家系研究協議会掲示板(別館)
菊池一族について
[414] 題名:菊池家と相良家 名前:梅の葉 投稿日:2011年03月21日 (月) 04時10分
私は趣味で歴史研究をしています。
調査研究の折に、相良の姓の中に鷹の羽紋の方が多くおられると聞いたことがあります。
しかも、「丸に違い鷹の羽」紋の方がおられると聞きました。
この方の姓と家紋から、菊池家と相良家の関係はどのようなことが考えられるのでしょうか。
詳しい方教えてください。
よろしくお願いします。
[413] 題名:被災地の復旧を祈ります。 名前:八丈島菊地氏後裔 投稿日:2011年03月20日 (日) 05時46分
各地で今回の巨大地震津波の影響と被害が甚大で、遠く海外に居ながらも、情報に触れる度に、深く心が痛みます。 そういう中でも、被災地の皆さんの模範的人間としての素晴らしい姿勢には、世界中の人が深い感動を与えられています。
ご無事だった方々も、先々が心配ですが、今も世界中から温かい支援声援、そして尊敬畏敬の賞賛が送られていますね。 この悲惨な惨事と対応を教訓に、世界が浄化善化正常化していくことを祈ります。
[412] 題名:ご無事でなによりです。 名前:吉三郎@上総 MAIL 投稿日:2011年03月17日 (木) 08時47分
突然の大災害に被災されました事、お見舞い申し上げます。
心配しておりました。一安心です。
被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
行方不明者の方々が早く見つかりますようお祈りいたします。
[411] 題名:無事でした 名前:菊池藤兵衛 MAIL 投稿日:2011年03月16日 (水) 21時58分
宮城県名取市は激震地でしたが、幸い住まいが高台なので、無事でした。
ただし、海岸に近い地域のダメージは深刻です。
菊地姓の多い地域です。
[410] 題名:情報 名前:吉三郎@上総 MAIL 投稿日:2011年02月21日 (月) 22時11分
今更ながら・・・
重富与一について
杉本尚雄著「菊池氏三代」吉川弘文館に「系図の別の1本には武村の兄武門のことであるともしており、
いずれが正しいか決定すべき証拠はない。」とありました。
玉名歴史研究会「歴史玉名」第13号に「異本菊池系図」が紹介されており、同様の記事が載っていました。
「異本菊池系図」について別件ですが・・
巻頭の「異本菊池系図発見さる 田辺哲夫 著」の記事によれば、江戸時代初期の系図だろうとの事です。
十四代武士の子息として、
修理進 武豊 玉名殿、
筑前守 武堂、
彦二郎 武義 於蜷打武安ト共討死、
とありましたが年代を考えてみると武豊、武義が子息にはならないかも知れませんね。
もう1件
msnのサイトに菊池市で行われる「イケ武者コンテスト(賞金あり)」が紹介されています。
同時に「姫」のコンテストもあるようです。
[409] 題名:仮説ですが・・・・ 名前:吉三郎@上総 MAIL 投稿日:2011年02月08日 (火) 23時33分
しげみ 様
はじめまして
重冨与一ですが、更に調べてみました。
熊本史学第28号、「花岡興輝 校訂解説、菊池古文書」によると、
「肥後古記集覧−菊池古文書」について「花押などに疑いがもたれるものも若干あり、
また記載の形式が原本に忠実であると思えないものもあるが殆どが正文であり、
特に寄合衆・家臣交名にあらわれる人びとの多くは、諸書によって、
その正しさが裏付けされる」とあり、菊池武重が延元三年(1338年)に書いた「菊池寄合衆起請文」に
内談評定衆として、片保多太郎殿、菊池与一殿、迫間十郎殿、木野対馬殿、大木刑部殿があり、
菊池与一が菊池武村になると思われます。
ちなみに、ほぼ同時代にもう一人「菊池与一(武隆)」がいますが、上米良純臣編「菊池一族遺文集」には
「武隆:寄合衆の一人、片保田氏の祖である」としていて片保多太郎になる?と思います。
重冨与一武村が建武三(延元元年)年(1336年)に大渡橋の合戦で討ち死にというのは違っていて、
後に重富と称したのでないでしょうか。
ご期待に添えず申し訳ありませんが、以上仮説まで。
[408] 題名:弔慰 名前:吉三郎@上総 MAIL 投稿日:2011年02月08日 (火) 22時53分
家研協の会報により知ったのですが、
理事の瀧井氏がお亡くなりになったそうです。
お会いした事はありませんが、菊池武光分流で赤星氏系の家系にあたられる事も会報により知った次第です。
会員、同族として心より御霊やすらかなんことをお祈りいたします。
[407] 題名:ルーツを探す旅の始まり‥ 名前:しげみ MAIL 投稿日:2011年02月08日 (火) 00時07分
はじめまして。
福岡県うきは市吉井町出身のの重冨と申します。
以前、地区の重冨家先祖祭りに父に代わり代理出席をして以来、重冨のルーツに興味津々です。
父の話では菊池一族ではないかと思われるけれど史料があまりに少なく菊池市に行って調べたら何かわかるかもでした。
「菊池武村‥重冨与一、熊本市の画図湖の近くに所領を賜り分家、京都の合戦にて死亡‥」等々の話は聞きましたが、それが自分のルーツに当てはまるのか?不明です。
ひとつ確かなことは、家紋が「違い鷹の羽」くらいでしょうか。
家紋から勝手に菊池一族ではないかと推察するのみです。
[406] 題名:菊池伝説殺人事件 2/7(月)放送21:00〜TBS系 名前:宣伝 投稿日:2011年02月07日 (月) 18時08分
宣伝でした
[405] 題名:RE:菊池一族・重富祖 名前:馬原 浩一@管理人 投稿日:2011年02月06日 (日) 22時30分
重富さん、こんにちは。
吉三郎@上総さんが書かれていた由比重冨氏につきましては、東大史料編纂所のデータベースに
「由比重富系図」というものがあり、ネットで画像も見られます。
まずは、データベース検索の入り口
http://wwwap.hi.u-tokyo.ac.jp/ships/db.html
から、中ほどの「データベース検索画面」をクリックしてもらい、データベース検索画面が出たら、
左上の「史料の所在」の中の「所蔵史料目録データベース」をクリックしてもらうと、キーワードを
聞いてきますので、ここに「由比重富系図」と入力して検索キーをクリックすると見ることができます。
また、重富姓の現在の分布を電子電話帳の「写録宝夢巣」で見てみますと、
全国に778軒登録があり、そのうち福岡県が210軒で1位、山口県が125軒で2位、佐賀県が76軒で3位と
福岡県を中心に集中していますし、熊本県は12軒あるのですが、菊池市一帯には存在しませんし、
大都会の熊本市の4軒を除くと、県南部の人吉市に3軒、相良村に2軒、県西部の天草市に2軒、
県北部の荒尾市に1軒となっていて、重富与一武村の子孫というのは確率は低そうです。
恐らく、肥前国早良郡、志摩郡を中心に発展した由比重富氏一族の子孫ではないでしょうか?