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家系研究協議会掲示板(別館)

菊池一族について

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[157] 題名:菊地(藤兵衛)武英様ありがとうございます。 名前:静岡伊豆菊地 投稿日:2007年10月10日 (水) 01時14分

突然の書き込みに対して書き込みしていただき、ありがとうございます。
何も知識がないにもかかわらず、不躾にもこちらへ書き込みしてしまいました。皆様の菊地・菊池への愛情と知識の深さに感動しております。
家紋もわかりません。申し訳ございません。
わかりましたらまたこちらに書き込みします。


[156] 題名:佐久菊池系図 名前:菊地(藤兵衛)武英 投稿日:2007年10月06日 (土) 18時05分

先ほどの書き込みに関連して、『因縁の菊池氏』(菊池秀之氏)を再確認してみました。
著者は佐久菊池氏を第十代・菊池武房の弟・赤星三郎有隆を祖とすると述べておられました(家伝系図から)。
赤星三郎有隆 ー 菊池定太郎義直 ー 五太郎隆経 ー 太郎隆季 ー 十郎隆景 ー 左ヱ内尉隆実(佐久菊池氏祖)
十郎隆景の子に(隆実の他に)久太郎季一があり、文豪・菊池寛氏の先祖と見ておられるようです。
訂正、補足させていただきます。(^_^;)
蛇足ですが、先日、ふとしたことからお話しした赤星さんに「ご出身は?」と尋ねたところ、「博多」とのお答えでした。もしかしたら、菊池氏一族かも、と思い、少し嬉しくなりました。


[155] 題名:静岡、八丈島、伊豆諸島の菊池氏 名前:菊地(藤兵衛)武英 投稿日:2007年10月06日 (土) 17時45分

例によって、『因縁の菊池氏』(菊池秀之氏)を参照すると、
「静岡、八丈島、伊豆諸島の菊池氏」という項目が立ち上げられております。相互に関連性が高いと見ておられるようです。
・八丈島の菊池氏・・・天正年間(1573〜1592)、後北条氏の代官として菊池右馬之助武信が派遣されたことに始まる
・天文年中(1533〜1554)菊池七兵衛武宗、小田原に来て後北条氏の客将となる(文豪・菊池寛氏の先祖)
・信州佐久菊池氏の先祖が駿州富士宮、沼津、駿東郡にあって、今川家に被官し、後、甲斐に向かう
ざっとこんな内容です(具体性に乏しくすみません)。
菊池武時の第○氏が祖、というところまでは分からないようですが(管見の限り)、戦国時代において活発な活躍をされていたようですね。
菊池か菊地か、という問題はなかなか難しいですね(^_^;)
ところで、家紋がお分かりでしたらお教えください。


[154] 題名:はじめて書き込みします 名前:静岡伊豆菊地 投稿日:2007年10月05日 (金) 22時34分

自分のルーツに興味があり、いろいろ調べていましたらこちらに
たどり着きました。
全部は読んでいませんが、とても興味深いです。

友人から聞いたことですが、後北条家の家臣に菊池姓は何人かいるのですが、菊地は一人だけで、かもんのじょう(漢字がわかり
ません。ごめんなさい)という方が戦国期初期・所領が三島市
とあるそうです。
もしかしてご先祖さま?!と思ってというか、思いたい私です。
菊地というだけでそのようには結びつかないのでしょうか。


[153] 題名:道東菊地様はじめまして 名前:菊地(藤兵衛)武英 投稿日:2007年09月22日 (土) 10時55分

お子さまのご誕生おめでとうございます。

福島県の菊池(菊地)氏については、市町村史においては、安達郡の武士流の家系、伊達郡の武義流の家系が掲載されており、ともに後亀山帝の密勅が共通項となっているようです。
福島県内の他地域ではどのような言い伝えがあり、誰の流れとされているのか、興味が持たれます。何かおわかりのことがありましたら、ご教示ください。
菊池・菊地氏に関して、福島県は岩手県や茨城県の大族に圧倒されて、埋没している感がありますが(^_^;)、ともにがんばりましょう!!


[152] 題名:遠く北海道より 名前:道東菊地 投稿日:2007年09月21日 (金) 23時40分

実はずっと過去ログを読ませていただいていて、もしかしたら・・・!とドキドキしておりました。
我が家のご先祖「菊地藤兵衛」ですが、文化7年(1810年)生まれの菊池儀右衛門の養父ということで、1700年代後半に生まれた方かと思います。年代は違うようですが、同

名の祖をもつ方がいらして嬉しく思います。これからもよろしくおねがいします!
私が確認できたのは、藤兵衛の養孫儀平の謄本に養祖父として記載されていたのが最古でしたので、それ以前、いつから東舘に住んでいるのか?菊地の姓はいつ頃から名

乗っているのか?などは全く知る術がありません。菊地(藤兵衛)武英様の家のように届出の際に変わってしまうことがあるかもしれません。
ただ、周りで一番詳しい私の祖父の弟が過去に残していた文章によると、「菊地家は白河在に代々菊地儀右エ門の苗字と帯刀を許され士分格を与えられていた」との記載が

ありました。誰に伝承されたかはわかりません(福島にも行ったことは無いと言っていました)が、もしこれが事実とすると何がしかの手がかりがまだ見ぬ地、福島に残されてい

るのだと信じています。


[151] 題名:菊地藤兵衛のお名前にびっくり 名前:菊地(藤兵衛)武英 投稿日:2007年09月21日 (金) 18時55分

「菊地藤兵衛」のお名前にビックリしました。
私の高祖父と同姓同名になります。
しかし、私の高祖父は信夫郡福島町(現福島県福島市)の人(幕末から明治にかけて)で、家紋は丸に三つ扇です。
元々は菊池でしたが、明治の届け出の際のミスで菊地になってしまった、とのことでした。従って、戸籍上は菊地になります。
この機会にハンドルネームを「菊池(・・・」から「菊地(・・・」にあらためたいと思います。


[150] 題名:情報ありがとうございました! 名前:道東菊地 投稿日:2007年09月20日 (木) 22時19分

HAZU様、さっそくのご返事ありがとうございました。こちらは資料も乏しいため、新たな情報とお気遣いに心躍ります。
そうですか、矢祭にはずいぶん菊池家のほうが多いのですね。藤田家(東舘村でした)もあるいは元々菊池氏だと考えますと、やはり因縁めいたものを感じます。
現在わかっている最古のご先祖が菊地藤兵衛(血縁ではないですが)といいますが、その実の娘さんは茨城県久慈郡小里村の菊池家に嫁いでいるようです。
矢祭と久慈郡のあたりはほぼ隣町のようですので、一族が固まっていたのかな?と想像しております。
ちなみに近藤家から菊地家に入った儀平には2人の男子がおりましたが、共に屈斜路に来てしまっていますので、本家はどうなったんだろう?と不安になりました。
これより前のことは、現状では知るすべがありませんが、のんびりとルーツを探していきたいと思います。
蛇足ですが、わが菊地家の家紋は大勢を成す「丸に違い鷹の羽」です。あまり手がかりにはならないですね。


[149] 題名:こんにちは、道東菊地さん 名前:HAZU 投稿日:2007年09月20日 (木) 07時32分

すべて、現在の矢祭町のようですね。

関岡村は1889年に植田村、台宿村、伊香村、真名畑村、茗荷村、内川村と一緒になって高城村となり、1955年3月に茗荷、内川、関岡は矢祭町に、植田、台宿、伊香、真名畑は塙町になります。
東館村、大(おおぬかり)村、上関河内(かみせきごうと)村、下関河内村、小田川村、宝坂村、金沢村、山下村、高野村が1889年に一緒になって豊里村になり、1955年3月に高城村の一部と一緒になって矢祭町になります。
その後、石井村の一部であった中石井、下石井、戸塚が紆余曲折のあとに矢祭町に編入されて現在の矢祭町になりました。

なお、「ふくしまの苗字」によると下関河内の藤田氏は佐竹氏の家臣の子孫で、本姓は菊池氏だということです。
また、菊池家約160件、藤田家66件、菊地家26件、近藤家ランク外でした。


[148] 題名:おじゃまします。 名前:道東菊地 投稿日:2007年09月19日 (水) 19時40分

はじめてお邪魔いたします。私は北海道釧路市に住んでおります菊地と申します。
最近、子供を授かったのをきっかけにご先祖のことを調べ始めました。
私の家は、高祖父(明治7年生)の代に福島県東白川郡豊里村より北海道弟子屈の屈斜路に入植して現在にいたります。
その高祖父の父・儀平(弘化元年生)は、上関河内村の近藤という家から菊地に婿養子として入ったようですが、高祖父の祖父・儀右衛門(文化7年生)も関岡

村の菊池(友輔)という家から菊地藤兵衛の養子になったようなのです。儀右衛門の奥さんも旧姓は藤田なので、ここで菊地ではなく、菊池の血になってしまい

ました。
それ以前のことは何もわかりませんが、この事実を知ったときに現地に行きたくて仕方が無かったのですが、妻が出産予定日をあと一週間後に控えているのでそれは何年も後の話になりそうです。いつかわが子と一緒に、ご先祖が過ごした土地に行くのが楽しみです。
もし、この乱文をご覧になって、同じご先祖を持つ方が見つかったらとても嬉しく思います。




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