生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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今こそ「看板返せ!」・「雅宣総裁更迭」の声、信徒総立ちして挙げるべし!! (「聖使命新聞」2月号を読んで) (127)
日時:2013年02月22日 (金) 14時59分
名前:画龍点睛


合掌、ありがとうございます。
私は、生長の家の信徒ではありますが、「雅宣教団」の名簿に登録されている正式会員ではありません。その関係で、毎月の「聖使命新聞」が手に入るのが月半ば過ぎであります。数日前に「聖使命新聞」2月1日号を手にしました。


第一面のトップ記事は、雅宣総裁の「新年祝賀式」に於ける「大調和の神示」に関する挨拶内容でありました。雅宣総裁は「大調和の神示」が“生長の家の原点”と言っているのでありますが、何故原点なのか? 雅宣総裁によりますと――

@ 聖経『甘露の法雨』の冒頭に置かれている。
A 根本聖典『生命の實相』の冒頭を飾る。
B「生長の家教規」の「教義」の項目に「大調和の神示」の全体が省略されることなく入っている。


このように説明して21世紀の人類の最大の課題は“自然と人間の共存”で、その問題解決の鍵は「大調和の神示」にあるのだ、“自然と共に伸びる運動”の原点はここにあり、これを新しい本部「森のオフィス」の実際の業務と生活に於いて具体的な形で実践し、ノウハウを作り改善して社会貢献をなす、というのであります。


まことに結構なこと尽くめで、現教団の実態を知らされていないお孫さま信仰の信徒さんや、最近入信した信徒さんには雅宣節が快く響いたでありましょう。しかし、雅宣総裁は信徒の皆さんに現教団の実態を話していないのであります。以下、箇条書きに雅宣総裁のウソ(教団の実態)を明らかにする事に致します。



@ 雅宣総裁は、『生命の實相』に関する莫大な印税を故意に支払わずにいたことが発覚し、正当な著作権を持っている「生長の家社会事業団」との間で法的係争となり、東京地裁と東京高裁の判決で雅宣総裁は敗訴したのであります。これを不服とした雅宣総裁は最高裁へ上告しておりますが、最高裁の審議結果が間もなく出され、雅宣総裁の主張は認められないことは確実であります。(これが宗教家のなすことであろうか?と大勢の信徒たちは思っているのであります。)


A 現在、雅宣総裁の現教団では、聖経『甘露の法雨』や聖典『生命の實相』の追加印刷はできない状態で在庫切れとなり、従って信徒全員が聖経『甘露の法雨』・聖典『生命の實相』を持ち、かつ読むことができない状態であります。そのような信徒さんが益々殖えて行くのであります。


B 雅宣総裁は、聖経『甘露の法雨』に代わるものとして、今後は自らが作った「大自然讃歌」や「観世音菩薩讃歌」を新しいお経とし、また恐らく新しい聖典を執筆していくと予想されるのであります。その第一弾が「生長の家ってどんな教え?」という本でありますが、その内容は、開祖・谷口雅春先生の『御教え』の全体を説かずして、都合の良いところだけを取り上げた雅宣総裁思想の解説であり、「雅宣教ってどんな教え?」と改題すべきものなのであります。


C すでに、講習会ではそのテキストから『生命の實相』が外されて久しい、先祖供養も『甘露の法雨』から「観世音菩薩讃歌」へと切り替えつつあります。実質的には開祖・谷口雅春先生の「生長の家」の色彩は教義の上からも薄められて行き、実質上の「雅宣教」となっているのであります。


D 私たちが間違ってはならない事は、「大調和の神示」が“自然と人間との共存”を最優先に説いているのではないと云うことであります。雅宣総裁はこの点において大きな間違いを犯していると云う事を知らなければならないのであります。雅宣総裁は自己の理論を正当化するために「大調和の神示」を持ち出して来て無理な“コジツケ解釈”をなしているのであり、「神示」解釈を作為的に間違えているのであります。信徒の皆様、だまされてはいけませんぞ!


E 信徒の皆さまが既に御承知の如く、「大調和の神示」には“天地一切のものと和解せよ”と書かれているのであり、“自然と人間とは和解せよ”とは書かれていないのであります。「天地一切のものと和解せよ」とは、具体的には、< 父母、夫または妻、子供、兄弟姉妹、召使、そして他の一切の人々に感謝すること > と示されているのであります。


F 見逃してはならないのは、感謝の順序でありまして、「皇恩に感謝せよ」が感謝の第一番目に位置付けられていることであります。第二番目に「父母から始まり、身近な人達、最後に一切の人々」であります。かくして後、最後に「天地の全てのものに感謝せよ」となるのであります。


G かくして、私たちの心が「天地一切のものへの感謝」に充たされた時、「天地一切のものとの和解」が成立し、自己を取りまく一切の環境は、この感謝の心の反映(三界唯心所現)として「天地の万物何物も汝を害すること無き」“大調和世界”が展開してくるのであります。重要な中途段階をスッ飛ばして“自然を大切にせよ、自然と共生せよ、感謝せよ”とは全くナンセンスであります。三界唯心所現を忘れた机上の空論であります。


H 翻って、かつての左翼社民党の辻本清美代議士の造語“疑惑のデパート”ならぬ“言行不一致のデパート”と化した雅宣総裁を採点すれば、彼は決して“天地一切のもの”と和解しているとは言えないのであります。雅宣総裁は先ず「皇恩に感謝」しているとはとても言えないのであります。祖国日本への反逆の気持、そして開祖・谷口雅春先生への反逆の気持を心の奥深く絶えず秘めているのであります。義兄・実弟を「雅春原理主義者」として教団から追放し、幾多の有能な本部講師をこれまた「雅春原理主義者」の烙印を押して悪辣な左遷人事を弄して追放してきたのであります。


I この様な「天地一切のものと和解(感謝)」していない雅宣総裁が、いくら「大調和の神示」を強調して説いたとしても、それを聞いている人は白々しく感じ、“雅宣総裁よ、先ず己が脚下照顧せよ!”と心では反発し馬鹿にし、しかしながら十数人の理事・参議、59名の教化部長は地位と報酬を失うまいと“此処は我慢のしどころよ!”と追従しているに過ぎないのであります。


J 新しい本部「森のオフィス」で“自然と共に発展する道”のノウハウ作りをするんだ、といくら雅宣総裁が息巻いても空々しく聞こえるばかりであります。彼自身が「天地一切のものとの和解(感謝)」が実践できていないのでありますし、“自然から一切奪わない生活実践”と言っても、“自給自足の原始生活に戻る事ではない”と雅宣総裁自身が言っているのでありますから、自然界から奪って生産したものは遠慮なく使わして貰う、ただ自分たちは直接には自然からは奪わないだけ(他人には手を汚させ、自分たちだけは手を汚さない生き方)のことであり、まことにズルイ自然との共生生活であります。


K 雅宣総裁は、原宿本部では恐怖型の専制独裁の管理体制を敷いており、“一発ぶん殴って辞めてやろうか!”という気持になる職員も居るとか? 雅宣総裁の機嫌を損じないように用件はメモに書いてソッとドアの下の隙間から差し入れておく、と云った世間常識以下のことが原宿本部ではなされているとも聞いています。



<総括>

雅宣総裁がいくら「原点に回帰して、新たに“自然と共に伸びる運動”に出発しよう、その原点は『大調和の神示』にあり」と言っても、自己本位の夢想論にしか過ぎないのであります。雅宣総裁には「大調和の神示」を語る資格など全く無いのであります。信徒に説教する前に、義兄・実弟の前に手をついて詫び、大政奉還をなして、自分は八ヶ岳の森の中で“柴の庵”を結んで自給自足の原始的自然生活に戻って初めて「大調和の神示」を語る資格を取り戻せるのであります。これを為さねば、雅宣総裁は死んだら無間地獄に真っ逆さまであります。

この実態を知った信徒は続々と現教団から辞めて言っております。また、本部職員200名の中でも「森のオフィス」へついて行く人は大幅に少なくなっているようであり、肝心の雅宣総裁も「森のオフィス」に定住する気持は余りなく、何かにつけて理由付けして、都心の自宅で半分は生活するものと思われます。恵美子先生も「森のオフィス」へ息子に附いて御一緒に行かれるのでしょうか? 

極端に言えば「森のオフィス」は雅宣総裁の個人的趣味の域を出るものではなく、開祖・谷口雅春先生の息の掛かったものは出来るだけ捨て去りたいのでありましょう。「雅宣教団」の最適規模は信徒がせいぜい1万人くらいが最も管理しやすいと考えており、また手許には現金預金が500億円?はあり、教団資産も1000億円あるわけですから、これを独り占めして総裁の椅子に坐っている限り一生の間の生活は保障されているわけであります。

こんな事が果たして許されて良いものでしょうか? 本来なら、全理事・全参議が立ち上がるのが当然でありますが、彼らは超高給待遇ですからそれを失うまいと保身に汲々としており期待できません。信徒全員の力で「雅宣総裁の更迭」を成し遂げ、開祖・谷口雅春先生の『御教え』を復活しなければならないのであります。 再合掌




言いえて妙なり (129)
日時:2013年02月22日 (金) 15時19分
名前:警部補

言いえて妙なり!!

とてもよく纏めて下さいました

ありがとうございます。



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