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家系研究協議会掲示板(別館)

菊池一族について

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[168] 題名:古代からのキクチ(ククチ)の意味 名前:八丈島菊池氏の後裔 投稿日:2008年01月06日 (日) 22時39分

>それよりも前に土着したとされる伝説を有する菊池・菊地氏には個人的に関心が持たれます。

私も興味が湧いて、キクチ、ククチ、久久知の地名等の由来を検索してみました。そのなかに非常に興味深いものがありました。

元々弥生時代以前の縄文時代の日本列島には、大陸や朝鮮半島系ではなく、ポリネシア系の南方系民族が占めていたと言われていますが、たとえば先住民族系の沖縄とかアイヌあたりの人達ですが、キクチやククチも文字の無い頃からの昔からのことば→地名→部族名の一つではないかというのです。九州・四国や本州の中央部は大陸系が占めるようになり、周辺地方に南方系の言葉が残り継がれたというものです。つまり菊池や菊地は漢字の当て字で、どこどこ地方のだれだれという程度から発生したと考えられるのではないかという訳です。もしそうであれば、特に九州の菊池氏との血縁あるいは直繋がりがある必要がないことになります。

これもこじつけの域で誤まりの可能性がありますが、参考までに勇気を出して投稿してみました。

引用貼付文)
狗古智卑狗  

 狗奴国の男王の「狗古智卑狗(くこちひく)」は、マオリ語の

  「ク・コチ・ヒク」、KU-KOTI-HIKU(ku=silent;koti=separate;hiku=tail of a fish,tip of a leaf,eaves of a house)、「静かに周囲と離れた場所にいる最高の地位にある(人物)」

の転訛と解します。

 なお、水野氏など有力説は、「狗古智卑狗」を「キクチヒコ」と解し、そこから「狗奴国」を肥後国菊池郡を含む地域と解していますが、「クコチ」と「キクチ」ではあまりにも音韻が離れすぎ(『和名抄』は菊池郡を「久久知」と訓じています。)、さらに02卑狗の項で述べたように「ヒク」を無理矢理「ヒコ」と読んでおり、こじつけ解釈の典型です。

 なお、この「くくち」、「きくち」は、マオリ語の

  「ククチ」、KUKUTI(=kuti=contract,pinch)、「(山と山とに)挟まれて狭い土地」

  「キ・クチ」、KI-KUTI(ki=full,very;kuti=contract,pinch)、「(山と山とに)挟まれて狭い土地がいっぱいある(地方)」

の転訛と解します。

http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/koten04.htm#3 その他の21国と狗奴国


[167] 題名:南北朝時代よりも前の東北の菊池(菊地)氏 名前:菊地(藤兵衛)武英 投稿日:2008年01月05日 (土) 16時33分

東北の菊池・菊地氏の場合、南北朝時代よりも古い時代に土着していたとされる菊池・菊地氏が散見されるようです。
肥後以外の菊池氏の場合、南北朝時代の各地転戦の過程で土着したとされる家系が目立ちますが、それよりも前に土着したとされる伝説を有する菊池・菊地氏には個人的に関心が持たれます。
これまでに得られた情報を総括すると・・・
@宮城県名取市の菊地氏の一流→鎌倉時代の元寇の際の恩賞として名取郡内に所領を賜った大友氏に従って
A宮城県亘理郡の菊地氏の一流→奥州藤原氏の家臣であったが、当地に亡命
B秋田県仁賀保の旧家(十世紀から)
C岩手県遠野の菊池氏の一流(鎌倉時代以前から?)
D秋田県東成瀬村の菊地氏(鎌倉時代?)
誤りの可能性がありますが、勇気を出して書き込みました。


[166] 題名:お詫び[69]→[159] 名前:菊地(藤兵衛)武英 投稿日:2008年01月04日 (金) 23時14分

実は[69]にて八丈島HP(1338年の菊池氏)の内容は書き込んでおりました。しかし、[159]では、話が散漫になると勝手に判断して、それには触れませんでした。結局、舌足らずな書き込みになり誠に申し訳ありませんでした。(^_^;)
ただ、八丈町のHPしか知りませんでしたので、大変参考になりました。「朝重」という実名ははじめて知りました。
話はいささか脱線しますが、肥後以外の菊池氏のルーツ(伝説)は南北朝時代の各地転戦→土着という図式が目立つなか、八丈町の例は興味が持たれます。
実は、東北地方の菊池(菊地)氏のなかには、鎌倉時代以前に土着した、という伝説の家系が散見され、個人的に興味を持っております。一度、そのあたりの事例を総括した方がよいような気がしている次第です。
話は前に戻りますが、八丈島の菊池氏はその出自等大変興味が持たれるところです。菊池朝重なる人物が系図ではどのような続柄にあたるか、家紋等お分かりでしたら、ご教示ください。(^_^;)


[165] 題名:八丈島の菊池氏 名前:八丈島菊池氏の後裔 投稿日:2008年01月04日 (金) 06時29分

『因縁の菊池氏』(菊池秀之氏)でも八丈島の菊池氏は触れられており、天正年間(1573〜1592)に小田原・北条氏の代官として菊池右馬之助武信が派遣されたことに始まる、とされているようです。・・・という内容がここの掲示板に出ていたのですが、調べてみるとそれよりも以前に菊池氏が八丈島に派遣されていたようですね。参考までにどうぞ。
室町時代には足利氏の執事・上杉憲顕が奥山伊賀と菊池治五郎を代官として島に送ったといいます。http://senshohamada.hp.infoseek.co.jp/minyou/minnyou-hatijo.htm

八丈島に統治機関が置かれたのは室町。1338年、足利氏の執事、上杉憲顕が奥山伊賀と菊池治五郎を代官として在島させたのが最初とされている。
http://4travel.travel.msn.co.jp/e/msn/traveler/buchijoyce/album/10149562/

八丈島にいつ頃から人は住むようになったのか、文献では北条五代記に絹織物をめぐる八丈島の支配関係が記されており、それ以前に絹織物などを生産する社会機構の存在が推定されています。為朝伝説が所謂伝説であり、実証性は乏しいのですが鎌倉時代には人が住んでおり、その後の1338年(暦応元年)神主役として菊池治五郎朝重と言う人物の記録が八丈実記拠に記されています。
http://geocities.yahoo.co.jp/gl/kugayama322/view/20051206

室町時代の1338年に、伊豆諸島は関東管領に統治され、
八丈島には上杉憲顕の家臣の奥山伊賀と菊池治五郎が派遣されています。
これは在島代官の最初です。
http://sometimes7.exblog.jp/5200494/

東鑑によれば鎌倉時代の1186年(文治2年)には、相模の国に属したとされています。また、統治機関が置かれたのは、室町時代の1338年(延元3年)、足利氏の執事上杉憲顕が奥山伊賀と菊池治五郎を代官として在島させたのが最初とみられます。1440年(永享12年)に神奈川の領主奥山宗林が支配したが、15世紀の末期、三浦・北条氏の勢力が入って以来、三氏の抗争が続き1515年(永正12年)になって北条氏が勝利を得、全島を支配するに至りました。
http://www.town.hachijo.tokyo.jp/gaiyo/history/re0001.htm

1350年の足利時代の代官、奥山伊賀守が開基したとされる観音堂の放光山大善寺に居住させたのが、この1392年に漂着した明僧の宗閑で、さらに155年後の1547年に漂着した明僧の林氏宗感に、時の代官菊池武歳があつく帰依し、大善寺を長楽寺と改名して宗感をこの寺の開祖とした。
http://www.nankaitimes.com/toku_kiji/02101toujin/02101.html



[164] 題名:宮城県名取市と菊地氏 名前:菊地(藤兵衛)武英 投稿日:2007年12月20日 (木) 22時19分

ある方からのご教示では・・・
宮城県名取市の大友氏は、鎌倉時代、元寇の際の恩賞として名取地域に所領をもらい(北九州から)移住したとされ、同地の菊地氏も、その一族として名取地域に移住した、とのことです。


[163] 題名: 名前:新 投稿日:2007年12月11日 (火) 08時50分

いじめ撃退法


[162] 題名:菊池保則投手 名前:菊地(藤兵衛)武英 投稿日:2007年12月11日 (火) 08時33分

東北楽天に茨城出身の菊池保則投手の入団が決定しました。
菊池氏のメッカ茨城のご出身とのこと。
活躍に期待したいですね(^o^)


[161] 題名:思いがけないところから・・・ 名前:菊地(藤兵衛)武英 投稿日:2007年11月24日 (土) 01時29分

情報は思いがけないところからいただけたりするものだなあ、というのが強い実感です。
(私の場合)ハンドルネーム(菊池(藤兵衛)・・・)がきっかけで、大変有力な情報をいただきました。
調査の進展を心より願っております。


[160] 題名:菊池右馬之助武信 名前:八丈島菊池氏の後裔 投稿日:2007年11月24日 (土) 00時34分

ご親切、どうもありがとうございます。
考えてみれば、こちらの掲示板をすべての菊池氏の後裔の方がたが見ておられる訳でもありませんから、八丈島の然る所に直接問い合わせるのが良いのかもしれません。


[159] 題名:菊池右馬之助武信 名前:菊地(藤兵衛)武英 投稿日:2007年11月21日 (水) 15時04分

八丈島の菊池氏については、こちらの掲示板ではたびたび話題になっていました。その後裔の方の書き込みに接し、大変嬉しく感じています。
『因縁の菊池氏』(菊池秀之氏)でも八丈島の菊池氏は触れられており、天正年間(1573〜1592)に小田原・北条氏の代官として菊池右馬之助武信が派遣されたことに始まる、とされているようです。
菊池姓の大変多い地域のようですので、八丈島の教育委員会への問い合わせでも何か手がかりに結びつくかもしれませんね。




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