生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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生長の家「今昔物語」・ 理性篇の再掲示 <第四十三話> (693)
日時:2013年04月02日 (火) 09時42分
名前:信徒連合




生長の家「今昔物語」第六篇 理性篇



第四十三話(通算第369話)

 
生命の實相とダーウィンの進化論

(人間の生命は如何にして顕現したか) <その四>



如何なる変異が遺伝するか

(『生命の謎』P.251−255)



<<ベルグソンは「生命」というものは周囲の状態に適合せんとする働きをもつもので、自分の住んでいる環境に適する様な方面にその子孫の形を変化してゆくことができるのであるという説をたて、その変化の原動力として「エラン・ビタール」(生命素)という様な神秘なものの存在の仮説を立てたのであるけれども、然し人間に於いてそれが寒地に生活すれば、その子孫も耐寒力が増大するとか親が飲酒家であれば子孫がアルコ−ルにたいする抵抗力がつよいとかいうこと以外には、形態までも確然と変化するというようなことはみとめられないのである。

ラマルクは生物の器官はそれを使用することによって発達し、それを使用せざることによって退化する、その発達と退化とが累積して遺伝して、ついに種族としての形態を変ずると云う説をたてたのであるけれども、かかる使用不使用による形態の発達改善は遺伝しないと云うことがみとめられるに到ったのである。

ダーウィンの進化論はベルグソンの有意思的な変化とは違って、植物または動物に起こった或る偶然のチャンスにおける変化がそれが次第に終結して、それが進化の原因になると説明したのである。

即ち生命が形態の変化を志向するのではなくして、或る何かの原因で偶然変わった変化が、ある場合にはその生物にとって生活に不利であり、ある場合には有利である。その場合、不利なる偶然変化をおこした生物は、その不利条件のために死滅してしまい、有利な形態に変化したる生物はそれが次第に遺伝されてその有利なる形態が度々蓄積されることによって種族に有利なる変化をおこして新しき動植物の形態が生じたのであり不適当なる形態をもったものは生存を継続することが出来ずして遂に地上から姿を消してしまったとするのである。


 然るに気候、温度、光線、地球その他の環境に対応するためにおこった多くの変化したる形は遺伝しないということがわかったのである。

それは単に、その種族の生命が環境に対応する必要上、一時的にある方便的形態をとったのであって、元の環境に戻すと、元の形態にかえってしまうのである。

ノルウエーの植物学者ヨハンゼンはある植物を、その原産地とは異なる所に移植して植物の世代数十代にわたって実験した結果、その植物がその葉の大きさや形に著しき変化を生じそれを数代くりかえしてもやはりそれが遺伝するらしき事を発見したのであるがその種をとってその原産地に栽培してみると、もとの植物の形態と全然同じ形に還元してしまうことを発見したのである。

それによってその植物の形態の変化が最初は遺伝であると認められたけれども遺伝ではないのであって、単にそれは移植せられた所の気候風土光線温度等に対して反応したるところの形態であるということがわかったのである。

 この種類の生物の形の変化は遺伝しないのであるけれども、突然変異と称せられるところの形の変異は遺伝するということがわかったのである。

ルイセンコの遺伝学説は、メンデルの云うような遺伝因子と云う如き物質的な要素を認めず、環境によって種が変化する、即ち或る種の生命は或る環境条件に対して特殊の反応を呈し、形態を変化し、それが遺伝すると云うのであるが、これは突発変異の一種であると思われるのである。


これは或る条件が整ったとき、別の「理念」が天降って来て形を変ずる、そしてその理念の継続する間、遺伝が継続するものと考えられるのである。


 1791年米国マサツセッツ州に羊を飼っている百姓があったが、ある日その牝羊(めひつじ)が足の短い曲がった足の牡羊(おひつじ)を生んだのである。彼はこの足の曲がった短い足でヨチヨチしている羊をつくることにすれば、垣根から飛び越えないで都合がいいと考えたのである。

その羊は牡(おす)であったから外の牝(めす)の羊と交配した所が、その子孫にその短い足が遺伝してそれ以来別種の羊が生まれる様になったのである。彼はその交配をつづけて行くことによって数代それを繰り返していると純粋な新種の短脚の羊を作ることが出来たのである。この羊の種類は尚一層よき形の羊に改良せられるまでアメリカの農家ではもてはやされていたものだと云うことである。

 オランダの植物学者ド・ヴリ氏は遺伝の問題を研究してそれはメンデルの法則によって遺伝するという事をたしかめたのである。即ち種子の交配によってその子孫に色々の変種が現れて来るのであり、此れは遺伝因子の交配によるものであると考えられるのである。


然し遺伝因子とはなんであるか。それは単なる物ではなく、ある微小体を契機として存在する所の「理念」の力というものだと認める外はないのである。それを交配することは「理念」と「理念」との交配だと考えられるのである。


 カーネギー研究所の生物学研究室に於いてダフニヤと称する一種の水生蚤(のみ)の新しき変種を造りだしたが、それはいつまでもその形態が継続して今に到るまで数百代を繰り返しているといわれているのである。即ち突然変異は遺伝するのであって、徐々に姿が変わって行くのではないのである。モルガンの研究室であるケルマップ生物研究所に於いては最近新しい蠅(はえ)の新種を造りだしたが、その形態は遺伝せられて現在も尚生き残っているということである。>>






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