【広告】楽天市場からポイント最大47倍お買い物マラソン27日まで開催中

家系研究協議会掲示板(別館)

菊池一族について

ホームページへ戻る

名前
Eメール
題名
内容
URL
削除キー 項目の保存

[35] 題名:福島県の菊地(菊池)氏3 名前:HAZU 投稿日:2006年09月26日 (火) 22時39分

 今度は東白川郡です。ただし、県南地方は系図類が整っていない家が多いです。
・棚倉藩主だった小笠原佐渡守の家臣に菊池兼太郎という本国棚倉の人物がいます。
・文禄4年頃の佐竹領南郷に菊池源五兵衛 木六郎と言う人物が50石で高岡というところにいたと言います。
・塙町では上石井、田代、片貝、板庭など笹原地区に多い。


筈衛


[34] 題名:福島県の菊地(菊池)氏2 名前:HAZU 投稿日:2006年09月26日 (火) 21時41分

今度は東和町の菊池氏です。
こちらで、修験道の一族に菊池、木口と名乗る一族があったことが書かれています。
他に17代武頼の子孫といい菊池家の子孫であるが、小手森合戦で没落し、津島の紺野氏を頼って逃れ、紺野氏と変えた家もあります。こちらの武頼は金子丸、菊池掃部介といい、興国5年生まれで母は菊池武澄の娘で後亀山天皇の密勅で陸奥下向したといいます。


筈衛


[33] 題名:福島県の菊地(菊池)氏 名前:HAZU 投稿日:2006年09月26日 (火) 21時18分

 私は県南地方東白川郡の出身ですが、確かに菊池さんが近所に何人もいます。
 今回はわたしの調べた福島県の家々の家から菊池(菊地)氏をいくつか書き込みます。
 はじめに白沢村史に載っている菊池家です。
・肥後の菊池氏の18代菊池武一の子19代武頼が後亀山天皇の密勅をもらって菊池一族127人を連れて北陸道を通って陸奥国へ下向したそうです。元中7年に安積郡須田川荘に着いたそうです。ついには安積郡、田村郡に別れてすんだようです。この菊池氏から橋本氏、藤井氏が別れています。紋は丸に交い鷹の羽です。


筈衛


[32] 題名:福島の菊池氏 名前:菊池(藤兵衛)武英 投稿日:2006年09月26日 (火) 06時27分

私も母方のルーツは福島(福島市)の菊池氏です。茨城県の菊池氏と福島県の菊池氏は密接な関係があったのではないか、と考えるようになりました。従って、菊池学様のご参加は大変心強く感じられました。宜しくお願いいたします。
先日、福島県立図書館にルーツ調査の問い合わせをいたしました。色々調べていただき、大変丁寧なご回答をいただきましたが、残念ながら、明治前期の福島大火で貴重な資料が灰燼に帰したことが分かりました。
しかし、その後、ある方から佐竹氏家臣として秋田に移った菊池氏(秋田藩士)に芦名氏家臣だった家があることが分かりました。関連するかどうか分かりませんが、調べてみたいと思います。


[31] 題名:どうぞ宜しく 名前:菊池 次郎肇 投稿日:2006年09月25日 (月) 17時14分

はじめまして、私は、菊池学様の近く(茨城県常陸大宮市)に住んでいる菊池次郎肇です。
菊池一族後裔と伝えられていますが、詳細はわかりません。
私も、ルーツに興味があり一族の謎解きを始めたばかりです。
このページの立ち上げに尽力をして頂いた仙台市の菊池武英様共々、一族の解明にさらに道を開ければと思っております。
どうぞ、宜しくお願いいたします。
私も久慈川流域に住んでいますが、久慈川沿いには菊池の姓が多く、一族との何らかの関連があるとは思っています。
家紋の「並び鷹の羽」は、現在の研究では菊池家の嫡流とされている家紋です。
菊池学様の本家筋の替えの紋や氏神様、家例、家伝などを本家に縁のある方にお尋ねになれば、何か少しでも役立つ情報を得られると思います。
歴史とは、その時の力のあるものにとって都合の良いものが残っているものと、私は見ておりますのでなかなか真実が見えにくくなっています。
しかし、このページに多くの方の参加があれば、現代は広範囲にすばやい情報伝達が可能ですから(このページのように)、一族の歴史やルーツの解明はさらに前進するのではないでしょうか。
これからも、どうぞ、宜しくお願いいたします。


[30] 題名:はじめまして 名前:菊池学 MAIL 投稿日:2006年09月25日 (月) 08時15分

こんにちは私は福島県南部の矢祭町という町に住んでるものです。矢祭には菊池という名字がかなり多く、近くには久慈川が流れています。私の祖父の実家(本家)は地元では指折りの大地主で多分武家だったと思うのですが、本家の人も祖父もご先祖様については知らないというのです。そこで自分なりに調べてみたんですが。詳しくはわからないのです。もしかしたら戦国時代の肥後の国の菊池家や奥州藤原氏家臣の菊池家と関わりがあるんでしょうか?家紋菊池家伝統の並び鷹の羽です。こんな情報しかありませんが何か知ってる事がありましたら教えてくださいm(_ _)m私も知りたい情報などあれば言ってくれればできる限り提供します。私も菊池一族のルーツ研究に関わりたいと思うのでこれからよろしくお願いします。


[29] 題名:西米良村役場HP 名前:菊池(藤兵衛)武英 投稿日:2006年09月18日 (月) 09時39分

興味深い情報をありがうございます。
早速、西米良村のHPにアクセスしてみました。
「菊池氏の薫陶を受け継ぐ村」とありました。
菊池市や遠野市と友好を結んでいらっしゃることが記載されていました。
九州では菊池そのままの姓ではなく、各地の地名による一族が多いわけですね。「中武」「浜砂」の名字は初めて知りました。


[28] 題名:米良氏 名前:佐枝太郎 投稿日:2006年09月18日 (月) 08時55分

九州の菊池一族は、南北朝が衰え1381年に菊池城が落ちてからは、米良山へ入山したとあります。そして、菊池氏22代能運公は、菊地家の断絶を恐れ、嫡子を弟に託し、米良山中に落としたとあります。嫡子重次は、米良氏を名乗り、米良家17代、約450年間にわたり米良一円を領し、王政復古のあと、菊池姓に復しています。
しかしその辺り(今の西米良村)には、その流れをくむ「中武」「浜砂」「黒木」「上米良」姓が多く、「米良」姓は西米良村内には一軒もありません。私が考えるには近隣の市町村に「米良」姓が存在しているのは、今の木城町と西都市ができる前に東米良村と合併したことによるものだと考えています。つまり旧東米良村に「米良」の姓が多かったと考えられます。


[27] 題名:宮城県亘理郡の菊地氏 名前:菊池(藤兵衛)武英 投稿日:2006年09月16日 (土) 08時31分

ある新聞記事で宮城県亘理郡山元町が古代から砂鉄が大変多く、製鉄が盛んだった可能性が高いことが載っていました。
1)山元町は奥州藤原氏家臣菊地氏が落ち延びた地と伝えられます。
2)また、奥州藤原氏のルーツの地ともいえます。
3)関東の北端的な位置づけがされる場合があります。
以上のことから、菊地氏は奥州藤原氏と密接な関係にあり、製鉄の技術から重んじられていた可能性があるかもしれませんね。
案外、亘理の菊地氏が検討のひとつのポイントになるかもしれませんね。


[26] 題名:出羽、菊地氏、佐竹氏 名前:菊池(藤兵衛)武英 投稿日:2006年09月14日 (木) 19時26分

山形県は菊地氏が大変多く、また、佐竹氏も多いようです。
佐竹氏は西村山郡朝日町に旧家(大庄屋)があり、戦国時代の上山城の家老等があります。
関連するかどうか分かりませんが、気になる様相です。




Number
Pass

ThinkPadを買おう!
レンタカーの回送ドライバー
【広告】楽天市場からポイント最大47倍お買い物マラソン27日まで開催中
無料で掲示板を作ろう   情報の外部送信について
このページを通報する 管理人へ連絡
SYSTEM BY せっかく掲示板