生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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生長の家「今昔物語」・霊界篇の再掲示<第三十九話> (705)
日時:2013年04月03日 (水) 11時28分
名前:信徒連合



生長の家「今昔物語」第五篇 霊界篇



第三十九話


輪廻転生について(その3)



<<生命は死を超えて前進する>>



欲望は不滅の原動力である(

『別冊・真理<正死を越える道>P.43−46』)


<<「魂」はある環境の中へ入って生活するが、その環境に入ってくる前に、その環境が地獄だと信じていても、極楽だと信じていても、其れがために環境は変化しないのであります。

刑務所を極楽世界と言いきかせられてから、その刑務所に入れられても、その刑務所が極楽世界にはならないのであります。それと同じく死後の世界の状態について理論を立てたり思案を巡らしたり、お経にこう書いてあると言って見ても、吾々が死んで来世に生まれ行く前に来世に関して何を教えられていたにせよ、そのために来世の性質は変化するものではないのであります。

 次のことだけは間違いない。即ち来世が若しあるならば来世は現世と同様に無限創造者(即ち神)によって“霊”を材料として創造されたのであると云うことであります。

従ってそこは、それぞれの人々の魂の次なる段階の生活に完全に適していると云うことであります。

そして、そこには現世と同じように「心の法則」があてはまる。

そこは因果応報の世界であって、現世で心の法則によって魂を訓練して来た者は、来世に於いても心の法則を適正に使用してよき環境をあらわし得るに違いないのであります。

とは云うものの、我々は生きている間の心の環境との相関関係について知る所を基礎として死後の状態について推測するしか仕方がないのであります。

我々は一都市の中でも、一国家内でも、その住む人の心境によってあらゆる程度の幸福とあらゆる程度の悲惨が存在することを知っているのであります。即ち同じ都市や事務所にも富める者と貧しき者、善人と悪人、賢者と愚者とが共に住んでいるのであります。しかも同じ場所にいながらそれぞれの人々は自己の能力や心境や趣味や欲望に相応した水準に落ち着く。この能力や心境や趣味や欲望やはすべて現世に生まれ出て一代のうちに得たものばかりではないと結論することは合理的であります。

 人は皆その人独自の一定の方向、一定の活動および一定の経験へと引きずられ駆り立てられて行く不可知の傾向を持っているのであります。

これは環境からのみ与えられたものでないのは一卵性双生児でもその個性が異なることによって証明されます。この種の衝動ないし推進力は、ある程度前世の経験から受け継ぐのでありますが、現世でこれを発達させたり、等閑に付して退歩させたり、努力して改善したり、誤用したりすることが出来るのであります。

このことは現世に於いて吾々が実際生活をいとなんでいる経験によって明らかなことであります。来世に於いても同じ或いは似たような過程が起こるものと結論するのは理に適っているのであります。

現代の心霊学では、人間の死後直ちに魂の行く霊界は、やはりその通りであることを霊界通信によって知らされているのであります。(レスター著『霊界の妻は語る』参照)

尤(もっと)もこれはどこにでも霊媒があって、それを証明し得るというような問題ではない。現在の人間進化の段階では、普通人はこれについて実地に又は客観的に知ることは不可能であります。

死後の彼方に存在する状況を霊覚によって確かに知っているという人もあるけれども、それは主観的に知るだけなので、科学的に適用される法廷で受け容れられるような現実的な証拠を提出することは極めて特殊の場合のほかは難しいのであります。

すべての人が「死」と云うものは肉体の活動を停止することだと云う証拠を受け入れるのと同じように、「死」は「来世への移行」であると云うことを受け容れるためには人間の最高の直観が必要なのであります、>>




因果応報と魂の教育

(『別冊・真理<正死を越える道>P.75−77)


<<因果応報と云っても、ある意味から云えば、魂の教育と名付けてもよいのであります。古い宗教では、此の教育中の状態を煉獄と称し、未来の如何なる時にも避けることが出来ないと説いたのであります。

「罪」の値は永遠であると説くことは明らかに公正を欠いています。何故なら、罪の値が永遠であると云うことは、有限の知性しか以っていない人間が有限の罪を犯したそのむくいとして無限の罰を課せられ、しかも無限の知恵と知識を有するものの権威によってその宣告がなされると云うのは原因と結果との割合が不均衡であるからであります。・・・

科学的見地から精神的宗教的原理を引き出すことを目的とする場合は独断は許されないのであります。私たちは、人間の「生まれ更わり」説が普遍的に万人の認むる証拠によって証明し得られるものであるとは言おうとするのではない、それは余りにも疑問が多く、未知の要素が多いからであります。

然しキリスト教会の独断を信ずる者は天国に住居が与えられ、信じない者は永遠の刑罰が与えられると云うような「教会キリスト教」の教えに較べるならば「生まれ更り」説は、論理と常識に合致していると云うことが出来るのであります。>>






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