家系研究協議会掲示板(別館)
菊池一族について
[457] 題名:福島県伊達市の木口氏 名前:菊池藤兵衛 投稿日:2012年10月12日 (金) 05時46分
興味が引かれるお話しですね。
そういえば、福島県伊達市梁川町には、先祖が(一時的に)木口を称した、という伝説を有する菊池氏があります。
天草市においても、菊池を秘して木口にしたのか?
何か分かると面白いですね。
[456] 題名:熊本県の木口氏 名前:吉三郎@上総 MAIL 投稿日:2012年10月06日 (土) 13時22分
夏ごろの話で恐縮ですが、NHKの番組名は忘れましたが
熊本県天草市通詞島という島があり、その島に住まれている島民の方ほとんどが、木口氏というのを放送していました。
室町時代に通詞(通訳)が住んでいたから島名になったそうです。
菊池氏との関係はどうなんでしょう?又、東北の木口氏との関係は?
なにか関係があったらおもしろいですね。
[455] 題名:ご無沙汰しております 名前:菊池藤兵衛 投稿日:2012年09月15日 (土) 09時54分
今年は何かと忙しい年回りとなり、なかなか思うようになりません。何とか来年には・・・と思います。
さて、興味深い内容ですね。
菊池一族で相模に屋敷拝領とは、ひとつ東国との接点が増えましたね。
また、覚勝は、一説には、赤星有隆の子・寂正の誤りでは?とされている人物ですね。
また、新たな発見があると面白いですね。
[454] 題名:大発見と思いきや 名前:吉三郎@上総 MAIL 投稿日:2012年09月11日 (火) 20時54分
ご報告いたします。
最近「大日本古文書−家わけ第一 高野山文書」を眺めていたら、鎌倉時代の文永(1264年)〜健治(1277年)年間くらいに高野山と地頭湯浅宗親が相論となった史料があり、
その文書の中に「兵藤図書入道」なる人物を発見しました。兵藤氏は古くに菊池氏と分かれているので同族かなぁと思い「天草郡史料第二輯」所収藤原本系図を見てみました。
それによると、菊池第二代経隆の子息で山鹿大夫経政の子孫に兵藤左衛門尉景弘(法名弘圓)がいて、永仁六年(1298年)に相模国に屋敷を拝領した事が書かれていました。
この人物の父親(左衛門尉景光:法名專阿)が「図書入道」でしょうか?
こんなとりとめない事を考えていたら、
この系図で政則の兄弟となる文時から始まる高木氏の分流に日向国高木氏の祖、実遠の九代後の子孫に高木宗重:三郎左衛門尉、法名:『覚勝』なる人物を発見しました。
菊池一族の中で不明とされる人物「菊池覚勝」と同じ法名になります。
単にこれだけなら偶然と思われるのですが、宗重の三代後の久家は応永元年(1394年)島津氏の北郷久秀らと共に今川貞兼と戦った様です。
参照:「北郷久秀・弟忠通の生きた時代」と検索してみて下さい。
この事から、高木久家は菊池惣領の武朝と同じ世代にあたると思われ、三代前の高木宗重=覚勝は武時の世代になり博多日記などのいう「左衛門三郎、武時舎弟覚勝」と符合すると思うのですが、如何でしょうか。
ただ、すでに大正〜昭和に刊行されたもので、多くの方が気付きながらも確証(笑)となるものがないので騒がれなかっただけでしょうね。
[453] 題名:東京例会 名前:吉三郎@上総 MAIL 投稿日:2012年08月08日 (水) 22時23分
管理人
馬原様
入院中とお聞きしました。お見舞い申し上げます。
私も参加しましたが、講師の方の膨大な資料を見てやはり家系研究は熱い情熱をお持ちの方が多いなと感じだ次第です。
私としては盛会だったと感じております。
役員の皆様
大変お疲れさまでした。
次回の関東での例会を楽しみにしております。
今後ともどうぞよろしくお願い致します。
[451] 題名:菊池市及び熊本県の水害 名前:吉三郎@上総 投稿日:2012年07月12日 (木) 18時47分
50年に一度の大雨とのことで、心配です。
心よりお見舞い申し上げます。
これ以上被害が広がらない事をお祈り致します。
本館のページが表示されない様ですが何かあったのでしょうか?
[450] 題名:御礼 名前:菊池 MAIL 投稿日:2012年07月07日 (土) 09時09分
吉三郎様
ありがとうございました。我が菊池家の先祖代々の墓は大分県中津市にありましたが、老朽化と墓参りに不便を感じ、現在では北九州市に移転しました。ひいお爺さんは、教育熱心で北海道に渡り、学校を創立したそうです。父からは菊池家の先祖は武士であったと語っておりました。ウィキペディアで家紋を検索してみますが、又、「丸に違い鷹の羽」の家紋は代々使用されていたそうです。
[449] 題名:家紋 名前:吉三郎@上総 投稿日:2012年07月03日 (火) 20時10分
家紋については、調べ始める時に、名字と家紋は調査の手掛かりにはなるとは思いますが、
ウィキペディアで「家紋」と検索してみて下さい。
特に「脚注1」が大変参考になると思います。
それと、「家紋はこれを使う」と定めた時代が何時なのかも大事だと思います。
ちなみに私の家は、私が小学生の時に本家の祖父、祖母が亡くなった際に、新しく墓を建立する事になり、
それまで使用していた家紋は、数代にわたって婚姻をしていた家(親戚)の家紋(九曜)である事から、
伯父、父、本家の従兄弟が先祖の墓の中で一番古い墓に彫られていた家紋(四つ目)を使うと決め、
以来、その家紋を使用しています。(本当はどうなのでしょう・・。←もっと調査を!してほしかった)
菊池氏の子孫かどうかについては、私は素人ですので参考程度にして頂けたらと思います。
単純に考えれば、名字:菊池ということですから、可能性は高いと思います。
又、九州のご出身(代々であれば尚更)とのことですからこの面からもそう言えると思います。
但し、厳密にいうとなると史料などで確認しないと明確に「子孫」とは
言えないのでは?と思います。
私の家系もどうなんでしょう。
[448] 題名:私も菊池一族の子孫でしょうか? 名前:菊池 MAIL 投稿日:2012年07月02日 (月) 19時39分
私の出生地は現在の福岡県北九州市門司区新町です。
家紋は丸に違い鷹の羽です。年齢が67歳となり、何故かルーツを知りたくなりましたが、情報としては、名字と家紋と出生地しか解りませんが、宜しくお願い申し上げます。
[447] 題名:「丸に違い鷹の羽」の歴史 名前:kobayasimituo MAIL 投稿日:2012年05月15日 (火) 10時42分
菊池家の家紋が「丸に違い鷹の羽」とお聞きし、私の小林も同じ家紋ですので、何か菊池家の歴史に関わりがあったらご教授下さい。小林家は代々埼玉県ですので関係ないかも知れませんが「小林」の家紋に興味があります。