生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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原宿城凱旋・FAX作戦原稿傑作撰! (28〜30) (727)
日時:2013年04月07日 (日) 08時55分
名前:FAX作戦推進本部

    <「今の教え」の誤り>

             世界平和と日本の発展


<<世界平和がなければ日本の発展はない。日本の発展だけを目指すのは間違いである。>>(「小閑雑感」平成21年8月15日)

            ************

 正しくは、先ず日本自体が“心主物従・霊主肉従”という形而上的(けいじじょうてき)価値観で以って世界のモデル国家となること、そしてその達成されたモデル国家を世界に敷衍(ふえん)して行って初めて世界平和が達成できるのであります。

“物主心従・肉主霊従”という形而下的唯物価値観での発展ではなく、“心主物従・霊主肉従”という形而上的霊的価値観での国づくりとその発展を先ず“隗(かい)より始めよ”であります。

自分の一族を治めずして世界平和を説く資格は無いのと同じく、“毛利元就の三本の矢”の故事に反してご自分の兄弟たちを教団から追放した第三代目・雅宣総裁には元々この様な世界平和や大調和の世界を説く資格などはありません。

先ずご自分の足元から見詰めなおし、且つ、「世尊拈花」の公案や神武天皇の「日本建国の詔(みことのり)」そして「大調和の神示」をシッカリと学び直して頂かねばならないのであります。

           平成25年○月
             開祖・谷口雅春先生の『御教え』の復活を真剣に考える信徒


           〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


注: 上記原稿は、A4一枚に納まるように作られています。







原宿城凱旋・FAX作戦原稿傑作撰! (29) (746)
日時:2013年04月08日 (月) 14時18分
名前:FAX作戦推進本部




   <「今の教え」の誤り>

             特攻隊は、現世を犠牲にした自殺行為?

<< 特攻隊の場合も「生命の不死」を信じて「靖国神社で会おう」と誓った若者が現世を犠牲にして自殺行為に進んだのである。>>(「小閑雑感」平成21年9月27日)


             ************

★ 雅宣総裁は、開祖・谷口雅春先生の御本を読んでいるのでしょうか?読んでいても、自分の考え方は正反対である。と云っているのと同じであります。

★ この様な表現は、宗教者の言葉ではなく、左翼評論家・日教組教師・左翼学者の言葉である。

★ 雅宣総裁は国籍は日本人でしょうが、心・精神に於いては非・日本人です。

★ “特攻の母”と云われた浜島トメさんは特攻隊の人たちについては、その“伝え方”を間違えてはいけないと云われました。雅宣総裁!あなたは、その“伝え方”を完全に間違えております。英霊の方々に礼を失しております。

★ この意味が解からなければ貴方は“法灯継承者・総裁”の資格なく即座に辞去して頂きたいと思います。

             平成25年○月 
              開祖・谷口雅春先生の『御教え』の復活を真剣に考える信徒



            〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


注: 上記原稿は、A4一枚に納まるように作られています。




原宿城凱旋・FAX作戦原稿傑作撰! (30) (756)
日時:2013年04月09日 (火) 08時43分
名前:FAX作戦推進本部



   <今の教えの誤り>

           本部会館玄関上の御神像は、偶像崇拝!


<<この神像は生長の家大神そのものではなく、ひとつのイメージ「象徴」・「表現」であって、はっきり言えばこの神像は人間の創作である。・・・「神姿」や「神像」や「聖者」を具体的な形に表現することは、危険を伴う。生長の家は生長の家の大神の姿は具体的には表現しない。神は一つの像の中に押し込められるものではない。本部会館上の神像は、作者の表現物つまり心の作品に過ぎない。>>(『小閑雑感』・平成20年11月25日)

              ************

『生長の家』四十年史(P.18−19)には、

 原宿本部の旧館の正面玄関の上部に安置せられてある神像は、服部仁郎氏が、家内の霊視せる神姿を詳細に聴き、それによって模型を造り、家内が「此処はこんなでなかった。此処はこうであった」といちいち訂正して、家内の霊視した神像に出来るだけ近づけて製作せられたものであるが、家内の霊視した神姿にもとずいて塑作されたこの神像が、横浜の誌友の霊視した神姿そっくりに出来ていたということは、服部仁郎氏の制作技術の素晴らしさと、霊界の神秘の相互関連を語るものである。

             平成25年○月 
              本当の「生長の家」真理を求道する信徒

   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜(チラシ原稿は、ここまで)〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


注: 上記原稿は、A4一枚に納まるように作られています。




<補足説明>


『生長の家』四十年史(P.18−19)から・・・


<住吉の大神の神姿を見た人々>


<< 私の背後に、白髪の老翁の姿をしたキリスト(「ヨハネ黙示録」の第一章に出現している“久遠のキリスト”)の姿を最初に見たのは私の家内であった。それは生長の家の最初の原稿を書いた所謂(いわゆる)“発祥(はっしょう)の家”で、私と家内とが互いに向かい合って神想観を実修している時、私の背後に空中に立っていられる白髪の老翁の神様の姿を拝したというのである。
 
 この神姿はその後、他の信徒の集まりにもあらはれたし、その頃熱心に私の宅へ日参のように来ていられた長尾初枝さんも見たと言はれた。その頃、非常に熱心で、誌友会の集まりを“三日会”の名の下に、毎月三の日に催しておられた畑中猶三氏の集まりにも度々その神姿が見えた。

「しかも一人のひとに視えるだけではなく、集まっている人の全部にではないが、数人の霊眼に同一神姿が、同一の位置に於いて見えるので、それはほんものでしょう」といって畑中氏は私に訪ねられた事がある。私自身はこの神姿を見たことがないのは、一寸妙に感じられるが、自分自身の顔は自分には直接見ることができないというような原理によるのかも知れない。

 神宮前1丁目23−30(旧地名“原宿”)にある本部の旧館の正面玄関の上部に安置せられてある神像は、服部仁郎氏が、家内の霊視せる神姿を詳細に聴き、それによって模型を造り、 家内が「此処はこんなでなかった。此処はこうであった」といちいち訂正して、家内の霊視した神像に出来るだけ近づけて製作せられたものであるが、 服部氏自身は、神姿を見たことはなかったが、天才的彫刻家の一種の霊感で本当に家内の見た神姿そっくりに出来ているらしいのである。

 数年前、今は横浜に居る誌友が、はじめて、この原宿にある本部を訪問して、その正面玄関上の神像を見て“オヤ!”と驚いた、といって手紙を私に寄越された事がある。 その手紙にはこう書いてあったのである。この神姿は、谷口が嘗て早稲田大学の大隈(おおくま)講堂で講演している時に、その谷口の姿がこの神像に変貌していたのを思い出して不思議な神秘感に打たれた。 どうして大隈講堂で自分が見た霊姿をこんなに正確に再現できたのであろうかと。

 家内の霊視した神姿にもとずいて塑作されたこの神像が、横浜の誌友の霊視した神姿そっくりに出来ていたということは、服部仁郎氏の制作技術の素晴らしさと、霊界の神秘の相互関連を語るものとして注目してよいと思うのである。>>





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