生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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マサノブ氏は自分の所業を知っている“確信犯”です <歴史から何を学ぶか> (265)
日時:2013年03月01日 (金) 21時57分
名前:サーチャー

<「歴史から何を学ぶか」 P176〜P177>
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『普通に世襲制を採用している伝統芸能とか、企業や事業とか、それから相撲部屋とかね、そういう所ではどういう問題が起こりやすいかちょっと考えてみれば分かることです。もちろん世襲制にも良いところはいっぱいあるが、やはり問題がないわけではない。

これはまあ自分のことを言うようで(笑い)、言いにくいんですけれどもね。生まれた時から後継者になることが決まっているんだからといって、ちょっとも努力しないで、アメリカへ行って呆けていて、そういう人が突然、帰ってきて後継者になるのはけしからん−−−そういう問題ですよ。それは実際にそういう人がいるということではなく、また僕のことではないんですよ。(笑い)これは「喩え」ですよ。しかし、世襲制には、そういう人が出る可能性は確かにあるんですよ。

その人がよっぽど意識が高くない限り、生まれた時から祭り上げられている人は、どうしても自分に対して甘くなる。その人から見れば、周囲の人々が理由もなく崇拝してくれるんだから、「もしかしたら自分は本当に偉いかもしれない」などとつい思ってしまう。確かに人間はみな神の子で、偉いです。偉いけれども、それは表面に現れている能力や性格や資質のことを指すのではなく、内部に隠された人徳や潜在意識のことを言うわけです。どんな人でも、ある程度きっちりと努力をして、教育的、また人生上の手続きを踏んで、そういう内部の神性が開発sれて来なければ、それは宗教運動の後継者になるわけにはいかない。

そうであるけれども、普通の人々はあまりそんなことは考えないで、「アッ、あの人は次の総裁先生だから」「あれは、創始者のお孫さんだから」とか、あるいはもう少し範囲を広げると、「あの先生のご兄弟だから、きっと素晴らしいに違いない」と思って祭り上げる傾向がある。そういうことが長い間続くと、これはやっぱり問題が出てくる。そういう特別扱いをされた人が、「もしかしたら、自分は本当に偉いかもしれない」と思って別派を立てたりする。そんなことが実際にあったでしょう?それが現在の問題であります。』========================================



<これなんか、まさしくマサノブ氏のことですよね?

・『生まれた時から祭り上げられている人は、どうしても自分に対して甘くなる。その人から見れば、周囲の人々が理由もなく崇拝してくれるんだから、「もしかしたら自分は本当に偉いかもしれない」などとつい思ってしまう。』

“マサノブ総裁に中心帰一”・・・なんてね〜  そして、偉そうに“哲学論”を・・・



<宮澤潔氏のことでしょうか?>   「ときみつる會」のこと??

・『そういう特別扱いをされた人が、「もしかしたら、自分は本当に偉いかもしれない」と思って別派を立てたりする。そんなことが実際にあったでしょう?』



マサノブ氏はご自分のことを、<冗談めかして>語っております。
マサノブ氏はご自分の所業がどうなのかを、よく知っているのであります。

だから、雅春先生の否定は <確信犯> なのです!!

谷口雅春先生のご著書<絶版>の理由 (259)  (1054)
日時:2013年05月12日 (日) 18時41分
名前:サーチャー

谷口雅春先生のご著書<絶版>の理由 (259)
日時:2013年03月01日 (金) 12時54分
名前:サーチャー

<マサノブ氏が<絶版>にした谷口雅春先生の聖典>

・古事記と現代の預言          ・神ひとに語り給ふ 神示講義 数の巻
・神の真義とその理解 住吉大神顕斎の意義  ・碧巌録解釈 前編・後編
・實相研鑽1 悟りを深めるための相互研修[第一集]
・實相研鑽3 悟りを深めるための相互研修[第三集]
・若人のための78章          ・霊性の目覚め 谷口雅春著作集第6巻
・第二青年の書             ・人生の秘訣365章
・奇蹟を生ずる実相哲学 下       ・実相と現象 谷口雅春著作集第4巻
・人生を前進する 新選谷口雅春法話集9 ・私の憲法論
・我ら日本人として 新選谷口雅春選集G ・聖なる理想・国家・国民
・国いのち人いのち           ・美しき日本の再建
・日本を築くもの 新選谷口雅春選集M  ・占領憲法下の日本
・続占領憲法下の日本 ・占領憲法下の政治批判
・明窓浄机 草創篇 昭和五年〜昭和十二年
・明窓浄机 発展篇 昭和十三年〜昭和十五年
・明窓浄机 飛躍篇 昭和十六年〜昭和十九年
・明窓浄机 戦争篇 昭和二十年〜昭和二十八年
・明窓浄机 新生篇 昭和二十九年〜昭和三十一年
・明窓浄机 修練篇 昭和三十二年〜昭和三十四年四月
・生長の家三十年史 生長の家本部編纂  ・生長の家四十年史 生長の家本部編纂
・生長の家五十年史 生長の家本部編纂
・白鳩愛唱歌集(母と子のうた)生長の家本部編




<「歴史から何を学ぶか」P289>
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生長の家の最も重要な教義の一つである「万教帰一」の教えと、「原理主義を採らない」という考え方は不可分なんですね。この二つを分けることはできない。原理主義を採れば、万教帰一は実現しない。万教帰一を推し進めようとするならば、原理主義は放棄しなければならない。谷口雅春先生が戦争の時代に書かれた一言一句を今実行しなさいというのでは、我々の運動は崩壊します。私がこの本の中で一番言いたかったのは、そのことです。

今まで我々は、不立文字の大真理を嫡々相承するということを谷口清超先生から教わってきました。宇宙の大真理は不立文字である。ということです。しかし、そのことと、「万教帰一」との関連はあまり指摘されなかった。が、その二つは密接に関連しているのです。だから、そのことが皆さんに理解されれば、ある一部の谷口雅春先生の著作が再版未定になって今日出版されないこと、また谷口雅春先生が説かれたことの中に食い違いがあること、そういう理由は了解していただけると思います。


自己紹介文 (1057)
日時:2013年05月12日 (日) 22時44分
名前:山本山

雅宣氏の自己紹介が載っているとは思いませんでした。
このまえ断捨離する前に確かめておきたかった。

“傀儡”を使って<自己主張>するマサノブ氏 (243)  (1067)
日時:2013年05月14日 (火) 09時43分
名前:サーチャー


『歴史から何を学ぶか』(平成15年度 生長の家教修会の記録) 谷口雅宣監修

第1章 谷口雅春先生の足跡を学ぶ
    ・妹尾壽夫  良本峯夫  森田正史  谷口雅宣
第2章 生長の家における“法燈継承”について
    ・渡辺重孝  楠本行孝  黒河内 潤  谷口雅宣
第3章 国際平和信仰運動の意義
    ・森 義晴  渋谷晴雄  雪島達史  谷口雅宣
第4章 運動の多様性を求めて
    ・谷口純子


(P70〜71)
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私も今回、皆さんが発表する原稿を一人について三回読みました。ですから三回読んで、なお私がコメントを出して「あそこが足りないのではないか?」「ここはまだ考え方が詰まっていない」などとコメントを出しながらやってきて、三回書き直したものを、皆さんは飛び飛びで読みながら三十分で理解しろというわけですから、ちょっと無理な要求かもしれません。
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マサノブ氏が 3回 読み返して、3回書き直しを命じて出来上がったのが『歴史から何を学ぶか』であります。 3回書き直しを命じたのであります・・・

ここに登場された著名な(生長の家内部では)先生方には、大変な苦痛を伴ったものではなかったろうかと推測いたしております。

ハッキリ言って、“傀儡(操り人形)”として利用されただけであります。


マサノブ氏がこの中で特に主張したかったのは、<法燈継承>であることに相違ないでありましょう。


初めから“自作自演”の<法燈継承>ですから、マサノブ氏といえども気が引けるところがあったのかも知れません。 そこで、他人の口から言わせる手法をとったのであります。

本当にズルイ人間です。 マサノブ氏は・・・・・

そして一言、『私が自分で言うのは非常にもったいないことでありますけれども、この規定(教規の条文では十条)に従って私が副総裁になったので、そのとき法燈は継承されたというのが正しい答えであります。』 (P179)



もう一つは、「谷口雅春先生の足跡から学ぶ」であります。

雅春先生の素晴らしい業績を 研究しよう というのではありません。 雅春先生の間違っていることや、失敗したことを まな板に乗せて 料理しているのであります。

「今の生長の家は、大東亜戦争を聖戦だったとするのか、侵略だったとするのか」・・とマサノブ氏の反発の持論に引き込んでいくのであります。 (P2)


『そこから私たちは学ぶのです。学ばないと意味がない。単に私たちの信仰が足りなかったとか、人の数が足りなかったとかいうのでは、理解が足りません。それは本当の原因じゃなくて、それはむしろ結果なんですよ。・・・・・そういう真剣な反省や分析がなかなか今までできなかった。ですから、それを今日をきっかけにしてどんどんやっていきたい。今まで、なぜか知らないけれどタブーだった色々のことにも挑戦すべきです。』 (P77)


“傀儡”を使って<自己主張>するマサノブ氏・・・としか言いようがありません。


定着してきた正しい認識“自称・法燈継承者”・・・ (1072)
日時:2013年05月14日 (火) 14時46分
名前:公平なる観察者




         < 自作自演の“法燈継承劇” >



常に「本流」関連掲示板をご覧の信徒さんの間ではいうまでもなく、

現教団の信徒さんでもパソコンを持っている人の間においても、

雅宣(自称)総裁は、二代目の清超先生から正式に認可された正統の法燈継承者ではなく

“自称の法燈継承者”にしか過ぎないことが広く認識され、

この認識は口コミによって拡散しつつある現状であります。

次第に、教団内世論として定着して参りましたですね。







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