生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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マサノブ氏のこんな側面 (202) |
- 日時:2013年02月26日 (火) 03時06分
名前:サーチャー
昔、他の掲示板にありました!!
======================================== 31144 こんな実話がありますNEW 続々でてくる怖ーいお話 2011/05/27 21:51 cc9999
日時:2011年05月27日 (金) 20時37分 名前:元
正確な年月は忘れましたが、まだ清超先生が総裁で講習会をご指導のころ、午前中は総裁。午後は副総裁が担当するということがありましたね。
そんな年、ある教区の講習会の2日ほど前だったですか・・・ 雅宣副総裁がどうしても当日に間に合わない場所に足止めされていて「総裁お一人」の講習会になると思われた事件がありましたね。そのときに清超先生はこう指示されたそうです。 「予定通り私は午前中を担当するが、午後は荒地くんと貴康くんとで分担するように・・・」
このご指示は、雅宣副総裁に当然伝わり・・・そして不思議なことに副総裁は帰れないはずの場所から驚いて帰ってきたというのですね。これは講習会企画推進室の人から聞いた実話です。
このころ本部で囁かれていた事は、清超先生は副総裁を複数お決めになるのではないか・・・という話題でした。規約上も副総裁はあくまでも総裁の候補者となっておりその余地があったからです。 だからなのでしょうか。帰れないはずが飛んで帰ってくる雅宣氏。「私は法燈を継承したのでしょうか」とわざわざ総裁に訊ねる雅宣氏。 そして、清超先生から厚い信頼のもとに理事に任命されていた貴康氏と荒地氏を理事から排除。さらに左遷人事で自主退職へ追い込む。よく考えるとそれ以前にやはり左遷人事で宮澤氏も退職に追い込まれていますね。
これらの事を考えると、谷口雅宣さんという人の心の闇と申しましょうか、何かに怯えて権力を保とうとしている人物像が見えてくるのは私だけでしょうか。 ほら、門の前に備え ========================================
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私の上司は・・・その後倒れられて、今年亡くなりました。 (966) |
- 日時:2013年05月03日 (金) 23時31分
名前:サーチャー
<生長の家、“本流宣言”掲示板> ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 脚下照顧 (1049) 日時:2011年05月08日 (日) 20時40分 名前:元職員
雅宣さんの「めんどくさいが・・・」との題の連載を読んで。
わたしは雅宣さんは一番大切なものを忘れて自然環境と云う世界に逃げ込んで、普通の田舎の人であれば誰でも小さいときから経験している出来事をまるで「新発見」のように語っておられる事に、思わず失笑してしまいました。
雅宣さんが本部でどの様に執務しておられるかを知っている、あるいは聞いている本部職員はなんだかなーと思われているはずです。本部で職員とすれ違っても「めんどくさそうな」挨拶しかされないことを知っていますし、清超先生と正反対でジックリ職員の意見に耳を傾ける(火曜会などのように)ことも皆無。
私の上司は、仕事上のお伺いに行っても一時間ほど待たされた挙句、部屋に入ると「何か用?後で読んでおくから」とかもっと酷いときは、「何で私が説明を受けなきゃいけないの」と 追い出されて悲しそうに部屋に帰ってきたものでした。 山荘で木と会話する暇があったら、仕事場できちんと私たちと「会話」して欲しかった。何かこちらが説明しようとすると言葉のはしはしを摘み上げて貶すように対応し、本題にすら入らせてくれない(上司談)。うちの上司だけでなく他の理事さんもストレスを溜めておられました。
以前は、「多様性を認めよう」と言いながら自分と意見が食い違ったら許さなかったし、今度はめんどくさくて意見を聞かない人なのに「めんどくさいが・・・救う??」ですか。驚いた。 これも上司から聞きましたが、重要な人事も相手によく相談して理解してもらう作業を拒絶して、 「そんなことしてたらいつまでたっても決められないじゃないか!!」と叱り飛ばしたそうですね。突然の人事で、何人の人達が去って行ったでしょうか。宮澤先生も、貴康先生もそうだったと聞きましたよ。 私の上司は・・・その後倒れられて、今年亡くなりました。
雅宣さん、あなたは言っている事と自分の今までやってきたことを真剣に振り返り考えたことは無いのですか!! 去年までは腹が煮えくり返っていたのですが、今はあなたが唯の精神が統合できない哀れな人にしか思えなくて、失笑しかありません。恵美子先生を「あんた」と呼ぶ人が何が木と語るだ!! 義兄さんや弟さんとちゃんと向き合って語りなさい。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
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恵美子先生に対し「あんた」とは・・・・。 (974) |
- 日時:2013年05月04日 (土) 21時17分
名前:神の子A
恵美子先生に対し「あんた」とは酷いものです。 曲がりなりにも自分を生み育ててくれた母親にですよ。
大調和の神示の真髄は「汝の父母に感謝せよ」ではなかったですか?
『神人に語りたまう』を絶版にしておいて、「大調和の神示に回帰しよう」なんて言っていたのは誰だったかなあ〜
この様な人間に「宗教家」を名乗る資格はありません。
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マサノブ氏の「お好きなコトバ」? (1073) |
- 日時:2013年05月14日 (火) 15時06分
名前:サーチャー
<トキ掲示板(本流対策室/5)> ======================================== 1198 名前:トンチンカン 投稿日: 2013/05/14(火) 10:00:02 ID:nFgY2khg
マサノブ氏の「お好きなコトバ」?
ーーーーーーーーーーーーーー <人間智> <現象智>
<言行不一致>
<大調和(ご兄弟の)>
<ヒキコ森>
<自作自演(法燈継承)> ーーーーーーーーーーーーーー ========================================
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アア、素晴らしきかな総裁!! (1128) |
- 日時:2013年05月19日 (日) 22時30分
名前:サーチャー
<トキ傍流掲示板(ひとりごと板)> ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 3571 :神の子様:2013/05/18(土) 16:07:31 アア、素晴らしきかな総裁!!
この世にてただ与えられているだけの「総裁」という地位を存分に活用し、我がもの顔に闊歩している。
振り返ると、付いてきている者は、カネに目の眩んだ猛者どもだけ。
アア、素晴らしきかな総裁!!
日時計主義、日時計主義・・・ 「自然光明化運動」の旗を掲げて!! ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
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「甘ったれるな!」雅宣氏 (1256) |
- 日時:2013年06月03日 (月) 09時31分
名前:サーチャー
<部室 板/4> ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 991 :うのはな:2013/06/03(月) 09:20:30 ID:LMHxrQ5g 9 :元職員:2012/03/13(火) 17:37:02 ID:??? 名無しの神の子さんへ
貴殿がどの様な立場の人かは名無しなので不明ですが一応お答えします。
雅宣さんは本部に入って後継者にならなければならないという規則も制約もアリマセン。 事実、彼は日本教文社とサンケイ新聞社と言う会社に入ったのですから「自由が許されて いた」のです。実際に彼はいつかの挨拶の中で 父は自由を許してくださった・・・と語っていました。彼がコロンビア大学で学んだのは、 国際関係論だったかと思いますが、聞くところによると彼の志望は 「国連職員」であったとの事です。しかし、入れなかった。そしてサンケイ新聞に入社す るわけです。サンケイが思想の自由が無い?ような書き方ですが、彼が自分で最終的に選 んだわけです。 本社ではなく支所だったからか、記事をあまり書けなかったのかは知りませんが、サン ケイを辞めて今度は普及協会に入るわけですね。もちろん無試験でしょう(笑) さて、ココまでの経緯でどこか普通の人異常な大変なご苦労があったのでしょうか。
そして、どういうわけか「嫌」だったはずの本部職員になられるわけですが・・広報編 集部に入って特にお忙しいこともなさそうでしたね。
さて、私が「甘ったれるな!」と厳しい表現をした理由を述べます。
まず、副総裁になってからの給料です。これは理事長以上に高額なものだったと経理の関 係者から聞いています。何故それが問題なのかというと、その時の総裁であられた清超先 生は事実上「無給」であられたのです。 事実上とは、給料はお手伝いの職員の分を受け取られてそのまま、その職員にお給料とし て出されておられたようです。理由は何か社会保険の手続き簡素化のためと聞かされてい ました。でから事実上無給と同じと言うことです。
次に仕事面です。その時の総裁は一年59教区の講習会と6つの本部直轄練成道場ご指導 をこなされてきましたが、谷口雅宣総裁は代行のときから講習会は年間半分(指導時間も 短縮)練成指導なしになりました。 それでも、忙しいと人に面会することは本部職員でも極力避けておられました。(私の上 司などは一時間も待たされたことが何回もあったそうです) (最近になってご本人がパソコンの前に座ることが7時間以上との告白がありましたが・ ・・それで?と驚きましたが・・・)清超先生は、お原稿を書かれていても長くても10 分も職員を待たせなかったと言うことは有名な話です。
以上が私が興奮して「甘ったれるな!」と雅宣氏に対して口走った理由です。彼が幸せ そうでないのは<嫌な仕事をしているからだと前からわたしは感じていました。辞めれば 良いだけの事です。 ただし、雅宣さんの個人的な雑感などは、組織がなければ全く売れないはずですので、辞 められないのでしょう。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
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