生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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生長の家「今昔物語」・ 理性篇の再掲示 <第七話> (187)
日時:2013年02月25日 (月) 00時43分
名前:信徒連合




生長の家「今昔物語」第六篇 理性篇




第七話(通算第333話) 



光明思想家とマルキストとの対話(6)



社会主義か資本主義か生長の家か<その三>


(『解放への二つの道』P.133−136)




客:

それでは貴方は現在の資本主義制度でよいとお考えですか。



主:

私は決して資本主義制度が良いというのではありません。生長の家は資本主義でなりたってはいない。決して私は資本主義に見方するというのではない。実際上我々の団体は既に資本主義ではない。

我々の団体は人類光明化の使命を感じた聖使命菩薩たちが集まって来て、それが人類光明化運動の資金を奉納金という形によって出す、是は共産党でも資金カンパとか、シンパサイザーとか云うものがあって運動資金を献納するのとおなじなのです。

私を金持ちで資本家だ、と思っている人もあるけれども、真っ赤な嘘だ。私は一個の労働者だ。私位長時間労働せんならん者はない。私には一週一日の休暇もない。一年中一日の休暇もない。サラリーマンが勤務時間が終った午後五時頃から後もやはり仕事を継続している。

何しろ五冊の雑誌に書かなければならぬ。これはちゃんと教文社の編集部から、こう云う題で何枚書け、と命令がでてくる。否でも応でもそれを書かなかったら、其の月の雑誌が出ない。雑誌が出なかったら数十名の教文社の社員及び聖典普及協会の従業員が飢えてしまう。

これらの人々の生活を支えるためにも、私は労働しなければならぬ。こうして私は原稿紙一枚いくらの賃金労働者ですよ。それも諸方へ毎月平均半月くらいは講習会に巡行してその合間に書かねばならぬ忙しい労働者です。

私はあのチャップリンの、『モダン・タイムス』とか云う映画をみたのでありますが、チャップリンが主役で、軍需工場の流れ作業でスパナ(捻子まわし)を握って、ズーッと流れるように、自分の前に出て来る機械を、次から次へと「捻(ねじ)」を廻さねばならぬ。そしてその忙しさに気が変になってしまう。

私はあの映画を観ている時に、「僕はあの通りだなあ」と思った。私は流れ作業の労働者なんです。労働者だけれども賃金を余計要求しようとは思ってやしない。吾々生長の家の組織は、結局、人類救済の組織であるから利潤機関ではない。それでもお前は著書を売って儲けているじゃないかと言う人があるかも知れないが生長の家の教えの書物なる『生命の實相』や『真理』は著作権が社会事業団にあって、そのほうへ印税が入るということになっています。

これで遺児孤児が養はれたり、色々文化的な仕事をする費用に寄付されているのです。私が講習会で声を枯らして喋ると、講習費が先生に随分入るので一千名も受講生があって、一人の奉納金が三百円だったら随分儲かる。素晴らしいなあと思う人があるかも知れぬけれども、私は何も貰っておらぬ。

これは皆光明化の費用になる。大体、この生長の家教団では一番上位の人は何の報酬も貰わぬ。唯勤労奉仕をしているだけである。

生長の家は決して資本主義組織ではない。教主は無料奉仕で、その次の上役である社長とか理事長とかいうものは、去年の暮れのボーナスでも、毎月の月給の二割に過ぎない。その次の位置にいる人が三割、五割と、ずっと下ほどボーナスが上がって行って、平社員と云うような人がまあ十割のボーナスをもらっている。こうして下の人ほど優遇されている所のそういう不思議なる形態になっているのです。

これは一つの社会主義である。能力は少なくとも扶養家族の多い人には、その生活に差し支えぬようにしてあり、能力があって長年月つとめている人でも、独身であるとか、他から恩給とか扶助料が入って生活に差し支えぬ人には僅かな給料で我慢して貰っている。

こうした社会主義的政策を現実にやっているのが生長の家なんですけれども、共産主義者の奉ずる社会主義とくらべてどこが異(ちが)うかと言うと、イデオロギーの根本が唯物論ではないのであります。






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