生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

トップページへ戻る

 

↓↓↓ 訪問者数 ↓↓↓

 

名前
メールアドレス
スレッド名
本文
写真

URL
削除キー 項目の保存


「森のオフィス」は、高級リゾート地で空調の効いた近代木造建築、一体何が自然から奪わない生活か?! (176)
日時:2013年02月24日 (日) 20時38分
名前:公平なる観察者



みなさま御覧あれ! 「森のオフィス」の建築中の写真が掲載されています。「神の子A」さまのスレッドNO.135です。http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=snihonryuu&mode=res&log=68


私はこの写真を見て次のように感じました。

@ 雅宣総裁は、“自然から奪わない生活”のモデルケースを実践する為に森の中へ入り、自然と共に生きるのであると宣言しました。しかし、この写真で観ると、「森のオフィス」の建物事態が、雅宣総裁流で言えば、最初から“自然から奪ったもの”で立てられていることが分かります。回りの唐松の木を大量に電気のこぎりで切り倒し、それを製材会社を使って柱や板に加工し、耐震のために油圧アースドリルで穴を彫って鋼材を打ち込み、ブルドーザーや油圧ショベルを使って整地作業を施し、クレーン車で建物を組み立てる。近代建設機械を総動員して大手の清水建設が立てています。

A 窓は勿論アルミサッシとガラスを使う、屋根には太陽光発電用のパネルを布いて発電する。机や椅子は家具会社から買い調える。衛星通信設備も最新型のものを買って設置する。電話・FAX・パソコンもすごい数が設置される。自動車メーカーからは、電気自動車や1台3000万円の職員通勤用の電気バスが2台購入予定と聞く。

B 一般職員用の社宅、理事参議役員用のそれなりの住宅も建てられるであろうし、最後は豪華な総裁邸?もおそらく建てられるかも知れない。おそらく部屋には豪華な調度品が?・・・

C 職員の家庭食材の大部分はスーパーや生協から調達されるでしょう。燃料も主力はわれわれ末端信徒と同じLPガスでしょう。・・・



このように考えると、果たしてこれが「自然から奪わない」・「炭素=ゼロ」の生活と言えるのだろうか? と首を傾げざるを得ない。更に、「自然との共生」のモデルケースというが、大自然の森の中ではなく、「森のオフィス」を建てたところは、高級リゾート地ではないか! 雅宣総裁のいう「自然から奪わない生活」とは建設費用一切合計150億円、そして毎月の維持管理費用も相当金額を必要とし、更に原価償却費まで入れると年間維持費用はビックリする金額になる。だから、雅宣方式の「自然から奪わない生活・自然との共生・炭素=ゼロの生活」は“金食い虫”であり、セレブのお金持ちにして初めて可能な生き方であります。


更に言えば、雅宣総裁は、「自然との共生」は自給自足の原始生活に戻る事ではないと言っているのである。ということは、雅宣型の「森のオフィス」の生活は、現代物質文明の成果をお金にいとめなく利用活用して、自然の中でのセレブ生活を満喫するものであると言える。自分たちだけは“自然から奪わない”、だけど他人さま方が自然から奪って作ってお造りになったものは、お金を支払って遠慮なく利用活用させて頂くという考え方である。もっと平易に言えば、「自分は手を汚さず、他人には手を汚して貰う」というやり方であり考え方である。



これが果たして宗教家の考え方であろうか? “ 信徒をうまく言いくるめるのもホドホドにしろ! 汝は偽善者である ” と言いたいのであります。宗教家なら「自然から奪わない」などとエー恰好などせずに、「神様が自然を通して私たちに分け与えていただいたものを、その生命(いのち)を拝んで使わせていただきましょう!」というべきであります。このすべてのものに対する礼拝生活ならお金も掛からず、何処でも誰でも実践できる宗教生活ではないでしょうか?



では、真の宗教者ならばどのような姿を示されるであろうか? 


「トキ掲示板」さまには次のような投稿がありましたので謹んで転載せて頂きます。(組織版:投稿NO.909)

<< ・・・宮澤潔氏はオーストラリアの新天地で代表者として赴任する事に決定。総裁であられた清超先生は特別に宮澤氏に特命本部講師の称号を与えられました。 それからというもの、宮澤潔先生はご家族で一から道場建設に取り組まれ、牧場の管理小屋を基点にしながら自給自足の体制作りと自然の中での練成を目指して木を植え、池を堀り、何も無かった牧場を小鳥達の集まる森へと変えていかれたのです。それを現地の人達は大いに感激して協力者が次々に集まり、道場として練成会を開催するまでになりました。しかも宮澤氏は足りない土地をご自分の私財を使って購入され、道場はいよいよ理想郷へと姿を変えていきました。・・・>>

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1322573377/


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜






Number
Pass
SYSTEM BY せっかく掲示板