月25日 (月) 05時46分
名前:憂感
改めて読んで「何を考えていたものか…」と思いますが、 結局、教団の面子のために引き留めた、あるいは連れ戻した結果が今日でありましょう。
そのまま別の道を歩まれていれば、それこそ「やりたいように」やれていたでしょうに。
末端信徒としては事実なのかどうか確認のしようもありませんが 数年前に別掲示板で暴露された「南国酒家」での話や このFAX後、雅宣氏が戻ってきた経緯を聞くにつけ
誠に恐れ多いことですが、谷口清超先生、恵美子先生、貴康先生のご判断も悔やまれます。
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真相は・・・藪の中? (194) |
- 日時:2013年02月25日 (月) 16時57分
名前:風の声
この時の退職金は、2000万円だとか?・・・
しかし、退職後スグと言ってもよいほどの短期間で再び副総裁に戻ってきたわけであるから、この退職金は自主的に返還すべきものと、信徒の皆様は考えられると思います。
風の声を聞けば、返還なし?であるらしい・・・
法律的には合法かも知れないが、宗教家としては如何なものであろうか?・・・
それとも、緻密に計算された戦術かも?・・・チョット言いすぎかな・・・でも実際に返還されていたなら、雅宣総裁自身が“返還済み”と声明してこの疑念を晴らすのが当然でしょうネ
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当時のFAXのコピーが有ります (195) |
- 日時:2013年02月25日 (月) 22時13分
名前:金剛山
>>末端信徒としては事実なのかどうか確認のしようもありませんが<<
とありますが、当時各教化部長に送信されたFAXは現在も各所にあります。
各地教化部長は黙ってこのFAXを各部署に拡散されたようです。 せめてものレジスタンスでしょう。
ですから事実です。
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金剛山様へ (222) |
- 日時:2013年02月27日 (水) 04時43分
名前:憂感
レスありがとうございます。
FAXの件はもちろん事実と存じ上げますが(それこそほぼ全国に証拠はあるでしょうから)
以前、別掲示板(閉鎖された本流板だったかな?)に投稿されていた
◎「南国酒家」での谷口清超先生・貴康先生と、当時まだ外にいた雅宣氏との会談。(後継の要請?)
◎ご投稿頂いたFAX後、結局、雅宣氏が戻って来た経緯(詰まるところ、教団側(清超先生のご意志も?)が“戻って来て下さい”と要請したのでは)。
以上のことが「事実」かどうかは…末端信徒では何ともわかりませんね、ということでした。
雅宣氏が一体どのように教団と関わって来たのか今ひとつ分かりません。
練成はお受けになったことがあるのか? 誌友会の出講なんてしたことがあるのか? 本部の講師部長?に任ぜられていたことがあるやに聞こえていますが“本部講師”であったのか?
いずれにせよ「人の心を斟酌しないお方だなあ」とはつくづく思います。
そういう点では、一時の荒廃から御教えに救われ、 信徒と共に練成を受けられ、講師としての活動もし、教団内での 地位を(優遇はあったでしょうが)地道に積み上げてこられた貴康先生が、 後継にふさわしかっただろうとは思います。
ただ、貴康先生をそのまま三代目とされればされたで、マスコミあたりが”旧悪”を 暴いて無用の情報を垂れ流し、そのことが教団内外に波風を立てるおそれがあったこと。
また、後継に長子(雅宣氏は次男ですがご長男様が夭折)を立てないことを、 とやかく言う人も教団内にはいたでしょうから 雅宣氏を教団に入れて(引き戻して)しまわれたのではないか、と考えます。
もちろんまったくの推論です。
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守銭奴かマサノブ氏は? (614) |
- 日時:2013年03月26日 (火) 00時02分
名前:ソウヨネ
生長の家がイヤになり、2000万円(?)もの退職金を手にしたのですよね。
そんな人間を「総裁」とするべく呼び戻した清超先生も、これは失策としか言いようがない。
それからというもの、「総裁の座」にしがみつき、雅春先生の残された(信徒の浄財)膨大な資産を抱え込み、勝手な自己流思想をふり撒き、勝手放題であります。
つかんでは行けないと教えられた、現象の「地位」「名誉」「財産」等々を抱え込んでいるではありませんか??
バカ総裁よ!! 早く辞めなさい!!!
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