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教えて!育児と介護

『育児と介護の両立を考える会』
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すべてが掲載ということにはなりませんが、皆さまのお知恵を
多くの方に知って頂く機会になれればと思っています。

〜過去のお題〜
9月・10月のお題『育児と介護が重なった!まず何をする?何をした?』
11・12月のお題『私のストレス発散・解消法』

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助けてくれる人をさがしました よるうさぎ 2006年09月30日 (土) 18時13分 No.9

icon こんにちは。我が家の場合は特殊事情ですね。
倒れたのは夫、しかも新幹線で2時間半の出張先。

私がまずしたのは、「助けてくれる人をさがす」ことでした。右も左もわからない土地、子供と離れた生活を余儀なくされ、仕事にはいつ戻れるかわからない。病状が安定してくれば地元の転院先を自力で探さなきゃならない。とても助けなしには乗り切れませんでした。

そして今振り返ると本当に沢山の人が助けてくれました。
実家の母は我が家に泊まりこんで子供を学校に送り出してくれました。
妹は自分の人脈やノウハウを駆使して転院先に関する情報を集めてくれました。
弟のお義母様は、お知り合いのリハビリ医師を紹介してくださいました。この先生は一面識もない私に、専門的見地からアドバイスをしてくださいました。
娘の学童の先生は不安定な娘をサポートすると共に、私のこともずいぶん励ましてくれました。
職場の同僚は、私の抜けた分をフォローしながら、様々な手続きをとってくれました。メール一本で電話番号まで調べてくれたり・・・遠隔操作した先輩を助けてくれてサンキュ☆
夫の転院先となったセンターに同期の友人がいたのはとてもラッキーでした。電話一本で面会の予約、面談一回で転院日が決まりました。
娘関係のママ友達にはすぐにメールをしました。「夫が倒れて危険な状態、もしものときは娘をお願い」・・・すぐに返事「わかった、がんばれ!」涙が出ました。その後も子供を預かってくれたり、私の愚痴を聞いて一緒に怒ってくれたり、心身ともにありがたい存在です。
病院で同じICUに入っていた患者の奥様達とはすぐに親しくなり、励ましあうだけではなく、私を心配してお食事に誘ってもいただきました。2年半経った今でも時々電話でお話します。
もちろん、夫がお世話になった病院や施設には足を向けて寝られません。

困った時って、今まで築いてきた人間関係が力を発揮するものだということを実感。
そして、人間性があぶりだされてしまうものです。

夫の会社の社長は、夫が倒れて1週間以上経ってから病院を訪れ、自分がいかに健康に気をつけているかを得々と話して帰りました。悔し涙が出ました。(きっと自分が来た事に私が感謝して泣いていると思っていたはず。)−夫は社長が大好きでした、たぶん今でも。
義父に「お義父さんがかかりつけている脳神経外科の先生に、転院先の心当たりについて聞いてみてください。」とお願いしたら、「先生は忙しいから、迷惑かけられない。」と断られ、義母には「あなたも大変よねぇ、○○(夫)と△△(娘)の二人抱えて。どうしてこんな事になっちゃったのかしらねぇ」と、他人事のように言われました。(義母はその少し前まで欝がひどかったのですが、私の不幸を見た途端、なんだか元気になりました。助かったには助かったのですが・・・)−誰の子供?
夫が「子供の頃は兄弟みたいにしてた」という従兄弟達は誰一人見舞いに来ませんでした。−所詮は従兄弟よね。

だから今でも私は夫関係の人間を信じていません。利用はするけど頼るつもりはありません。
・・・多分に愚痴が入りました。スミマセン。

何よりはっきり言えるのは、私が頑張ってこられたのは、頑張っていられるのは、娘の笑顔があるからです。
彼女が一番私を理解し、一緒に頑張り、支えてくれました。ママを助けてくれて、ありがとう。


育児と介護が重なった まず何をする・・・した・・・ う〜ん なこ 2006年09月21日 (木) 21時19分 No.8 mail home

icon こんばんは なこです。
我が家の場合介護が先に有った、これが多くの方とは違った点かもしれないですね。
結婚する前から義母はリウマチが進行していて将来寝たきりになるだろうと
分かって結婚しましたから。でもここまで介護を含めて人間関係で
こじれて育児とダブル大変!!になるなんて・・・想像すら
出来ませんでした。
だから育児もまぁこんな中でもするもんだ!ぐらいにしかね。

でも最初の子は新婚三ヶ月で流産して1年できませんでした。
そろそろ義母の介護と言うより嫁と姑でぶつかり始めていたので逃げたいばかりだったな〜(笑)

本格的に育児と介護!になったのは1年して長女を妊娠した、
妊娠が分かったと同時期から始まった義祖母の介護からでした。
今から思えばそれまでに義母の介護してるのに義祖母が来る事自体
何でこうなるねん!と思いますが、当時は受け入れるのみで
良いか悪いかなんて考える事すら選択枝にありません(苦笑)。
要は私が居るからね〜 看て貰えばってことだったんでしょう。
それが25の冬でした。周りには結婚した友達すら居なくて
妊娠自体も一度流産していてとても不安でした。
妊娠期や子育てについて相談する人も居なかったから・・・
介護の相談やましては当時痴呆と言われていた91歳の見た事もない
義祖母の介護の方がよっぽど不安でした。

そんな私がまずしたこと・・・ 
それは介護書を読んだなんです(苦笑)。
その頃インターネットなんて物は身近にありませんでした。
そして頼れる仲間も友達も親も介護経験ゼロだったんで・・・
まったく当てにならず、頼れるはわが身のみと言う怖ろしい状態で
始まりました。今振り返ってもすごい状態(汗)。

今にして思えば、まず的確な情報を集める事かな・・・
と行っても逆に今は情報が氾濫しすぎていて分かっているようで
実際は介護って何?ってことになるのかな〜とも思います。
必要な情報を集める使える制度や吐き出せる仲間作りなど、自分で背負いすぎない方法を探すでしょうか・・・。

もともと育児中で介護をすること自体かなり異常時態だと
最近振り返ってそう思います。頑張っている仲間の皆さん、
くれぐれも心身ともにまず皆さんの状態を大事にしてくださいね。


家探ししました ハンサングン 2006年09月21日 (木) 20時21分 No.7

icon  父が認知症で放っておけないと確信したのは、私が都内の病院で子供を産んだ後、産褥熱で入院が長引いて体力を消耗していたので車で迎えに来てくれるというのに全く来れなかった時からです。まさしく、子育てと介護が同時に幕開けした退院日でした。
 まず最初に考えたのは、父の部屋を一つ確保できて、夫婦・子供とも逃げ場所を設けられるような間取りの家を探すことでした。二世帯住宅を建てるほどの財力も土地もなかったので、マンションを探すしかありませんでした。
 民間賃貸も公団もほとんどが核家族を想定した間取りですから、家賃の高い面積の大きいところ(数も少ない)しかありませんでした。
 そんな高い家賃が払えるならローンを組めると思ったので、新築マンションのモデルルームを見始めた矢先に、コーポラティブハウスという、組合を作って土地の購入から各戸内の設計までを自分たちでする共同住宅を買うことになり、出来上がるまでの間、安い一次貸しの一軒家を借りて父を引き取りました。今は出来上がった住宅で父と同居しています。
 共同住宅を建てるときから、一次住まいの時、新居に入居の時から現在まで、ご近所や地域の方々にことある毎に認知症のことを話しておいたので、家人の目の届かないときに幾度となく保護してもらったり、お世話になっています。
 住む家の準備と同時進行でしたのが、精神科の主治医を決め、認知症向けのデイケアに自費で通い、同時に介護保険の申請をすることでした。要介護1から始まって、現在は要介護3なっています。
 呆ける前は子煩悩で子供達から人気のあった父ですが、今はたわいのないことで本気で子供と衝突したり、怒鳴って威嚇したり、身なりも汚くなってしまって、娘に嫌われています。でも、お互い子供のようで、機嫌の良いときには仲良く遊んで、『おじいちゃん、だーい好き』と言ってもらえるときも偶にあります。
 子供にはあるがままに付き合って、時には喧嘩してでもやっていってもらうしかないと、諦めています。おじいちゃんがいずれ亡くなって、子供が大人になって、うちにも認知症のおじいちゃんがいて、大変だったなあという経験だけ残れば良いと思っています。
 私自身も父に怒ったり腹が立ったり無視したりするときが多々ありますが、父もすぐ怒られたことを忘れているし、私もよく休めば根気が続くし、感情をあまりセーブしていません。
 盆暮れ連休には父をショートステイに預けて、家族で出かけてリフレッシュしています。
 夫婦とも外で働いており、子供も保育園の延長班なので、実質父と接する時間が極めて少ないので、何とかやれるのだと思います。
 介護保険様様です。


そりゃあ、実父ですけど・・・ ベンチ 2006年09月19日 (火) 22時35分 No.5 mail

icon 退職後、だんだんと物忘れがひどくなり、これはヤバイぞと気付いた時の子どもの年齢は3歳でした。当時から同居していましたが、父親としても人間としても尊敬できるような人ではないので、ただそこから逃げたくてしょうがなかったのをはっきりと覚えています。(今でも・・です。)子どもに文句を言ったり、怒鳴ったり、挙句の果てには「出て行け」とまで言い放ち、毎日のように泣いていました。病気だからと説明したところで理解できる年齢でもない。優しくしてあげようねといっても、既に、じじい=嫌な人と子どもの中でインプットされているので当然拒否。間に入って、孫とおじいちゃんの良い関係を築く事は出来ない、と言うよりしたくありませんでした。未来ある子どもと壊れてゆく老人のどちらをとるか。当然子どもです。挨拶だけで、あとは関わらないようにして、子どもが子どもとして可愛がってもらえる環境を心がけました。当たり前の事が簡単に出来なくなるんです。当たり前の事がわからない人がいると。


あれ〜同居じゃなくて、介護なの? くーにー 2006年09月09日 (土) 12時54分 No.4

icon ・・・身内介護拒否、認知症爺さん廃用性症候群・・ 

・・くーにー家は突然、爺さんがやって来たから・・。
爺さん 多発性脳梗塞、正確、おとなしく、無趣味、絵に描いたような仕事人間。
が、子供昔から、そう、行き来が無く、あぁ^おじいちゃんっー感じの人がいきなり今日から一緒に住みます状態。
身内、介護放棄
我が家 
子供、2歳・7歳・12歳
長男、反抗期、思春期真っ最中!!
同居、半年、失禁、爺さん対子供とのいざこざ・・・。
爺さん、好き放題、
寝てるか、テレビ見てるか、子供達にちょっかい出して、
怒らせてるか、冷蔵庫漁ってる、子供達のお菓子もアイスも食べちゃう・・
子供の怒って
子供私の実家にプチ家出状態・・。
主人に言っても、「我慢しろ!爺さん病気なんだから!」
子供達同居の話聞いて無くて、納得してないから
主人、ボケじゃない!脳梗塞の後遺症だぁ!
主人あくまでも認知症と認めず。

私達の話を聞かず・・。
認知症の症状がでてるから介護認定してと頼む・
爺さん家族に話をしたが動かないで、
私が
近くのデイサービスセンターに駆け込み
介護認定の申し込みの仕方を教えてもらい
手続きをする。
介護サービスを受ける・・。
同居してから、爺さんに毎日日記を書いてもらい
横に、爺さんの日常、出来事を書いておいたのがあったから
それが決め手で、主人に介護認定の承諾貰う。
   「介護日記」
      併用に子供達とのいざこざも書いておくこと。
我が家はマンションなので、
  爺さんの部屋は1つあるが、
扉にかぎはつけてないので、
  爺さん、子供部屋にも入る、私の布団で寝てるときもありました・・
歯ブラシも、コップも使ってしまうので、

「爺さんには、自分の物意外は使わない」と
                 徹底してます。
     コレは、子供達のため。
         小学生の娘が凄く嫌がるので
  

 「 和室は子供の避難場所。」
  爺さんが入ってはいけない部屋を作った。
  
  とりあえず、子供を守る。

   っと、爺さんがいること、ストレス生活を強いられてはいるが、それが、嫌な事の逃げ道にならないようにする。
  (我が家の場合、不登校になったから・・学校でのイジメと爺さんのストレスが重なり、逃げ道に使ってきてことがあり、息子とも戦いました)
  
    とりあえず、子供の居場所確保。
       我が家の場合
      義母、主人、義妹身内介護拒否の場合・・
 
  
  


お婆ちゃんがたいへんだ! パタパタママ 2006年09月04日 (月) 22時38分 No.3 mail home

icon 7年前の夏に糖尿病から尿毒症に・・・。
生死の境をさまよって人工透析のお陰で命取り止めたお婆ちゃんは約3ヶ月を経て退院も見えてきました。
その頃はまだ介者護保険も始まったばかりで申請もしていませんでした。
私の母が人工透析を受けていた関係上何かと参考になりました。
身障者手帳の申請、介護保険の申請まずこれをやりました。
介護保険については申請が下りる前にヘルパーや送迎がどうなるか先へ先へと行動して行きました。
その時子供は3歳になる前で保育園を捜そうかとは思いませんでした。
と言うのも思いつく事もなかったのです。
市役所に行くのにも連れて行きどんな時も常に一緒に行動しました。
お婆ちゃんが退院して着てからも私の手伝いを良くしてくれオムツをもって来てくれたり、お婆ちゃんの手を拭いてくれたり・・・私1人での介護ではなく子供も一緒に介護してくれている様でとても心強く思いました。



9月のお題 『育児と介護が重なった!まず何をする?何をした?』 ぴい(管理人) 2006年08月29日 (火) 09時15分 No.2 mail home

icon 早速ですが、9月のお題です。

『育児と介護が重なった!まず何をする?何をした?』

育児と介護が重なることは、多くの場合突然起きるもの。
その時、皆さんは何をしましたか?
また、今思えば何をすればよかったですか?

箇条書きでも、長い文章でも構いません。
思いつくままにご投稿ください!

ご投稿は、新規投稿でも、返信の形でも、OKです。


教えて!育児と介護 ぴい(管理人) 2006年08月29日 (火) 09時13分 No.1 mail home

icon この掲示板は、毎月1つの「お題」を掲示、皆さまの意見や体験談などを書き込んで頂き、ゆくゆくは「育児と介護の両立 Q&A集」を作ろうという目的を持った企画掲示板です。

こちらで集まった声は、日本医療企画発行の「かいごの学校」内「育児と介護の両立を考える会」関連ページで紹介される予定です。

かいごの学校での掲載の場合、
(1)同じハンドルネームで掲載します。
(2)在住都道府県と年齢を加えさせていただく場合がある。
(3)内容から個人が特定されそうな場合は、その部分を伏せるか、在住地を省くかどちらかで対応します。
(4)投稿文の編集は編集部は「かいごの学校」編集部が行い、最終の確認は、当ホームページの管理人が行います。

すべてが掲載ということにはなりませんが、皆さまのお知恵を多くの方に知って頂く機会になれればと思っています。

尚、新連載開始は追ってお知らせいたします。

どうぞよろしくお願いいたします。





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