No.13956 3日放送分 投稿者:ひらり 投稿日:2023年12月04日 (月) 22時30分 [ 返信]
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イ・ドンゴン、豪州で凶器襲撃死亡した弟追悼···「二十歳で止まった」
俳優のイ·ドンゴンがオーストラリア留学中に凶器襲撃で20歳で死亡した弟を思い出した。
3日に放送されたSBS芸能番組「憎い我が子」では、 イ·ドンゴンが20歳で亡くなった弟の36回目の誕生日を祝う姿が描かれた。
この日の放送でイ·ドンゴンは15年前に亡くなった弟の故イ·ジュンヨプの誕生日を祝うために、 白い菊の花束を持ってある聖堂を訪れた。 イ·ドンゴンの弟はオーストラリア留学中に、ただ眺めたという理由だけで、 男性2人が振り回した凶器に刺されて死亡する残念な事故に遭った。
奉安堂を訪ねたイ·ドンゴンは「こんにちは。元気だった?」と挨拶をして 「私が数日遅れた。誕生日なのに。誕生日おめでとう」と弟の写真の前に手紙を置いた。 そして「三十六番目の誕生日だ。36歳になった君が本当に想像できない。 20歳で止まっているから想像がつかない」と切ない気持ちを表わした。
続いて彼は自分の娘ロアの写真を見せながら 「ロアがとても大きくなった。もう私と会話をする」と近況を伝えた。
イ·ドンゴンは「弟が生まれて病院から家に初めて来た日、 粉ミルクとおむつを買って来いと言われて走って行った記憶がある」と言い、 「8歳差で子供が大人になった時、兄が『この中に君がいる』と言ったら、 その子の立場では僕がすごくかっこよく見えたかもしれない」と話した。
続いて「家族同士で弟の話をたくさんする。何ともない話ばかりすること」としながらも 「父親の前では非常に気をつける。父は命日にもあまり行かないようにしている。 それだけ傷が深い」と打ち明けた。
事情に接した出演陣は皆涙を流し、スタジオは涙の海になった。 MCソ·ジャンフンは「家族の方々がとても大変だっただろう」と言って心を察し、 MCシン·ドンヨプは「子供を育てる立場であんなことが起きたとすれば」と話し続けることができなかった。 弟を追慕する息子のイ·ドンゴンの姿を見守っていた彼の母親も涙を見せた。
その後、帰宅したイ·ドンゴンは、 母親が準備した弟の誕生日のお膳を一緒に食べながら弟について思い出した。
イ·ドンゴンは弟ができて楽しかったと言い「小学校の時すごく可愛かった」と記憶していた。 イ·ドンゴンの母親は「兄さんがそんなに好きだった。好きなだけではなく兄を尊敬する」と言っていた。 背も兄より1センチ低いと言っていた、そんな感じだった」と思い出した。
イ・ドンゴンの母親は「細かくコンピューターもどうすればいいか書いて教えてくれた。 まだ書いてくれたノートは持っている」と言い 「ジュンヨプが幼い頃、私が甲状腺のせいでとても痛かった。 私が疲れてしゃがんでいたら「お母さんどうしてそんなに悲しいの?」と言われた。 私ととても仲良く過ごした。それで手放してとても寂しかった」と打ち明けた。
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No.13957 投稿者:ひらり 投稿日:2023年12月04日 (月) 23時03分
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イ·ドンゴンが20歳で止まっている弟の死を告白した。
12月3日に放送されたSBS「憎い我が子」で俳優イ·ドンゴンは、 20歳で亡くなった弟の36回目の誕生日を祝った。
この日の放送でイ·ドンゴンはオーストラリアシドニーに留学中に、 凶器に刺されて死亡した弟の誕生日を祝った。 イ·ドンゴンは奉安堂を訪ねて「36歳になる君が本当に想像できない。 20歳で止まっているから」と切ない気持ちを表した。
続いてイ·ドンゴンは「あの子が生まれて初めて病院から家に来た日、 粉ミルクとおむつを買って来いと言われて走って行った記憶がある。 末っ子、末っ子、赤ちゃんなどが違った。 8歳差で子供が大人になりつつあるから、 兄が「この中に君がいる」と言うとその子の立場では私がすごいように見えるかもしれない」と言い 「弟の話をたくさんする。父の前ではとても気をつける。 父は命日にもあまり行かないようにしている。傷がもっと深い」と話した。
イ·ドンゴンは弟に母親の心配はしないでと娘のロアの写真を見せ、 その姿を見てソ·ジャンフンと母ベンジャーズが涙を見せた。 キム·ヘスクも涙を流しながら「お母さんがどれほど大変だったのか気がする」と残念な気持ちを示した。
帰宅したイ·ドンゴンは母親が準備した弟の誕生日のお膳を一緒に食べた。 母は「兄が好きだった。好きな程度じゃなくて尊敬してるって。 背も兄より1cm低くなるよ。そのくらい」と言い 「ジュンヨプが幼い頃、私がとても具合が悪かった、甲状腺のせいで。 私が疲れてしゃがんでいたら、お母さんどうしてそんなに悲しいの? このように話した。 私ととても仲が良かった。それで送ってとても寂しかった」と打ち明けた。
イ·ドンゴンは「その日を考えてみれば私が覚えているのはそれだ。 私は悲しむ暇がなかった。ちょうど5秒悲しかった。 5秒崩れ落ちた後母を探した。 お母さん今どう?お父さんは?その後ずっとそうしていたようだ。 オーストラリアに行って収拾してきて葬儀をするまで。 私はずっとお母さんに会ってお父さんに会って、大丈夫かな。 私は実はあまり大変だとは知らなかった。 両親が大丈夫であることを確認した後、押し寄せてきた」と話した。
母親は「お酒を飲まなければ眠れない」という話を聞いてとても心が痛かった。 私は自分自身をあまり大事にしなかった。 私のことばかり考えてたんだ申し訳ない」と息子のイ·ドンゴンに謝罪し 「その時一番大変だったようだ。火葬する時考えてみてください。どれほど大変なことか」と振り返った。
イ·ドンゴンは「私たちが電話に出て3時間後に飛行機に乗ってオーストラリアに行った」と言い、 「私は楽に連れて行こうと要求した。どうやって韓国に連れて行くんだ。 早く火葬をしてあげよう。韓国ではなくその処理過程が遅れて子供が変わっていく姿を見ると。 きれいで天使のような姿で残して火葬をして連れて行こうと私が要求した。 胸に抱いて帰ってきたのが私には意味があった」と話した。
イ・ドンゴンの弟は休学して韓国に来て1ヵ月を兄の家にいたが、 オーストラリアに帰ったばかりでこの世を去ったという。 イ·ドンゴンは「20歳の誕生日にナイトクラブに行ってはいけないのか。 思う存分食べて遊んでお金を払って家に帰った。 私は演技する時だからナイトクラブで遊んではいけないと思った。 それが私が見た最後の誕生日だ。私が何だって。 一緒にお酒を一杯飲んだらどんなに面白かっただろうか。 誕生日になると大変だ」と後悔した。
またイ·ドンゴンは「この子が帰って一週間? 間もなく立ち去った。 夜電話がかかってきた。何かあったの? 何事もなく、 兄さんに愛してると言いたくて電話したって。 その瞬間は何? どうしたんだ? 顔を熱くして。 その一方で兄もお前をすごく愛してるって言った。 僕も兄を愛してる。笑いながら電話を切った。そこまでしてくれたのだ。 後悔はしなかった」と言い、弟と一緒に過ごした1ヶ月が贈り物だったと話した。
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No.13958 投稿者:ひらり 投稿日:2023年12月04日 (月) 23時19分
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弟さんが亡くなったのが2008年3月20日・・・
ドンゴンさんは日本で「ツキアカリ」のCDをリリースする直前でした。
それから15年も経つんですね・・・
来週の予告編によると、ロアちゃんとラブリーな時間を過ごすようです。
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