家系研究協議会掲示板(別館)
菊池一族について
[300] 題名:十二所権現 名前:吉三郎@上総 投稿日:2009年09月09日 (水) 21時47分
福井県小浜市の神明神社、十二所権現のご由緒に菊池氏が関わった伝説?と思われる興味深いHPを見つけたのでご紹介します。(下記、HPの管理人様ありがとうございます)
http://www.ffortune.net/fortune/onmyo/unose/sinmei.htm
このページに菊池武弘が建保元年(1213)に云々とあります。
時代が数十年下ってしまい、関係が不明ですが、
菊池市史に弘安八年(1285年)の「豊後国図田帳」に肥後国御家人菊池三郎武弘が大分郡の光一松名(みついちまつみょう)15町とあり、市史には「(一族の中の)誰の事か分からない」とあります。
「菊池氏三代」杉本尚雄著では、菊池の庶子とありました。
菊池一族が十二所権現(十二所神社)、熊野神社をお祀りした例が全国的にあると思われますが、皆様におかれましては、どうでしょうか?近隣に熊野社、または、十二所神社がありますでしょうか?
情報を!
[299] 題名:菊竹氏 名前:吉三郎@上総 投稿日:2009年09月04日 (金) 20時44分
情報ありがとうございます。
菊竹氏については初めて聞きました。又、HPも拝見させて頂き勉強になりました。
「忠誠の菊池一族」は当会会員の菊池さんのページですね。時々拝見させて頂いており、勉強させて頂いてます。
私も、いろいろ調べておりますが、肥後の菊池と東国の菊池との接点がなかなか見つからなくて・・・。
自分の家系についてもっと調べなくては・・。と、思いつつなかなか進まないのが現状です。
[298] 題名:忠誠の菊池一族 名前:八丈島の菊地氏の後裔 投稿日:2009年09月01日 (火) 01時13分
更新されている「忠誠の菊池一族」というサイトを見て、その真面目さ真剣さに感動しました。それでその中の内容をいろいろ検索しておりました。その折に発見した下記資料によると、菊竹氏も菊池武重時代に菊池姓から改名した苗字だそうです。この著者のかたも、ご本人の先祖、菊池一族と関連する歴史に関して、広範囲にわたり研究されていたようです。
http://snkcda.cool.ne.jp/tokudou/index.htm
[297] 題名:熊野信仰 名前:吉三郎@上総 投稿日:2009年08月26日 (水) 18時17分
「新熊本市史」によれば、肥後国の熊野社の分布をみると、その多くが菊池川流域(本支流)に集中とあり、南北朝期の菊池氏と南朝方の結びつきなどから、熊本県内の熊野信仰には平氏や熊野水軍といった政治的な背景とのかかわりが見過ごせないように思える。ただし、熊野御師、先達が肥後に布教に来たのかということは不明とありました。
「因縁の菊池氏」には、江刺など東北の菊池氏は熊野水軍によって来るとあり、密接な関係があるようです。(熊野社の旦那に奥州出羽の菊池氏あり)
[267]で、十二所神社について菊池氏に限っては阿蘇社では?との仮説を唱えましたが、上記の事を踏まえ、熊野社と考えた方が良さそうです。
他に、どなたか情報ありましたらお教えください。
熊野社以外でも、もちろん歓迎です。
[296] 題名:[294]同姓異氏 名前:吉三郎@上総 投稿日:2009年08月20日 (木) 23時32分
そうなると思います。
しつこくて申し訳ありませんが、広瀬氏について、もう少し考察をしたいと思います。
隈部氏系広瀬氏がいた場合の話ですが、
隈部氏は、「菊池風土記」所収隈部系図によると菊池一族との婚姻関係が深く、長野太郎(未確認ですが多分菊池)隆基室、九代菊池隆泰室、城越前守隆顕室、菊池武士室、または妾、赤星武則室、二十二代菊池能運室など、他に隈部氏に菊池一族(赤星氏)から嫁した例も幾つかあり、江戸時代の大名家を考えると、この隈部氏は、一家、一門衆などに相当する家になると思います。よって、隈部氏の支流に広瀬氏があったとしても菊池末裔と言えるような気がしますがどうでしょうか。
花巻東の菊池投手、154キロ!すごい!ガンバレ!
[295] 題名:花巻東・菊池投手 名前:菊池藤兵衛 投稿日:2009年08月20日 (木) 20時26分
高校野球、注目の一戦は、花巻東が東北高校に勝ったようです。
宮城県民としては複雑な心境ですが、菊池投手の健闘をたたえたいと思います。
頑張れ!頑張れ!菊池〜
[294] 題名:菊池末裔として菊池姓の苗字 名前:八丈島の菊地氏の後裔 投稿日:2009年08月20日 (木) 03時00分
豊田十郎武光も菊池武時の庶子であったと言われますが、もし惣領の位置につかなかった場合は、豊田も菊池一族同姓異氏の一つになっていた可能性もあったのでしょうかね。間違っていましたら、失敬。
結構、我が先祖?の菊池一族について見識が深まりました。皆様、ありがとうございました。また、しばらく投稿を休ませていただきます。
[293] 題名:同姓異氏二十一家 名前:吉三郎@上総 投稿日:2009年08月19日 (水) 23時12分
江戸時代(寛政6年、1794年)にまとめられた「菊池風土記」には「菊池家之裔同姓異氏 小名、米良、黒木、甲斐、中武、田爪、濱沙、小河、八代、肥木田、村田、西郷、山崎、大坪、高倉、武田、藤田、出田、村井、廣瀬、城」とあり、菊池末裔として藤原姓菊池氏系の苗字が21家(氏)あるということです。
実際、23代政隆(済みません)の家臣として廣(広)瀬氏がいた様です。手持ちの書籍などには広瀬氏についての他の記述はありませんが、菊池市広瀬は同市出田の隣にあり、菊池氏4代経宗の弟で藤田三郎経家がおり、その子経信が出田氏祖となっております。よって、想像になりますが、出田氏の庶子という可能性があると思います。菊池氏系広瀬氏です。源姓隈部(宇野)氏系広瀬氏もいたかも知れませんが。
広瀬武夫中佐の家系が菊池一族ということですので、菊池氏系広瀬氏になると思います。
又、菊池千本槍ですが、「菊池一族」阿蘇品保夫著(’07.4改訂新版)によれば、菊池武重の箱根での戦いで槍(槍隊)の存在を認めつつも、「文献で確認すると千本槍の伝承の形成とその普及は思いの他に後世の事となってしまう。ただ、千本槍と称する槍の実物は伝存している」としています。同書によると、熊本県内の南北朝期の槍(千本槍)は16例だそうです。
広瀬武夫中佐が携帯していたのは、勤王の家系という自負から携帯していたと思われます。
藤兵衛様
鹿角市には高瀬氏も多いとのことから、十七代武朝の弟武相ですが、他の系図では高瀬氏になっているようですので、菊池氏系高瀬氏の末裔の一系統が氷見の菊池氏であるとの可能性が考えられますね。
[292] 題名:苗字の異なる菊池一族 名前:菊池藤兵衛 投稿日:2009年08月19日 (水) 17時46分
土曜日の町内会お祭りをひかえ、嵐の前の静けさの感じです。
役員の立場としては、とにかく早く終わってほしいですね。
せめてもの楽しみは菊池さんとお話できることだけですね(^_^;)
さて、吉三郎さんご推察のように青山氏は尾去沢です。
また、鹿角には高瀬氏も多くみられるようであり、菊池氏族も含まれるのでは、という見解もあるようです。
広瀬武夫氏の「武」も菊池氏を意識したものでしょうね。
[291] 題名:菊池千本槍 名前:八丈島の菊地氏の後裔 投稿日:2009年08月19日 (水) 11時04分
吉三郎@上総さま。広瀬氏について調べてくださり、ありがとうございます。
しばらく、菊池一族だ!・・・というので、広瀬武夫海軍中佐について100ページ位の記録や記事を調べておりました。
この場合の菊池一族同姓異氏二十一家というのは、一族郎党の家臣団の中に広瀬氏が或いは広瀬衆が居たということなのでしょうか?しかし、何故、広瀬武夫中佐が菊池千本槍の一つを常に携帯していたという話が残されているのでしょうか。
豊後や豊前の広瀬氏は、血の繋がらない菊池氏族でなくとも、菊池一族として菊池千本槍の一本を家宝として継承を許された優秀な家臣だったのでしょうか。
[287]の欄に、 「菊池十六代政隆の侍付に広瀬刑部允忠岑という人があります。・・・」とありますが、もしかして、二十四代の菊池政隆では?念の為。