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失礼いたしました。 09.03.29
昨日、夜中近く、滝田洋二郎監督の『おくりびと』を 遅ればせながら、見せていただきました。
人間はいつか、かならず命を終える生き物。 その終え方には千差万別、 いろいろな形の旅立ち(滝田流に)があり、 その悲しみにもいろいろな思いや状況が あるワケですね。
この映画の核となっているものが、 わりと僕の映画『河 童』とだぶるところを 一杯発見いたしました。
まさに、本物の監督が僕が言いたかった 命が引き継がれていく逞しさを 見事に表現していた点で、 僕は一番感動いたしました。
命は、長いか短いか? そんな事は実はあまり関係ないのです。 長ければ幸せか?短ければ不幸なのか? 永遠のテーマでもあり、 既に一人一人の心の中では、 わりとハッキリ、その答えは 出ているように思うのです。
つまりは、死というものは、 その人の死生観に根ざしたもので、 決まった死に方なんて、 この世には存在しないのです。
一人一人の顔が違うように、 最後、もしくは旅立ちの仕方も違うのです。
日本には美しい言葉があります 『旅支度』たびじたく、と 読むのですが、この「支度」と言う言葉に 僕は非常に胸うたれています。
下着、ハブラシ、着替え、寒かったとき 少々暑かったときにきる、薄手のセーター。 あまり大きなバックだと重いから、 できるだけ、シンプルに小さくまとめていく。
しかし、ここで、人間の個性が別れていく。 そのバックに入れたいその人の趣味志向。 ある人は、亡くなったご両親の写真だけは 入れるでしょう。
ある人は、絵を描く道具を、 ある人は、マンガ本・・・・といったように、 人それぞれが必ず用意するものと、 その人しか理解できない『旅支度』があるのです。
つまり、これが「支度」です。
決して日常品に必要不可欠なものを 用意する行為が「旅支度」ではないのです。
密かに、しかも、誰に頼まれもしないし、 誰も気にしない、その人しか解らない道具。 実はこの「支度」というキーワードが 『おくりびと』には満杯に入っていたのです。
主人公は新婚で、売れないチェロ奏者、 奥さんは、出来ていているとは言え、 まだうら若い若妻。 至らないところを補い合って生きています。 やがて、おなかに新しい命が出来る若い夫婦。 人間の尊厳を極限まで見守る仕事とは? その死の現場に立ち会い、ながらも 夢を捨てきれず、チェロを引く主人公の気持ちと、 音楽という空気に震えながら心に響く音を奏でる 人間の言葉を使わないで心を伝える表現手段。 音楽が呼吸である証拠がここにあります。
それが音楽であり、音楽が命をつないでいく。 僕はここにこの映画の基本原理が 隠されていると思いました。
生きている間、刻み続ける鼓動・・・リズム。 感じようとする思い。
その鼓動が止まる『死』。 本人は感じない悲しみと深い後悔が 周りの人々に広がっていく瞬間。 つまりは、人間は死に直面する事で、 学び、やがて自分もそうなる事を悟るのです。 決して無駄な死はありません。 何かを教えてくれるものです。 これが「支度」の仕方なのかもしれませんね。
優しいという事は、涙を流せるかではなく、 どれだけその人の死を尊重し、 その人自身を愛していたかに掛かってくるのですね。
『旅支度』は日々考える事なのかもしれません。
だって、僕らは、生きている限り 『旅の途中』なのですから・・・・。
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By H美
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| (652)/2009年03月29日 (日) 21時24分 |
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