家系研究協議会掲示板(別館)
菊池一族について
[248] 題名:菊池麿 名前:八丈島の菊地氏の後裔 投稿日:2009年05月23日 (土) 01時02分
藤原菊池麿の名前については初耳でした!!!
菊池麿から少しさかのぼれば、藤原氏の祖に当たる藤原鎌足になるのだということを知りました!藤原鎌足が中臣鎌足だったこともそれで分かりました。ありがとうございます。
しかし、知れば知るほど母国の日本史に疎いのが日本人として恥ずかしいかぎりです。(汗)
[247] 題名:訂正:[245]いちゃればちょうでぇー 名前:吉三郎@上総 投稿日:2009年05月15日 (金) 19時30分
名前と言えば、「菊池市史」に「藤原朝臣菊池麿」という人が承和七年(八百四十年)に肥後守並びに治部大輔として赴任(肥後国誌)しているとあります。菊池姓との関係は不明の様です。
[246] 題名:ククチという名前 名前:八丈島の菊地氏の後裔 投稿日:2009年05月07日 (木) 01時41分
「ククチ」検索で見つけたのですが、現役の韓国映画関係者の中に映画編集を手がけている「朴曲之」という人がいらっしゃり、英字表記及びカタカナ表記ではPark Gok Jiパク・コクジ、又はコクチ、他にも Park Kok-ji(パク・ククチ)になっています。こういう名前の人が現実にある事に大変興味をそそられました!!! もしかしたら東洋の各地には過去から現在に到るまで他にもククチとかコクチという名の人がいらっしゃるかもしれませんね(^o^)。
歴史的には唐の時代、朝鮮半島では、統一新羅王朝時代に唐王朝の人々にならって一文字姓を付けるようになったと読んだことがあります。それ以前は姓が無く名だけか、又は日本のように二文字姓や三文字姓或いは四文字姓、又、満州にもあったし、今の沖縄等にも現存する五文字姓等も結構使われていたかもしれませんね。只それらは漢字表記に当てはめただけだったことかもしれませんが・・・
[245] 題名:「いちゃればきょうでぇー」:「一度会えば兄弟」 名前:吉三郎@上総 投稿日:2009年05月01日 (金) 01時11分
私も、八丈島の菊地氏の後裔様と同じようにアジアの国々、いや、世界中「共存共栄し相互協力し合い、共に清栄できるようになればいい」と思います。古代以上まで遡れば「人類みな兄弟!」平和に過ごしたいものです。
「菊池入道(金沢家被官か)」については、「新熊本市史」によると菊池武時(菊池次郎入道)は金沢北条家にかなり接近しており、鎌倉からの帰りの際、ついで(どの様な理由かは不明ですが)に手紙を運んだ可能性が思われます。
又、東北地方の菊池・菊地・木口姓については、藤兵衛様の情報収集に期待したいです。いずれ明らかになる日が来ることと、一年が早く過ぎることを祈念いたします。
[244] 題名:町内の菊池・菊地氏 名前:菊池藤兵衛 投稿日:2009年04月29日 (水) 02時08分
町内会長は予想外に大変で、早くも一年後が待ち遠しい心境です(T_T)。このところ、涙系の顔文字の使用が増えた感じがします。
しかし、一方、町内には、菊池・菊地氏が思ったよりも多いことに気が付きました。いずれ情報収集の一助に・・・と思われました。
ところで、海外にお住まいになっているだけに、視点がグローバルですね。個人的には菊池・菊地氏がなぜ東北に多いのか、という謎解きに魅了されておりますが、大胆な発想の転換も必要なのかな、という感じもしております(^_^;)。
[243] 題名:家研協副会長の宝賀寿男先生 名前:八丈島の菊地氏の後裔 投稿日:2009年04月29日 (水) 01時40分
下欄に紹介のあったHP少し観閲させていただきました。未だ全部は目を通していませんが、少し私の得た情報とは違った部分も有って詳細部分に関しては多少再考調整すべき所も有るかも知れませんが、しかし、本当に良く研究されていますね!!参考にさせていただきます。ありがとうございました。
このように古代史を紐解けば、日本も中国、韓国、北朝鮮、台湾、そして、モンゴル、ベトナムも先祖達が時代を経て、お互いに分裂したり交合したりしているのだから、現在の欧州のように経済統合などで、国、国民や民族としてのお互いの敵対感情や優劣利害を浮き立たせるのは止めて、成熟した大人の巨視的未来思考で東洋の同系列民族関係と捉え、共存共栄し相互協力し合い、共に清栄できるようになればいいですね(^o^)。
[241] 題名: 名前:吉三郎@上総 MAIL 投稿日:2009年04月26日 (日) 23時11分
韓国語で「国治」と書いてククチですか。勉強になります。
古代、日本にはいくつかの種族が渡来したようですので、菊池姓もその中の種族に繋がる可能性があるかも知れませね。
古代については、家研協副会長の宝賀寿男先生のHPが詳しいです。
http://shushen.hp.infoseek.co.jp/index.html
尚、HP内の掲示板に「肥前高木氏」のルーツについての解説があり、菊池もその流れとされております。
藤兵衛 様
町内会長、お疲れ様です。
いろいろ大変だと思いますが、頑張って下さい。
[240] 題名:漢字変換の入力間違い 名前:八丈島の菊地氏の後裔 投稿日:2009年04月26日 (日) 15時01分
ネット上の多くのサイトにある数々の「威臨丸」は入力間違いで「咸臨丸」が正しいと見てよいのでしょうかね。
ところで、ククチに話を戻しますが、韓国語の辞書で見ると、局、菊、国、がククに当たります。チは、歯、治、値、置、致、等が当てはまるようです。コクだと曲、哭、穀、が当てはまるようです。格好の良い組み合わせをすると、「国治」がククチになります。
菊池氏は九州の豪族だったというので、国を治めるという意味も込めていたかもしれない・・・等と勝手な空想を廻らしております(^o^)
また、平家納経にも出てくる「十羅刹女」は、尼藍婆、毘藍婆、曲歯、華歯、黒歯、多髪、無厭足、持瓔珞、皐諦、奪一切衆生精気ですが、この中で 曲歯、華歯、黒歯というのが、昔使われていたかもしれない日本列島言葉か朝鮮半島言葉で表現したら、曲歯がククチかコクチ、華歯がカチ又はハチ、黒歯がフクチになるのではないか・・・と当て推量しています。仏教に帰依して従属するようになった多くの豪族達を意味しているのではないだろうか・・・と推量したりしています。というのは、キクチ姓、フクチ姓、カチ姓等が存在するからです。専門の学者ではありませんから何とも言えませんが・・・
[239] 題名:残念ながら・・・ 名前:吉三郎@上総 MAIL 投稿日:2009年04月25日 (土) 22時23分
当方の本家を調べたところ、本家の従兄より六代前までは系図にすることが出来、位牌は享保年間(1717〜1736)まで遡れましたので、残念ながら菊池作次郎とは直接繋がらないと思います。ただ、享保年間以前が分からないので可能性があるかも知れません。
咸臨丸は、漢字変換候補になく、ひらがなで入力しました。(実際は変換前の入力が間違ってました!)
威は、漢和辞典によると音読みのみで”い”としか読まないみたいです。
[238] 題名: 名前:八丈島菊池氏の後裔 投稿日:2009年04月25日 (土) 02時46分
吉三郎様のゆかりのかたがもし菊池作次郎氏だったとすれば、私の祖母(1879年生まれ)と、八丈島では御近所だったかも知れませんね(^o^)
菊池作次郎氏に関する検索をいたしましたら、「咸臨丸」ではなく、「威臨丸」となっていますが、この場合は「かいりんまる」と読むのでしょうか。兎に角、威臨丸でも沢山検索できますね。どちらの漢字が本当なのか史実なのかわかりませんが又もや、究明すべき課題が浮かびあがりました。
ところで、今更ながら非常に恐縮なのですが、姉が調べたところによりますと実は、私の祖母の両親は「菊地仲吉、ゆみ」という名前らしいのです。祖母の名は「菊池」ではなく「菊地」だったようです。よって、これからは、「八丈島の菊地氏の後裔」に改めさせていただきます。どちらの漢字を使っていたのか、これも真相究明しなければなりませんが・・・