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家系研究協議会掲示板(別館)

菊池一族について

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[280] 題名:鞠智城の新しい仮説 名前:八丈島の菊地氏の後裔 投稿日:2009年08月01日 (土) 08時41分

下の欄の想像、面白いですね!

日本語だけだと想像力にも限界があるので、幾つかの日本語を自動翻訳機で(私も未だよく分からない)韓国語(ハングル)に変換してみると、面白いことが分かりました。

たとえば、局地、極地、極致・・・という言葉ですが、韓国語発音は下記のように日本人が聞いてみると、ほとんど同じように「ククチ」に聞こえるようなハングル表記なのです。

局地(국지) ,極地(극지 ), 極致(극치)


意味はそれぞれ特定の場所とか、地の果て、究極のといった意味になりますが、百済からの渡来人(移民)が持ち前の技術で楼閣等を建設し、「円熟の美の極致城」と名付けたのではないだろうか・・・と。

皆さん!どう思われますか?


[279] 題名:鞠智城 名前:吉三郎@上総 投稿日:2009年07月27日 (月) 20時17分

昨日、NHK教育テレビETV特集で「そして日本が生まれた〜白村江の敗戦から律令国家へ〜」を見ました。

以前、菊池氏族は古代朝鮮王族との説を紹介しましたが、勝手な想像ながら下記のように考えてみました。

前掲の番組中で、「鞠智城」の発掘現場で百済の観音像が発見されたそうです。当時百済滅亡の際、数千人規模の百済人の亡命者があったのではないかと言われてましたが、もし、九州に逃れてきたならば、百済再建を目指し、太宰府にて朝鮮半島の様子を窺いつつ、先進的な律令体制などの政治システムを当時の倭人に伝えていたのではないでしょうか。そして、鞠智城築城にかかわった百済人の王族(番組中では王族の日本への”亡命”は無いようでした)が、菊池氏族の先祖の可能性があるのではないでしょうか。
それが、大宰府の高級?役人だったと言われる所以なのではと思った次第です。


下記、私の愚説とは無関係の「鞠智城」のHPです。
http://www.kofunkan.pref.kumamoto.jp/kikuchijo/index.php


[278] 題名:削除と再編集について 名前:八丈島の菊地氏の後裔 投稿日:2009年07月24日 (金) 05時08分

早速[272]の削除と{276}の再編集をさせていただきました。ありがとうございました。(^o^)


[276] 題名:重複 名前:八丈島の菊地氏の後裔 投稿日:2009年07月23日 (木) 06時11分

[272] 題名:箕作秋坪の父。菊池大麓の祖父「菊池文理」についての欄が投稿出来なかったと勘違いして、再度投稿し重複してしまいましたので削除いたしました。


[275] 題名:菊池大麓の祖父「菊池文理」について 名前:八丈島の菊地氏の後裔 投稿日:2009年07月23日 (木) 02時28分

『ごさんべえのぺーじ』に「應輔亮和は筑後の人で、安達氏との間に出来た理喜という娘に播州龍野の牛丸氏の子で、播州佐用で医者をしていた正因を婿養子に迎えました。・・・正因にも子がなく、金治(かなばる)慎を養子にしますが、慎も早世したために文理が嗣ぎました。」云々と有りましたが、この記述だと(菊池)文理がどこから出て来たのか分からないので悶々としておりました。そうすると「菊池陶愛」なる人物名が菊池文理と同一人物として某人名辞典の中に最近インターネット上に出てきているので、どのような歴史的資料があったのだろうかと思います。『ごさんべえのぺーじ』にも、正因は牛丸氏からの婿養子と有りますね。


[274] 題名:お久しぶりです。 名前:吉三郎@上総 投稿日:2009年07月22日 (水) 18時47分

「因縁の菊池氏」にどちらの方か忘れましたが、「旗本に町人のくせに生意気だと、池から地に替えさせられてしまったといい、それ以前の古い墓石はすべて菊池になっている」との記載があったのを思い出しました。こんなこともあるんですね。

菊池文理の家系ですが、祖父の本姓が牛丸氏とあり気になります。養子でしょうか。


[273] 題名:ご無沙汰しています 名前:菊池藤兵衛 投稿日:2009年07月21日 (火) 22時45分

色々と面白い書き込みを拝見し、気分転換させていただいています。
町内会長は予想以上の激務です。
早く3月が来てお役ご免にならないかな、と考える日々です(T_T)
菊池一族らしからぬ弱気な書き込みで申し訳ありません。
さて、菊池氏に関する解説は色々ありますが、豊田武氏の『家系』の記述が好きですね。
ちなみに、当方は明治時代の戸籍届け出を他人に行かせたために「地」になってしまった、と伝えられています。
ほんまかな〜


[271] 題名:箕作秋坪の父。菊池大麓の祖父「菊池文理」について 名前:八丈島の菊地氏の後裔 投稿日:2009年07月21日 (火) 05時00分

菊池・菊地姓の謎を解いてくださり、ありがとうございました。

流れを変えてすみませんが、検索していて偶然見つけたので紹介します。

箕作秋坪(みつくり‐しゅうへい)の父。菊池大麓(だいろく)の祖父「菊池文理」についての最新情報です。

菊池陶愛 きくち‐とうあい(1799‐1837)江戸時代後期の儒者。寛政11年1月15日生まれ。箕作秋坪(みつくり‐しゅうへい)の父。菊池大麓(だいろく)の祖父。幼時に父をうしない祖父正因(まさより)に養育される。美作(みまさか)(岡山県)久世(くせ)の郷校典学館でおしえた。天保(てんぽう)8年5月27日死去。39歳。播磨(はりま)(兵庫県)出身。名は文理。字(あざな)は大乙。通称は士郎。

菊池正因 きくち‐まさより(1748‐1813)江戸時代中期-後期の医師、教育者。寛延元年生まれ。菊池陶愛(とうあい)の祖父。股野玉川(またの‐ぎょくせん)に儒学をまなび、長崎のオランダ人に医術をならい、郷里の播磨(はりま)(兵庫県)で開業。寛政9年美作(みまさか)(岡山県)久世(くせ)の代官早川正紀(まさとし)にまねかれ、郷校典学館の都講(とこう)(塾頭)となった。文化10年11月死去。66歳。本姓は牛丸。

出典:「講談社 日本人名大辞典」(2009年1月20日現在)


[270] 題名:菊地姓 名前:吉三郎@上総 投稿日:2009年07月18日 (土) 17時44分

姓氏家系・歴史伝説大事典(志村有弘編)によると、
「菊地姓は奥州、信州、志摩などに多く分布し、菊地と菊池の発祥は同じ。「日本史小百科<家系>豊田武著」によると、菊地の字を当てる家系は、瀬戸内海から紀伊半島にかけて活躍していた菊池を称する海賊が、主家の没落後に奥羽・信濃・志摩などに移り住んだものの裔という。」とありました。
菊池・菊地姓の謎がわかり、図書館に行った甲斐がありました。
ただ、菊地姓全部がこの家系かどうかは疑問が残ります。

又、同著によると、「木口(きぐち、きくち)氏は、「あなたの一族大事典」によると、岩代国安達郡、信夫郡より発祥したといい、信濃国や越後国にも分布する」そうです。

「難読希少名字大事典」森岡浩著によると、「菊一氏は、関東地方に点在する名字」だそうで、それ以外の詳しい事は分かりませんでした。
又、珍しい名字で気になったのが、菊池田(きくちだ)氏で、鹿児島県にある名字だそうです。さらに、菊地原氏は神奈川県西部に多い名字だそうです。両姓ともに菊池姓との関係は記載がありませんでした。

規矩氏ですが、先日紹介した金沢北条氏流規矩氏以外にもう一つの家系があり、「日本家系・系図大事典」奥富敬之著によると、「桓武平氏長野時盛の子康盛が、豊前国規矩郡を領して規矩氏を呼称」とありました。

「姓氏家系大事典」丹羽基二著の菊池(地)項に、「喜久智、菊久池、菊干(千?)、菊知等に通用」とありましたので、もしかすると、菊智、規矩智姓も同族の可能性が少しはあるかも知れません。

今回、菊内さんは解りませんでした。残念!


[269] 題名:訂正[268] 名前:吉三郎@上総 投稿日:2009年07月16日 (木) 21時26分

[268]は操作ミスです。お詫びします。




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