生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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生長の家「今昔物語」・ 理性篇の再掲示 <第四十九話> (774)
日時:2013年04月11日 (木) 12時35分
名前:信徒連合



生長の家「今昔物語」第六篇 理性篇



第四十九話(通算第375話)



科学とは如何なるものか 

(『神癒への道』P.31−32)



<< 科学は多くの事実を観察して、その知識に基づいて、その諸々の現象を支配するところの一貫した法則を発見することによって成り立つのであります。

それは自然界の法則であっても、心の法則であっても同じ事であります。

すべて体験的事実が<同様の条件の下に>置いて幾回でも例外なく再現される時そこに一貫した科学的法則があるというのであります。即ち科学とは、目に見える所の事実を観察することによって、目に見える所の事実の背後にある所の目に見える変化を司っている所の「目に見えざる法則」を発見する学であります。


 自然界の法則は、自然界の事物を観察して発見し得ますが、心の法則は、心あるものを観察し同様の条件に於いて同様の結果が現れるという事実を確認して法則を発見するのであります。

そこで自ずからそれはわれわれの生命の研究となり、想念の法則の研究となり、我々が生きている所の宇宙と人間自身との関係の研究となり、世界又は宇宙が如何なるものによって造られているかの研究となるのであります。

心で病気が治るなどということを迷信であると考えたり、奇蹟であると考えたりする人も往々世間にはあるのであるが、それは決して迷信でもなければ奇蹟でもないのであります。

大体自然の法則を破ったという意味での奇蹟は物質の世界にも心の世界にも存在しないのであります。

物質界も精神界も凡ては法則によって行なわれているのでありますから、超自然現象という様なものは存在しないのであって、それが超自然現象と見えるのは何れもそれを支配している所の法則を人間が未だ発見し得ていないために驚いて斯く呼ぶに過ぎないのであります。


 聖書に「何人も未だかって神を見しものなし。ただ独り子にのみ神を現わし給えり」とパウロが言っておりますが、それを言いかえると、なにびとも原因を見ることはできないのであって、吾々はただ結果を見るだけだということであります。

吾々は神の子なる人間であって、自分に宿っている所の神を見ることができないが人間は神の自己表現であって、ここに今神が生きているということを自内証の体験として知ることが出来るのであります。>>







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