家系研究協議会掲示板(別館)
菊池一族について
[496] 題名:投稿の菊池系図について 名前:菊池吉三郎@上総 投稿日:2014年04月09日 (水) 06時51分
菊池系図について報告します。
お話を聞いたところ、菊池系図を入手したが近所に菊池氏一族子孫(別流)の方が居る縁により、
手放さずに保管しているとの事でしたので、相談させて頂き譲ってもらいました。
本当にありがたいことです。参考にさせて頂きます。
この系図については、子孫の方も不明であり現代の方まで記載された家系図でもありません。
あくまで、研究の為であり他の方の要望もある様でしたので一部を報告させて頂きます。
藤原鎌足から始まり〜 道隆− 隆家− 経輔− 政則となり
その後は通常の菊池系図と同じく続き、
菊池二十一代重朝の弟で河内守武幸を初代とし、その後迫間氏を名乗ったと思われ河内守武吉の代に菊池から(肥後国の)葦北郡に移った様です。
為邦− 河内守武幸− 迫間河内守武吉− 助右衛門尉武安− 孫左衛門尉武蔵− 助右衛門尉頼次−
と続き、その後四代で終わっています。
その他の枝分かれとなる家系は1家系しか記載ありませんでした。
直接見た感想は、情報量の少なさとほぼ直系しか記載がないので略系図と言った方が良いと思われ、
元の系図より必要な分部だけを写した物と感じました。
[495] 題名:『家系』(豊田武) 名前:菊池藤兵衛 投稿日:2014年04月06日 (日) 14時45分
大仕事が終わり、時間が出来るかと期待していましたが、退職者続出でその対応・・・なかなか問屋が卸しません(^_^;)
さて、豊田 武氏著の『家系』、代表的な基本書ですが、菊池氏についてもやはり示唆に富んだ文章が・・・。
@北畠や菊池の一族も亡命し、子孫が土着した(青森県)。
A多い苗字として「菊池」(栃木県)
B菊池は大友氏に滅ぼされたが、菊池の子孫は県内にひろがっている(熊本県)。
C美作にも菊池氏が栄えた。
D武重の弟でその養子となった武士は、多病のため家を弟の武光に譲り、剃髪して諸国を回遊した。その子孫といわれるものが、仙台にも住している。
E菊池氏はさらに、かつて瀬戸内海から紀伊半島にかけて、海賊としても活躍していた。彼らは主家の没落後、奥羽・信濃・志摩などに移り住んだ。現在、菊池でなく、「菊地」と書く家々は、このような人たちの子孫といわれている。
目新しい内容ではありませんが、的確にひろっている印象を受けます。
気分転換の書き込みで、失礼いたしますm(__)m
[494] 題名:お知らせ 名前:菊池吉三郎@上総 投稿日:2014年03月17日 (月) 22時16分
本館掲示板に菊池系図(写真有)が紹介されています!
詳細を知りたいものです。
[493] 題名:菊池武宗 名前:菊池吉三郎@上総 投稿日:2014年03月03日 (月) 18時27分
高千穂太郎左衛門様
現在、公私ともに忙しいところですが、一つ片付けることが出来ました。
詫磨系菊池氏ですか・・・。さすがですね。
私も再度、書籍を調べてみます。
[492] 題名: 名前:高千穂太郎左衛門 投稿日:2014年02月23日 (日) 19時32分
こちらのホームページ(http://www.cam.hi-ho.ne.jp/s-uekawa/sub9.htm)の一文章に・・・
本覚院と浄光院は何れも菊池家の人々である。
区別する意味でそれぞれ川尻殿、竹の丸殿と呼ばれていたことがわかる。
川尻は詫磨郡の村であるし菊池武宗の娘とあるから本覚院が詫磨系菊池氏の出自である。と、ありました。
少し調べてみようと思います。
[491] 題名:秋田の諸橋さんを探している理由 名前:菊地英雄 投稿日:2014年02月23日 (日) 11時06分
諸橋さんは古い手紙で「菊池伝記」ということについて記述している方です。
[490] 題名:秋田の士族:諸橋武知さん 名前:菊地英雄 投稿日:2014年02月22日 (土) 18時18分
秋田市古川堀端の諸橋武知さんをご存知ありませんか?
[489] 題名:降参です。笑 名前:菊池吉三郎@上総 投稿日:2014年02月09日 (日) 17時18分
最近公私に忙しく、まとまった時間が取れない状況です。
少しずつ調べてみましたが、良く分かりません。
[488] 題名:推察@ 名前:高千穂太郎左衛門 投稿日:2014年01月30日 (木) 21時11分
西藩烈士干城録の阿蘇新九郎惟永からの一節に、津守光長(光永)、木山左近将監、菊池某、森山某、皆降属我。とあって
この菊池某が「香右衛門」ではないかと考察しています。
この節の前後には阿蘇家の臣の名が見えるので、「香右衛門」は阿蘇家方の人であったのかも知れませんね。
[487] 題名:もう一度探してみました。 名前:菊池吉三郎@上総 投稿日:2014年01月28日 (火) 20時21分
菊池香右衛門は、名前だけ私の持っている書籍の軍記類で見つけられましたが、
赤星弥右衛門は、新撰事績通考などの赤星氏の家系図に出ていました。
又、弥右衛門とされる人物の孫の世代に当たる統(宗)景が国衆一揆での茶臼山で討死をしたようです。
赤星武貫 −武生 −武続 −武則 −兼規 −為継 −政継 −重規 −武規
−有継 −「 弥右衛門・備中守親実 」 −備中守親国 −藤三郎統景 茶臼山にて討死
時代的に該当するであろう他家の家系図もみましたが、見つけられませんでした。
ちょっと慌ててしまいました。済みません。