家系研究協議会掲示板(別館)
菊池一族について
[394] 題名:源流 名前:吉三郎@上総 MAIL 投稿日:2011年01月20日 (木) 20時47分
菊池市史(上巻)を読み直してみました。
たしかに菅原雅隆とありますね。最勝寺 菊池さんの御説も考えられますね。
今回、菊池市史を読み直した事で改めて菊池氏の出自について興味を持つようになり
他にも志方正和氏の論文(菊池氏の起源について)を読んでみました。
今後、菊池氏の出自についてもルーツ調査のテーマに加えたいと思いました。
[393] 題名:蔵規の発音 名前:菊池藤兵衛 投稿日:2011年01月20日 (木) 00時45分
かねてから藤原蔵規がなぜ「まさのり」という疑問を持っていました。「くらのり」が自然なのに、と思っていました。
春記の記載の発見、そのインパクトがその不自然さを覆い隠してしまったのかもしれないと思います。
なお、貴見を拝読して、私なりにはっとすることがありました。
[392] 題名:春記 名前:最勝寺 菊池 投稿日:2011年01月18日 (火) 15時51分
春記に記されている内容を前提に考察せず 他の伝承資料だけで
出自について 語るのは今日では無謀と考えます
また 春記を前提とすると 私見の詳細を語ることには
祖霊に対し心が痛み 葛藤が生まれます
出自については 結論に近いところだけを示します
詳細は 皆様方が 資料に当たって この因果を紐解いて
ください
春記に記された 隆家が第一の郎党 則高 正高父子は
阿闍梨 良正 の血縁の者であります
藤原蔵規とは 全くもって関係ありません
祖霊へ 合掌
[391] 題名:初めての見解です 名前:菊池藤兵衛 投稿日:2011年01月14日 (金) 23時41分
菅原氏という見解には初めて触れました。
なるほどと思われる反面、謎が深まった感じもします。
菅原氏で通しても良さそうな感じもします。
あえて藤原氏を仮帽した積極的な理由は何か?
そのあたりに関心が持たれました。
意外な展開に目が離せない心境です。
[390] 題名:大宰府安楽寺 名前:最勝寺 菊池 投稿日:2011年01月13日 (木) 00時19分
大宰府安楽寺領 赤星荘に荘官として延久年間に下向
菊池の由緒については必ずこのように記されます
安楽寺は寄進地系荘園の上に発展してきました
しかし 他の神宮や社寺とは内情が異なります
大宰府安楽寺は 菅原氏の氏寺(天台宗)であります
国家鎮護などのために存在したのではありません
学問の守とされたのは後世においてです
本来は怨霊の祟りなきよう御霊を抑える
そのために中央貴族たちは寄進したのであります
安楽寺領の荘園管理 荘司 預所 下司などの荘官補佐は
菅原氏長者が決め 菅原氏血縁によってつながる
寺領支配をしておりました
御祭神と血縁によってむすばれている一族が領家寺 寺領支配
これを世襲としていたのであります
藤原蔵規 赴任してきた藤原隆家らとの血縁を考察して
資料を紐解き 菊池一門の歴史に一石を投じた様な論考を
発表し塗り替える
見識者は 権帥 藤原隆家 大監 藤原蔵規 この両名と
肩を並べて補任されている 大監 菅原雅隆 この人物が
誰であるかに時間を割くべきであります
菊池一門 祖霊へ 合掌
[389] 題名:仮冒 偽系の対象 名前:最勝寺 菊池 投稿日:2011年01月12日 (水) 05時14分
氏族の出自について 仮冒偽系とするのは たやすいことです
自らの出自を系図にしたため その氏族であるとした理由が
何であったかが大事であると考えます
菊池一族は ならばどの氏族であったのか?
私は確信しております。
菅原道真(すがわらのみちざね)の一族であります。
菅原道真-高規(高視)-雅規(まさのり)・文時(ふみとき)
この父子孫三代にわたる方々に 一門のすべてが集約されます
つづきは 次回へ
合掌
[388] 題名:諸説 名前:菊池藤兵衛 MAIL 投稿日:2011年01月07日 (金) 19時59分
明けましておめでとうございます。
今年も宜しくお願い申し上げます。
さて、最勝寺 菊池様の着眼興味深く拝見しました。
「増誉」はノーマークでした。
一方、数ある菊池氏に関する系図等は藤原隆家を祖とする点は共通ですが、その先が諸説分かれます。
私もよく分かりません。
「増誉」との関係がその謎を解くカギになるのでしょうか?
興味が持たれました。
宜しくお願いします。
[387] 題名:お詫びと訂正 名前:最勝寺 菊池 投稿日:2011年01月07日 (金) 14時51分
藤原定任を藤原為任の子と訂正いたします
文献上の定説に従います
当家の関係者よりお叱りを受けました
独断もはなはだしいとの沙汰でございます
過ぎたるは及ばざるがごとし
誠に申し訳ございませんでした
合掌
[386] 題名:藤原定任の件について 名前:最勝寺 菊池 投稿日:2011年01月06日 (木) 17時34分
則高・正高父子は藤原隆家の郎党であります
結論から申し上げて 父子は配流の身となったはずです
他家において 郎党とされる人物の不祥事の処罰例が
今日まで伝わっております
蔵の物を盗んで配流となり 府官が辞職もしくは罷免となる
このような例は数多くありました
藤原隆家は 翌1041年 権帥を退任?して帰京します
処罰が実施されたはずです
則高・正高父子は九州在地へ戻ることは無かったと思います
所領も かなり没収され 一門 府官出仕の道も閉じられました
この急場から藤原隆家・経輔・二代目「経隆」が
一門安泰のため利権確保に動き出します
天台宗寺門派 「隆明・増誉」を後ろ盾にして朝廷への影響力を
増大させるのです
この事件を境に 隆家流は方向性を大きく変えていくのです
つづきは また 次回に
ありがとうございました 則高・正高公に 合掌
[385] 題名:新年明けましておめでとうございます 名前:最勝寺 菊池 投稿日:2011年01月04日 (火) 18時02分
菊池御一門の皆様方
新年明けましておめでとうございます。
皆様方の安泰と繁栄を祈念いたしております
年頭故に私見の根幹と言える考察を書き込みさせていただきます
惣領菊池家 並びに 菊池一門の今日までの存続と繁栄には
「増誉」の存在なくしては有り得なかったと確信しております
この考察は簡単に表現して良い内容ではありませんが
少しづつ廻り道もしながら当家の秘伝にもふれ
書き込みしてまいりたいと考えております
本年もよろしくお願いいたします
祖霊 御一門衆のみなさまへ 合掌