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家系研究協議会掲示板(別館)

菊池一族について

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[311] 題名:和歌山県 かつらぎ町 菊池源吾 について 名前:山田道生 MAIL 投稿日:2009年11月03日 (火) 08時45分

私の先祖に和歌山県かつらぎ町出の菊池源吾という人がいます。彼について調べていますが、「菊池家」の一族だと思われます。情報を入手できれば幸いです。


[310] 題名:菊池雄星投手 西武へ 名前:菊池藤兵衛 投稿日:2009年10月30日 (金) 07時54分

菊池雄星投手、西武へ
楽天で獲得できず、少々残念
でも、西武での活躍を願っています!


[309] 題名:西郷氏等 名前:菊池藤兵衛 MAIL 投稿日:2009年10月18日 (日) 16時59分

牧野登氏と言えば、西郷頼母研究で有名な方でしょうか。
西郷氏は菊池氏の有力な一族で、確か三河に移住した系からは会津藩家老の西郷氏等が、薩摩に移住した系からは西郷隆盛が出ていると記憶しています。
三河への移住は足利一門の仁木氏に従ったため、と聞いており、興味が持たれるところですね。

秋の夜長に浅見光彦シリーズの『菊池伝説殺人事件』を読みました。
普段は推理小説は読まないのですが、何となく気になり、読んでしまいました。
『因縁の菊池氏』(菊池秀之氏)をベースにした小説で、よく取材されていると思われました。
たまにはこういうのも良いかも(^_^;)


[308] 題名:東北地方の高橋氏について 名前:デューク 鷹 MAIL 投稿日:2009年10月15日 (木) 21時33分

(台氏の歴史)という牧野登著(歴史調査研究所)に載っておりますよ。和賀家臣とか最上家臣、南部家臣の系統が。参考までに


[307] 題名:隆家流藤原氏 名前:菊池藤兵衛 MAIL 投稿日:2009年09月20日 (日) 05時56分

菊池氏というと藤原蔵規の出自がよく問題となり、中関白・藤原道隆の子・隆家からの家系図の真偽が争われます。
その問題に関して、ご教示のHPの部分「グループに加わる程度のイメージ」は参考になります。
この辺りの感覚も現代人と古代(中世)の人々とでは異なっていたのかもしれませんね。
藤原蔵規が藤原隆家の第一の郎党であったとしたならば、藤原姓を称するのも(当時の感覚としては)自然だったのかもしれませんね。
ご紹介のHPは早速お気に入りに入れました。
姓氏・家系関係のHPはだいたい知っているつもりでしたが、まったくの初見でした。


[306] 題名:苗字全般について 名前:八丈島の菊地氏の後裔 投稿日:2009年09月18日 (金) 22時30分

やきそば さん

盛りだくさんの情報ありがとうございます。少し探し物をしていて見つけたサイトに、苗字に関した興味深い記述が有りました。下記に少し引用させて頂きます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
Q なぜ日本人のほとんどが源平藤橘から生れたと言われるようになったか?

A 古代にはむしろ後発の一氏族に過ぎなかった藤原(中臣)氏が
  中世には主要官職を独占(寡占)するようになります
そのため他氏族が官職に就こうとすれば、藤原氏である必要があり、
  婚姻・養子縁組等や場合によっては勝手に自称することで、
  中世から使われ始めた「本姓」や苗字そのものを藤原氏に変更していくことになります
中世・近世の平均官職占有率を見ると、
  藤原氏:75%、源氏:15%、平氏:2%、橘氏:0.04%であり、藤原氏を除く三氏族は天皇の直系子孫であり、
  源氏は別としても他は数合わせに含められたと考えられます
この「本姓」という呼称が大きく作用し、当時の人の感覚すれば
  「グループに加わる」程度のイメージであったものが、後世になると
  「本来・本当の姓→先祖」と変わっていったものと思われます
なお、これにより古代苗字が消滅したかというと、
  中世以降の史料がほとんど「本姓」で表されているため
  表面には現れませんが、古代苗字の92%までが現代苗字として
  存在しており、かつこの数値は異体字や改姓等を考慮しないもので、
  実態は限りなく100%に近づくと思われ、古代苗字はそのまま現代まで生き続けています

http://www7b.biglobe.ne.jp/~musashi-shinmen/index.html#label00
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

まだまだ不勉強ですが、皆様の家系研究の一助・参考になればと。


[305] 題名: 名前:菊池藤兵衛 MAIL 投稿日:2009年09月12日 (土) 19時18分

熊野関係の情報に触れて、菊池照雄氏の論文『多弁で表情を持った系図』(『歴史と旅臨時増刊』(平成3年))が思い出されました。
岩手県遠野地域に多い菊池姓について、米良氏と関わりが深い巫女たち(熊野系)が、その伝説とともに(菊池姓を)広めていった、という大胆な内容でした。

ちょうど鈴木姓の伝播と似通った感触であり、興味深く読ませていただきました。

菊池氏と熊野水軍との関わりは、一度総括してみた方が良いかもしれませんね。


[304] 題名:ありがとうございます。 名前:吉三郎@上総 投稿日:2009年09月11日 (金) 18時27分

やきそば 様

御指摘、情報をありがとうございます。

源姓、平姓、藤原姓、橘姓などについては基本中の基本でした。
[293]は訂正致します。皆様、大変失礼しました。
もう一度、出直したいと思います。


[303] 題名:目の覚めるようなお話です 名前:菊池藤兵衛 MAIL 投稿日:2009年09月11日 (金) 03時30分

やきそばさん、目の覚めるようなお話でした。

菊池氏といえば、
1)鉱山地帯に多い
2)海路を経て、入国した、という伝説の家系が目立つ
3)熊野水軍との関わりが示唆される
4)真宗寺院の住職の家系が散在する
という特徴があります。
それらが具体例で示されており、興味深く拝見しました。

当方の菊池は明治の姓の届け出を他人に行かせたため、「菊地」になってしまいました。

一方、父方の斎藤氏も同様で、江戸時代の墓石には「齋藤氏」と刻まれていますが、村の書記の手抜きで「齊藤」になってしまった、と聞いています。

個人的には、「菊池」か「菊地」か、という問題は、もう少しおおらかに考えても良いかもしれない、と考えつつあります。

家紋は当方・菊池氏は三つ扇で、鷹の羽ではありません。この点も興味を覚えております。

江戸時代には、菊池氏同士の交流が全国的にあった、ことを示唆する情報も興味深いですね。

菊池氏の活動は海をベースに、という発想に確信が深まりました。

個人的な話になりますが、ようやく町内会の三大行事が終わり、徐々にゆとりが出てきました。

ちなみに町内(宮城県名取市の某団地)の菊池さんは岩手系と宮城北部系でした。

今年は、本当に忙しく、福島県伊達市に取材に行けませんでした(涙)。





[302] 題名:私のわかる範囲で 名前:やきそば 投稿日:2009年09月10日 (木) 22時40分

やきそばです
私のわかる範囲で

[300]さん
18代目当主菊池兼朝の子供に武弘がいます
こちらは1400年代後半と時代は違いますが、
この武弘は北陸・東北・北海道に浄願寺を建立したという記録が残っていたと思います
確か、弟の武明と行動を一緒にしていたと思います
武弘は浄土真宗を広めました。北陸には浄土真宗の寺が多いはずです
明治時代以前は神仏混合でほとんどの神社と寺は一緒でしたので
近くにある寺の名称・宗派を調べるのも一つの方法だと思います

[290][289]さん
私が[301]で述べた佐竹藩の藤原姓菊池氏は米代川中流域の鉱山にも携わり米代川の番人も務めています
米代川上流域である南部藩尾去沢鉱山の鉱石は米代川を下り日本海貿易で運ばれた時代がありました
江戸時代、越中氷見と南部藩の鹿角地域は交流があったと考えることができるかもしれません

[286]さん
この場合の同姓異氏とは、藤原姓○○氏、○○は菊池、隈部、城、赤星、出田などだと思います
明治以前、姓は公家などを除くと源平藤橘と呼ばれる4つしか存在しません
つまり、源姓、平姓、藤原姓、橘姓です。あともう一つは姓不詳。菊池氏は藤原姓です

[270]さん
菊池と菊地ですが、私が史料で出会った限りどちらも混同して使用されている感じにみえます
江戸時代の池と地は両方とも「レ也」と書かれていることが多く文脈から想像するわけですが、
人名となると本人かその周辺の分かる人に聞かないとわかりません
明らかに漢字が違っていても読み方が一緒であればOK的な文書は多数あります
次郎が二郎、掃部助が掃部介、八代が矢代・屋代などなど
読みと誰かが分かればOKだった時代のような気がします




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