生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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復習・< これが真相だ! > 三代目・雅宣総裁の「法燈継承」は自作自演であった! (208)
日時:2013年02月26日 (火) 10時20分
名前:画龍点睛





< これが真相だ! >


三代目・雅宣総裁の「法燈継承」は自作自演であった!

清超先生は最後まで、雅宣氏に「法燈継承」の認可を与えられなかった!


(信徒連合様がまとめられた論考を転載させて頂きます。但し、信徒連合様のお許しを頂き、文章構成と名前(「第三代目・谷口雅宣先生」を「雅宣総裁」に)の部分を修正させて頂いております。)
http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=2613



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<前編>      一般信徒の側から見た「法灯継承」とは?



雅宣総裁は、外見上のチョット見では、開祖・谷口雅春先生の御教えを継承しているように見えますが、比較して深く読み取って行きますと大きな隔たりがあるのが判ってまいります。そこで、どうしても雅宣総裁の「法灯継承」について<一般信徒の側から>考えて見ることが必要だと考えられるのであります。




< 「今の教え」における<法灯継承>について >


雅宣総裁・監修「歴史から何を学ぶか」によれば、

@ 現総裁が<面受>によって次期総裁を決定されることが法灯継承の理想の形であり、生長の家に於いては、それを教規に明文化し、かつ実際に行っている。

A 生長の家の法灯継承というものは、単に師と弟子の二者間で個人的内密に行われるのではなく、公に公表する形で行はれるし、この事を「教規」に書いてきちんと制度化している。

B 総裁は、次期総裁候補(予定者)を副総裁として指名し、副総裁はその就任と同時に法灯継承者(予定者ではなく決定済者)となる。


以上の事に関し大いなる疑問があるのですが、故・谷口清超先生、雅宣総裁、教団幹部の方々は、以前より完全沈黙の状態が続いております。


(1)「面授」によって法灯継承をなすという規定は何処にも存在しない。

(2)谷口清超先生による雅宣副総裁への「面授」がいつ為されたか、それに基づき正式に法灯継承がいつ為されたか、そしてそれが正式に公表されたという事実はない。

(3)生長の家教規第10条その他の規定や条文のどこにも、法灯継承に関する規定はない。

(4)次期総裁予定者としての副総裁も法灯継承者(予定者ではなく継承済者)であるとすると、法灯継承者が教団内において二人同時存在することになる。一言一句の継承(原理主義)ではないのでお二人の説く時代即応の教えが異なる場合も生じる。

(5)条文による明確な規定がないに拘らず、雅宣総裁が副総裁当時、自ら法灯継承済みと聖使命新聞紙上で話しているのは、清超先生も<副総裁就任イコール法灯継承>と考えられたとした、即ち教規や規定によらない類推拡大解釈によるものと推察されます。


                
二代目・谷口清超先生の法灯継承祭における御挨拶は、

<< 世の中には「継承」ということを何か誤解していらっしゃる方もおられまして、谷口雅春先生のお説きになった一言一句をその通りまた繰り返してお伝えするのであろうと、かく思われる方も居られるかも知れませんが実はそうではなく、つまりは教えの真髄の不立文字をお伝え頂き、それを継承する。ということであります。>> そして、「無門関」第六則<世尊拈華>の考案を引用して説明されております。



三代目・雅宣総裁の法灯継承祭における挨拶 (平成21年3月1日)は、

<< 私は、生長の家の伝統に則って、谷口清超先生から面授によってこの真理の大道を継承させて頂きました。そしてただ今、住吉大神の御前で大真理の眼晴の継承を祈念申し上げました。従ってこれまた清超先生から教えられたように、私は先師の一言一句を繰り返すと言うのではなく、時代や環境の変化に応じて色々の姿をもってこの運動を積極的に展開して行きたい。と念願するものであります。>>




「面授」による法灯継承の実例を挙げてみますと、


開祖・谷口雅春先生は、「無門関解釈」第23則・不思善悪のお話の中で・・・(大意)

<< 禅宗五祖・弘忍禅師は、その法灯を七百人の弟子の最上席の「神秀」ではなく、米つき部屋の百姓出身の「慧能」に伝えた。その<面授>のいきさつは・・

  「神秀」の悟るところの一偈
   < 身は是れ菩提の樹 心は明鏡の台のごとし 
     時々勤めて払拭して 塵埃を惹からしむることなかれ >


  「慧能」の悟るところの一偈
     < 菩提は本、樹に非ず 明鏡も亦、台に非ず
         本来の無一物 何ぞ塵埃を払うを仮らん >


弘忍禅師、この慧能の偈をみて夜ひそかに米ゆき部屋を訪ね慧能に問いかくて曰く・・「米熟するや?」  慧能、答えて曰く・・・「米熟すること久し、なお篩を欠くる事あり」・・・「よし!」と弘忍禅師は、杖をもって三回石臼を撃って「この時刻に吾が室に来たれ」と言うような目配せをして衣鉢(法灯)を慧能に伝えたのであった。これが、六祖・慧能大師であります。


    
私たち生長の家一般信徒から見て、誠に不思議に思えてならない事は、何故に谷口清超先生も雅宣総裁も「法灯継承とは、開祖・谷口雅春先生のお説きになった一言一句をその通りまた繰り返してお伝えする事ではない。」と殊更にこの一点を強調されているかという事であります。これは何故なのでしょうか?


 私たち信徒としては、「一言一句をその通りに」など望んではいないのであります。信徒の希望は「一言一句」ではなく開祖・雅春先生の御教えを、その御講話や御著書に基づいてその全相を誤り無く子孫や将来の信徒の時代までお伝えして行って頂けることを望んでいるのであります。この事を分かり易くいえば

@ 法灯継承とは、「盃の水を、そのまま全部、次の盃に移し替える事」と生長の家・長老で禅の大家でもあった田中忠雄先生は解説されております。

A 今光教に於いては「金光教は、教祖・金教大神が神伝によりて開創せられたる教義を奉じ・・・」とあります。

B 従って、生長の家の法灯継承も、正しくは「生長の家は、開祖・谷口雅春大聖師が生長の家大神より啓示・神授せられたる神示および谷口雅春大聖師の著わされたる聖典(御著書のすべて)を奉じ・・・」とならなければならないのであります。

C 依って、「菩薩は何をなすべきか」の中の「生長の家大神――総裁・副総裁――御教え」の図式は、開祖・谷口雅春先生の御昇天後は直ちに「生長の家大神=開祖・谷口雅春大聖師=御教え――法灯継承者(第二代以降の総裁)」とされねばならなかったのです。従って、「法燈」とは、「生長の家大神=開祖・谷口雅春大聖師=御教え」この三位一体なるものを言うのであります

D 大切なのは、「一言一句」ではなく、開祖・谷口雅春先生の御教えの真髄が未来永劫に亘って全相において伝えられていく事であります。その為に最も大切な事は谷口雅春先生の御講演・御講話・御著書のすべてが後世に伝え残され、世の求道者全般にいつでも準備・公開されていることが大切で、これは法灯継承者(第二代以降の総裁)の第一最大の責務でもあります。


 開祖自らが話され(て録音・速記され)たもの、開祖自らが文字・文章として書かれたものほど、その宗教の教えとしてこれ以上確かなものは無く、その全相の把握によりその宗教の真髄が悟れるからであります。開祖のお話しの録音・著作物は、その教団にとって最高の至宝だと言えるのであります。(しかし、三代目・雅宣総裁は、開祖・谷口雅春先生の御著書のうち自分の考えに反する国家論・愛国論・憲法論・古事記講義に関するものを主に焚書をなしたのであります。)



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<後篇>  最大の仕組まれた演出、『法燈継承』



三代目・雅宣総裁が指導した平成15年度生長の家教修会の最大の開催目的は自身の法燈継承を教団組織全体に広く認知徹底させる事にあったのであります。


(1)先ず、三代目・雅宣総裁は当時の磯部和男教化・講師部長の基調講話に於いて次の如く語らせております。<『歴史から何を学ぶか』(P.3−4)>

<<「今の生長の家は谷口雅春先生の教えを曲げて伝えている」と言って、現在の生長の家の運動を非難する冊子を発行したり、海外の被包括団体の“独立”を唱える人がいることは、皆さんもご存知とおもいます。こうした中、私たちは生長の家の法燈継承の意義を改めて確認し、徹底したいと思います。生長の家の法燈継承のあり方については、ご存知のように「生長の家教規」第10条に規定されていますが、その第10条の改正履歴をたどるとともに、その改正の意味合いを探ることなどを通して、生長の家の法燈継承の意義を心に銘記したいと思います。>>


(2)次に、三代目・雅宣総裁は、第2シンポジウムの指導講話に於いて次の如く話しているのであります。<『歴史から何を学ぶか』(P.179)

<<生長の家の法燈継承というものは、単に「師と弟子」の二者間でいわば“個人的”に“内密に”おこなわれるのではなく、公に発表する形でもおこなわれるし、そのことを「教規」にも書いてきちんと制度化しているのであります。

具体的に申し上げますと、私が生長の家副総裁になったのは平成二年の十一月の秋季大祭の時です。だから、この黒河内講師の資料によると、昭和五十一年九月二十五日に改正された生長の家教規において法燈を継承したということになるのですね。その教規の条文では、十条ですね、『副総裁は総裁の逝去(せいきょ)によって総裁の位置を襲(つ)ぐ。新総裁襲任する時は、その期間中にその後継者を創始者の家系に属する者のうちより適当なる者を推挙し、推挙されたる者は次期の総裁候補として副総裁の位置につく』。

まあ、そういうことで、私は自分で言うのは非常にもったいないことでありますけれども、この規定に従ってわたしが副総裁になったので、そのとき法燈は継承されたというのが正しい答えであります。>>


(3)このように三代目・雅宣総裁は自信を持って、<生長の家教規第10条によって副総裁就任時に法燈を継承した>と、明言されているのであります。そしてその継承の時は副総裁になった時とも明言しているのであります。このことはP.178に書かれているのであります。

その部分を引用いたします。<<・・・それから、最後に確認しておきますが、法燈継承がいつ行われるかという問題です。みなさん、どう思われますか?・・・実はですね、私も完璧な自信があったわけではない。(笑い)それで、この教修会のプログラムを谷口清超先生のところへ持っていって、「こういうものをやりたいと思いますが、この法燈継承の問題で参加者から質問が出ると思うので、一応確認の意味で教えていただけないでしょうか。私への法燈継承はあったのでしょうか?」(笑い)――ズバリそのまま聞きました。すると、先生は不思議そうな顔をされましてですね、「それはあなたが副総裁になった時に---------」とおっしゃった。(拍手)>>


(4)上記二つの三代目・雅宣総裁の発言から次のような疑問点が浮かび上がって来るのであります。


(イ)生長の家教規第10条は「総裁及び副総裁」に関する規定であって、「法燈継承」に関する規定ではない。第10条の中には、「法燈継承」という文字はどこにもない。


(ロ)三代目・雅宣総裁は平成15年の教修会直前に清超先生に「私への法燈継承はあったのでしょうか?」と尋ねている。ということは、三代目・雅宣総裁は清超先生から未だ法燈継承の認可(申し渡し・面授)を受けていなかったということであります。しかるに一方に於いては、三代目・雅宣総裁は「師と弟子」の二者対面しての継承に関するテストと認可(面授)は「教規第10条」に書かれてキチンと制度化され公に発表するようになっていると説明されている。即ち、三代目・雅宣総裁は清超先生からの認可(面授)は完了していると説明している。公に発表する資格のあるのは清超先生のみ、しかし清超先生による公の発表もなければ、「聖使命新聞」の公表記事もない。要するに、「第二代目・谷口清超先生による三代目・雅宣総裁への『法燈継承の公式認可(面授)』は、為なされなかったのである」というのが真相であります。


(ハ)雅宣総裁が考えた事は、このままにしておくと、いつまで待っても清超先生からの面授もなければ全信徒への公式発表もないであろう。既成事実を積み上げていかねばならぬ、と考えたのでありましょう。誰も疑問を持たない既成事実の積み上げ、その第一は清超先生から「法燈を継承した」との言質を得た既成事実を演出して「教規第10条」の“類推拡大解釈”(総裁・副総裁=法燈継承者と解釈)と抱き合わせて、平成15年度の教修会で“公の発表”を行なう.そしてその“公の発表”を「聖使命新聞」に掲載させると共に、各教化部長から組織幹部、全信徒へと浸透させていく、ということであった。

以上の筋書きを既成事実化するために、三代目・雅宣総裁は、一世一代の自作自演の寸劇――<<「こういうものをやりたいと思いますが、この法燈継承の問題で参加者から質問が出ると思うので、一応確認の意味で教えていただけないでしょうか。私への法燈継承はあったのでしょうか?」(笑い)――ズバリそのまま聞きました。すると、先生は不思議そうな顔をされましてですね、「それはあなたが副総裁になった時に---------」>>を着想して(磯部理事長等と計り)緻密な計画を練って実行に移し一応この自作自演劇は成功を見たのであります。これが最も筋道だった矛盾のない解釈であると思えるのであります。


(ニ)かくの如く考えますと、三代目・雅宣総裁の『法燈継承』についての結論は、

@ 生長の家教団に於いては、「法燈継承に関する規定」はない。

A 第二代目・谷口清超先生から三代目・雅宣総裁への『法燈継承』は行なわれていないのが真相である。それは、第二代目・谷口清超先生御自身による公式発表が最後までなかったという事実によって証明されている。

B 常識的に考えても、開祖・谷口雅春先生の「本来の御教え」とは異なったことを説き、あまつさえ、開祖・谷口雅春先生の御著書を50冊以上に亘って絶版処分(平成の焚書)を強行した者へは、如何に吾が息子といえども清超先生は開祖・谷口雅春先生の法燈だけは継承させることは出来ないと判断されていたと思われる。極めて当然な事である。清超先生は三代目・雅宣総裁がここまで暴走するとは夢にも思われなかったと考えられるのであります。

C 三代目・雅宣総裁は、総裁ではあるが“法燈継承者ではない”。法燈継承ドラマを自作自演した自称の法燈継承者である。というのが結論であります。以上の諸点を組織幹部の一人が質問として教化部長に尋ねたところその教化部長は何も答えることが出来なかったと聞き及んでおります。

D 最後まで残る疑問点が一つあるのであります。其れは、“然らば、ナゼ法燈継承の資格と資質を欠くと判断されたのに最後まで清超先生は三代目・雅宣総裁の更迭を決断されなかったのであろうか?この疑問に対するお答えは清超先生のみぞ知る!しかし、これは今となっては永遠のナゾであります。(但し、推測は可能ですが省略いたします。)

E 最大の被害者はお孫さま信仰に生きる末端の高齢者信徒の皆様であります。この意味からも三代目・雅宣総裁の教団からの辞去を求め、『盃の水を一滴も残さず、零さず、そのまま次の盃へ移しかえる』本当の「法燈継承者」による真の生長の家教団の復活を何としてでも成し遂げなえればならないのであります。







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