家系研究協議会掲示板(別館)
菊池一族について
[383] 題名:展開が楽しみです 名前:菊池藤兵衛 投稿日:2010年12月26日 (日) 04時13分
菊池氏の濫觴を考える上で、避けて通れない部分ですが、あまり話題になることはなかったと思います。
展開が楽しみです。
[382] 題名:藤原定任 暗殺 名前:最勝寺 菊池 投稿日:2010年12月24日 (金) 00時13分
長暦四年(1040年)四月
肥後の国人 政隆が 前肥後守 藤原定任暗殺の下手人とされ
則隆・政隆追捕のため 五畿七道・大宰府に官府が下る
二人を捕まえることはできず 十一月ごろ政隆が大宰府から
逃亡したという風評が京都に伝わる
これ以降 府官の中に 則隆・政隆の名はみられなくなる
藤原定任とは 藤原道隆・道長の従兄弟の子供です
道隆・道長の生母の兄上の孫であります
時の関白は 藤原頼通(道長の子)
同じく1040年 関白 頼通は荘園整理令を諸国一律に発給
中央政府が 荘園領地を国衙没収にのりだします
高田牧司 蔵規(則隆の父)が主従関係を結び
権帥 藤原隆家 共々庇護に預かった
藤原実資は この時84歳。。。
翌1041年 権帥 藤原隆家 退任し帰京
1046年二月 藤原実資 死去
菊池家二代目 「経隆」は何時 襲名の名乗りを中央政府に
あげたのでしょう?
どのようにして?
代々の領地はいかに?
初代則隆・政隆はいづこへ?
系図でつづく 罪人とされ 府官でもない 政隆以降はだれ?
つづきは 次回へ 失礼いたしました。
[381] 題名:大変楽しみです 名前:菊池藤兵衛 投稿日:2010年12月22日 (水) 21時03分
私にとって、思いがけない内容です。
大変楽しみです。
宜しくお願いいたします。
[380] 題名:菊池系図からの解釈 名前:最勝寺 菊池 投稿日:2010年12月22日 (水) 02時01分
1.菊池家が初代則隆の代で血流が途絶えた可能性がある。
2.その対策として、藤原家が執った策とは?
3.則隆が下向したとされる年代から考えられることとは?
次回、この点についての私見を述べさせていただこうと考えております。
[379] 題名:菊池伝説? 名前:菊池藤兵衛 投稿日:2010年12月19日 (日) 07時42分
まさに核心に触れた書き込みで、興味深く読ませていただきました。
実は私も近い感触であり、熊野修験の布教活動と密接なものと考えています。
そうなるとどのような伝説が流布されたのか?というところで思考が止まっている状態です。
九州の名族と言っても東北ではぴんとこなかった可能性があり、なぜここまで菊池・菊地姓が広がったのか?
実は私の興味のひとつがここにあります。
[378] 題名:私見の概略から 名前:最勝寺 菊池 投稿日:2010年12月18日 (土) 14時16分
私の立場からの発言に関して、後々の影響を考えると、私見の全てをお話するのは問題があります。
概略にて、私の考えの基本をまづは表現すべきと考えます。
表現は、受けとたれたかたの思考で一人歩きいたします。
・関東以北の菊池・菊地の方々で、九州惣領家と血縁関係のある
方々は皆無と考えております。
熊野修験の研究に携わる学会では、「菊池・菊地」のみなら ず、他氏に関しても証明にあたいする論説が通説となっており ます。修験者の檀那獲得と布教の結果であります。
また、日本は血縁に父系姓を伝えております。家督は続いても
血は途絶ます。
出自を血に求めるのか、家に求めるのかで全く違う人生観と
自己同一性にいたります。
私は38代として、家であり、祖霊であり、一族の未来を責と
かんがえております。出自を血に求めてはおりません。
代々の生き様、家族一門の業に合掌するものであります。
[377] 題名:ありがとうございます。 名前:吉三郎@上総 MAIL 投稿日:2010年12月10日 (金) 19時49分
最勝寺 菊池 様
ありがとうございます。
東国菊池一族の謎について探っており
楽しみにしております。
[376] 題名:大変楽しみです(^o^) 名前:菊池藤兵衛 MAIL 投稿日:2010年12月10日 (金) 19時32分
このところ、公私ともに大変忙しく、すっかりご無沙汰しておりました(^_^;)今日、連続していた仕事がひとつ片付いたところです。
さて、私も福島県(信達地方)の菊池氏の一族です(家紋は丸に三つ扇)。
従って、最勝寺 菊池様のご来訪、大変ありがたく感じております。
こちらこそ宜しくお願い申し上げます。
[375] 題名:はじめまして 菊池でございます。 名前:最勝寺 菊池 投稿日:2010年12月09日 (木) 16時28分
最勝寺(福島県・月夜畑・菊池頼来)が菩提寺でございます。
九州惣領家14代菊池武士流とされております。
系図上での代数では、私で38代でございます。
思うところがあり、書き込みさせていただきます。
当家と関係のある方々にご迷惑に成らぬ範囲でお役に立てればと
考えております。全くの私見でございます。
関東以北に多い「菊池・菊地」の苗字を考察するうえで大事にすべきことについてでございます。
1.九州惣領菊池家と熊野三山の関係
2.「菊池と菊地」「並び鷹野と違い鷹野」どちらが本家・分家の
考察に意味なし。
3.下向伝説の矛盾
まづは、このあたりから折々につけ、書き込ませていただきたいと考えております。
よろしくお願いいたします。
[374] 題名:済みません。 名前:吉三郎@上総 MAIL 投稿日:2010年12月08日 (水) 23時06分
八丈島菊地氏後裔 様
先月末頃からいろいろと忙しく、更に古代史はよく分からないので遠慮してました。
また何かありましたら情報お願いします。
先月上旬、忙しいとはいえ熊本県菊池市に行ってきました。
天気にも恵まれ、非常に気持のいいところでした。
菊池神社、菊池武重公、武光公の墓や史蹟めぐりをして
”美人の湯”とも”美肌の湯”とも言われる温泉にも入り、
小学生の頃から憧れていた菊池を訪れる事が出来、幸福な気持に満たされました。
史跡めぐりも全て廻れたわけではないので、機会があれば
また行きます!
個人的な感想になりましたが、これからも家系、菊池一族の歴史を調べて行こうと再度思った次第です。
皆様、今後とも情報をお願います。