生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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生長の家「今昔物語」・霊界篇の再掲示<第六十七話> (979)
日時:2013年05月05日 (日) 08時21分
名前:信徒連合



生長の家「今昔物語」第五篇 霊界篇



第六十七話 



先祖供養、および個別霊の供養(その10)



誌友・鈴木友二郎氏による降霊会の記録(1)

(『到彼岸の神示』帰幽の神示P.218−221)




臨終に何が起こるか


<< 霊魂が肉体を脱出する際、高級霊は眼がさめたまま、スウーッと出て行って、霊魂自身が自分の肉体を上から見下ろして、「ああ、自分の皮袋はあんあ格好でひっくり返っているなあ、あの僕の外套(がいとう)もう少し上手に畳(たた)んでおけばよかったのに」などと思うこともあるのですけれども、それ程高級でない霊魂は意識を失って人事不省の状態で肉体を脱出します。

高級というのは、何度も生まれ変って、魂がみがかれている成熟せる霊魂のことであります。

肉体人間でも成熟して老齢に入っているものは、あんまり熟睡しなくてもいいのであります。幼いものほど余計眠るわけです。赤ん坊などは、魂が幼くて成熟しておらんから、長時間眠る。段々大人になるに従って睡眠は少なくてすむようになるのであります。

霊魂もやっぱり同じ事であります。意識が完全に目覚めたままで、死体を抜け出るのは、高級の霊魂だけれども、まだ幼い霊魂は、(註・幼いというのは、その肉体は大人になっておっても、魂がまだ何度も生まれ変っておらぬ、生まれ変りの回数の少ないのを幼いというのです)そういう霊魂は断末魔の苦しみで人事不省に陥ったまま霊界へ行くのです。

霊界へ往(い)って先輩の諸霊にいろいろと世話してもらって意識を回復して目をひらくと、潜水服を脱いだ潜水夫がやはり、水中と同じように眼がみえると同じように周囲が見えるのです。

そして、死の直前の病気の時のその記憶が出て来るのです。その霊魂は肉体を抜け出た時は人事不省になっていて知らないのですから、自分が肉体を抜け出たという事を知らないのです。

「死んだら何(なん)にも判らなくなる」と思っておった人の霊魂が、ハッと霊界で目が覚めて、そして何でも見えたり、記憶が蘇生(よみがえ)ったりしますと、その霊魂は、「自分は肉体のままで生きとった」と思うのです。それが多いのであります。

霊媒に霊魂を呼び出して研究してみますと、亡霊の80%位は自分の魂が肉体を脱して、肉体は焼場で灰にされていながら、肉体のままで生きていると思っているのが多いのであります。


 上海(シャンハイ)の生長の家支部をしておられた鈴木友二郎という人の息子がそうでありました。なんでも船のマストの上から水上に墜落(ついらく)して死に、葬式も済み、父の家が移転した後、その霊魂が目覚めて父の友二郎さんを訪問したという話であります。>>(P.218−220)




物理的心霊現象について


<< 或る日鈴木友二郎さんの息子さんが船のマストから水上に墜落して、目をまわして、ショックで死んでしまったのでした。友二郎さんは非常に悲しんで丁寧に葬式をして葬ったのでありました。

そのころ青島(ちんたお)に藤倉夫人という生長の家の誌友で、物理的心霊現象の霊媒になれる婦人があったのです。その物理的心霊現象になれる婦人が上海に立ち寄った時に鈴木友二郎さんは霊媒に自分の息子を呼びだしたのです。

藤倉夫人というのは非常に物理的心霊現象に堪能な霊媒で、シャツなんかが、両手をしばられたままでシャツだけが脱げるのです。上衣はそのまま脱がないで、シャツだけ脱ぐのですから、むつかしいのです。手品ぢゃないのであります。

シャツを破ってぬぐのならむつかしい事はないのだけれども、現象界の吾々には物質はあるように見えているけれども、こういう実験によって、「物質」というのは本質的には「無い」のであって、斯うして霊界の人間にとっては、「物質」を「無」として取扱うことができるのだということが実際に実験できるのであります。

 この実験が誰にでも出来たらいいのですけれども、それは特殊の霊がやるのであります。これは霊がそのシャツを一遍霊界に引き込むのだということであります。一ぺん霊界に引き込んで、霊界でそのシャツを霊的流動体として取扱って自由に脱ぎ去り、それを物質界にもどして霊界からまた現実界に出してきてその実験会場へ抛(ほう)り出すのであって、物質界に於いて物質のままで、上着をを着たままでシャツを脱げといったとて脱げないのであります。そのシャツを霊界へ引き抜いていって霊的にそれを処置し、そしてそれを霊界から現実界に再び出すのです。それだから上に着ている着物そのままで、シャツだけが脱げるのです。だから、現実界と霊界とは自由に交通できているのであります。>>(P.220−221)
(つづく)







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