生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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マサノブ総裁は <大罪> を意識して実践している (200)
日時:2013年02月26日 (火) 00時06分
名前:サーチャー

“和解派の巣窟”とも言われている トキ掲示板 にあって、堂々とマサノブ氏の<大罪>が語られております。


これを受けて“「訊け」管理人”が、
『このままで行くと、教団も本流も「完全スルー」されます。(保証しましょう)』・・と書きました。

すると“トキ管理人”が、
『同意します』・・とのことであります。


軽いですね、本当に軽いです。 トキ管理人はこんな方ですかね・・・

『この<換骨奪胎>の大罪は「和解」できることではないと思われます』・・と書かれているのですから、「いやいや、それでも具体的にこういう“和解案”があるのです」・・てなことを述べて頂きたいですね・・・ (和解念仏和尚なら)



<トキ掲示板(本流対策室/5)>
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254 :トンチンカン:2013/02/24(日) 20:30:30 ID:nFgY2khg
マサノブ総裁は <大罪> を意識して実践している


マサノブ氏が生長の家に係わり出してからというもの、組織内部に大きな亀裂が入りました。

副総裁時代は、それでもスロー、スロー、と周囲を伺いながらの試行でありましたが、総裁となりそして現在では <暴走列車> と言われるようでもあります。

一体、何が問題なのだろうか?



(1)雅春先生の説かれた御教えの <根幹部分> が、“マサノブ教”と言っても頷ける、マサノブ氏の持論に大きく転換されているのです。 この<換骨奪胎>の大罪は「和解」できることではないと思われます。


(2)純朴なる生長の家信徒を、大きく三分してしまいました。 マサノブ教についていけないで離れる信徒達。 今までのお友達を無くしたくない一心から、シブシブ組織内に留まっている信徒達。 そして、高給のエサにやむを得ず従っている“茶坊主”達です。


(3)“聖経”及び“聖典”が思うに任せなくなってきた、そもそもの原因としての<裁判>を起こせしめた罪です。


(4)畏れ多くも、“聖経”を補足すると称して <聖経まがい> を作成し、強引に信徒に読誦させようとしている罪です。


(5)総裁としての立場からして、信徒達に“その模範を示さなければならない”にもかかわらず、<言行不一致>が甚だしいのです。 その最大なるものは“大調和の神示の冒涜”です。ご兄弟に対する対応を見て下さい。<言行不一致>罪です。


(6)結果として、生長の家の <教勢を著しく低下せしめた> その罪です。最近の信徒数の激減の責任は、すべてマサノブ総裁にあります。



以上の内容を見てみると、一般の会社での社長としてなら、即刻役員会にて <社長辞任> となる案件だろうと思います。
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無知の 罪 は深い (219)
日時:2013年02月26日 (火) 23時19分
名前:サーチャー

マサノブ氏は、“宗教的作法” といったものには至って “無知” のようです。


しかし、ご自分が他界した時のことまで配慮して、清超先生にも <大聖師> とされたのです。 将来は “マサノブ大聖師” であります。 こんな所だけは、すごく頭がまわるのです。



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無知の罪は深い (451)
日時:2011年04月07日 (木) 21時14分
名前:くすお

 谷口雅宣さんはブログ(歓喜への道)で前総裁を「谷口清超大聖師」と呼んでおられますが、実はこれは大きな問題があります。
 確かに谷口清超先生の戒名には大聖師と入っていますが、これは雅宣氏が勝手につけたものです。

 実は谷口雅春先生が御隠れになられた時に、側近の後継者の一人であったA氏に
「この大聖師とお付けするのは雅春先生が最初で最後になるようにしてほしい」言われたことを複数の人が確認しています。

さて、谷口清超先生が亡くなられた時に雅宣氏は誰と相談して戒名を考えたのでしょうか。おそらく神官の資格も神道の正式な祭祀も知らない三浦氏か当事の講師部長あたりでしょう。

 そして、谷口清超先生は不本意な戒名を付けられ、さらには御霊位(ミタマシロ)をも用意されないまま(つまり御霊遷しをされないまま)に葬儀が行われ、そのまま火葬場で・・・という宗教上の大失態を受けてしまわれたのです。

これらはすべて雅宣氏と側近の考えられない無知から来ているのです。そしてその無知は今でも平然と継続されていることが雅宣氏のブログに現れているのです。

 このような人が私は宗教家だ・法燈継承者だと嘯き、側近とともに信徒を騙し続けているのです。
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最高裁判所の判決が出ても、まだ裁判を続ける (280)
日時:2013年03月02日 (土) 20時30分
名前:サーチャー

・代表者会議で、イソベさんは、最高裁判所の判決が出ても、まだ裁判を続ける、とおっしゃられているようです・・・・・

・この見苦しい“裁判”をまだまだ続けるとは何ごとか? 

・裁判の大罪の上塗りをするのか?




<トキ掲示板(生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える/4)>
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1144 :トキ:2013/03/02(土) 20:12:16 ID:JcfGZcNY  
著作権侵害で思い出した事を再び書きます。私は、「大自然讃歌」「観世音菩薩讃歌」は持っていないのですが、持っている人に見せてもらった時に、奥付に「谷口雅宣、谷口雅春、谷口清超」という名前が印刷してあったのを記憶しています。その時に、これは個人的な感想ですが、「ご自分の名前を谷口雅春先生、谷口清超先生よりも先に印刷するのはおかしい」という事を感じたのです。まあ、この点は個人的な感想ですから、無視して下さい。

 続いて、執筆者は谷口雅宣先生なのに、お二人の名前を併記する意味は何だろう?という疑問を感じました。谷口雅春先生、谷口清超先生が御生存中、谷口雅宣先生とご一緒にあの「新経本」を共同で書かれたという事実はどうやらなさそうです。もっとも、これは、うかつな事を書くと後で、お叱りを受ける可能性があるので、もし、そういう事実があったら、教えて下さい。

 次に、これを言うと大川隆法の「霊言集」の世界になりますが、谷口雅春先生、谷口清超先生からご霊示が谷口雅宣先生の下り、そのご霊示でこの文章を書いた、という解釈を考えました。しかし、この解釈は機関誌などを読むと、谷口雅宣先生御自身が否定されているという印象を受けました。また、「新経本」を読んだとたんに生長の家宇治別格本山に嵐が来たり、物故者が近親者の夢枕に立ち「新経本だけは読まないで欲しい」と言う事も説明ができないです。
 
 すると、過去の聖経か聖典を改訂したもの、という事になると思います。これは「二次的著作物」に該当する事になります。この場合、生長の家社会事業団が著作権を持っていない聖経あるいは聖典を改訂したものだと、法律上は問題はない事になります。しかし、見た感想では、聖経とくに「天使の言葉」を大幅に参考にしたものという印象を受けます。聖経は生長の家社会事業団が著作権者です。すると、著作権者からすると、この二次著作物に関しても生長の家社会事業団の許諾が必要である、という理屈は言えます。

 念のため、ウイッキペディアを調べると、「この規定によれば、原著作物の著作権者は、結果として、二次的著作物の利用に関して、二次的著作物の著作者と同じ内容の権利を有することになることが明らかである」(キャンディ・キャンディ事件控訴審判決(平成12年3月30日東京高裁判決)。なお原審は、平成11年2月25日東京地裁判決)。とあります。

 代表者会議で、イソベさんは、最高裁判所の判決が出ても、まだ裁判を続ける、とおっしゃられているようです。が、生長の家社会事業団は、最高裁判所の判決に基づいて「新経本」を二次的著作物として、使用差し止めの裁判を始める可能性があります。普通、こういう場合、仮処分を申請するらしいですが、わざわざ総裁のほうから、「谷口雅宣、谷口雅春、谷口清超」とご連名にされた以上、最高裁判所の判決で生長の家社会事業団が勝った場合、これは教団側にはたいへん都合が悪い話になる可能性があるみたいです。(と、言うのは、法律に詳しい友人の話の受け売りです。)

 しかし、どちらにしても、見苦しい争いであるのは確かです。 「裁判を続ける」なんて、つまらない事はやめて、「和解」でいきましょう。それが、一番、正解だと思います。そうすれば、総裁の株も、イソベさんの評判も上がると思いますよ。
合掌 ありがとうございます
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