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梅雨の季節!! 09.07.06

   雨が今日も降っている。
   俺はなかなか外に出られずに、
   玄関に出ては、二の足を踏んでいる。

   やる事は山ほどあるのに、
   この町の静けさが、
   なんか外に出て
   やらかしやる〜!っていう
   意気込みを壊す。
   ・・・いや、流してしまう。
   なんかヤル気が失せるのだ。

   こういう季節は意外にも
   石井竜也としては、
   天性の鬱病チックな自分に
   瞑想できるいいチャンスなのだが、
   この頃、変わったようだ。

   雨に中を一人歩くのはなんか物悲しい・・・
   なんて言うごく普通の感覚になってしまっている。
   これは、一種の変化だ。
   いやいや、石井竜也にとっての大変な
   痛手であると判断せざるを得ない。

   だいたい世の中の仕組みとして
   こういう、しとしとまるで夕方の
   追う魔が時には、静かに
   いろいろと出歩いたりしないのが
   日本の習わし。

   こういう時こそ、うるさい街の喧噪から逃れて、
   自分一人の世界に没頭できる
   いいチャンスだとふんで、今まで、
   雨のソボ降る震えのくるような
   気味の悪い夕方時こそ、俺の時間と
   自分法律書に記しておいたのに。

   この第9条は、今となっては返上らしい。
   となると、いやが上にも盛り上がるために、
   いやが王にもグロで激しい、
   ホラー映画を馬鹿になったように
   立て続けに4本は見るとか、
   近所中から苦情が出るまで
   大きな騒音に近い音量で自分の
   今までのアルバムをかけまくり、
   警察沙汰を起こしてみるとかという、
   新聞載りそうな事件を引き起こしそうで、
   自分が怖いのだ。

   こういった傾向は髪をのばし始めてからの傾向で、
   短い時は至って、健全なる変態に身を置いていた、
   心ひん曲がった石井竜也だった。

   知らない人には説明しておくが、
   石井は、基本的に変態体質だ。

   だから、俺の言う顕然とは、
   少々世間をあざ笑っている時こそ
   健康状態のすこぶるいい時期なのである。
  「雨が降ったら気がめいる」などという
   ごく一般的な感覚をはずかしげもなく
   こんな公の場所で暴露してしまうという、
   あさはか且つ軽はずみ、
   または愚かな行為に出るという事は、
   石井竜也の今の状態の精神的行動がいかに
   俗にいう『一般的』になってしまったかを、表すのだ。

   ・・・すくなくとも、俺はそこを
   バロメーターにして今まで生きて来た。

  『梅雨(つゆ)だ!最高!次の夏が絶対に来ませんように』
   なんて願わざるを得なかった。

   ・・・歌では『蒼い空』とか『そよ風』とか
   歌ってますが、実はあれは自分が到達できえない、
   もしくは自分が一番苦手なところに堂々と
   はずかしげもなくいられる人々を尊敬と、
   羨望、そして少しの軽蔑を持って
   見ている言葉なのである。

   そしてそれらの歌の歌詞そのもには
   たいした意味はないのであって、
   それをうたっている自分が問題なのである。
   つまり、『自分が嫌だなあ』と感じる事を
   歌う事によって生じる、一種の自己犠牲的精神、
   もっといえば、マゾヒズム的な心持ちを持って、
   歌う自分が好きなのだ!

   こういうと、『ずいぶんと複雑な精神状態で
   あんなに清々しい歌をよくも歌えるもんだ・・・』
   などと、うるさ方にはいやがられそうだが、
   そうではない。

   多少の無理というのは、人間を日々の自分とは
   違った存在に変化させる源動力になり得るものだ。
   このビック・バンを利用しながら、
   人々には絶対に受け入れられない歌を
   少しづつ入れる。
   これこそが私、石井の変態である由縁である。
   これがすべて、清々しい歌になったり、
   変態的な歌詞をもはずかしげもなく
   歌うようになった時こそ、
   石井竜也の立派な崩壊なのである。

   ビクビクと人の反応を感じながら、
   恐ろしがって、恐怖におののいて
   それを隠すようにステージでは、
   ダイナミックな自分を披露する事こそ、
   俺にとっての、表現の奥ゆかしさなのだ。

  『イヒヒヒヒと心でしてやったり』などと
   願ってこそ石井竜也が正常に機能している
   時なのである。

   だから、梅雨が憎らしく思える
   今の状況は非常に危険な石井竜也の
   崩壊を暗示する、自分としては異様な
   光景なのである、いや、事実なのである。

   普通なら、瓦屋根の軒下にじっと立って
   シトシト・ゾボ降る雨の滴りを、
   ニヤ〜〜〜〜〜っとして、にやけ面で
   ながめていなくてはならない。
   その向こうには暗くたれ込めた梅雨時の厚い雲。
   これより雨が強くても気分が悪い、
   これより、弱くても、待ちがやかましくなる。
   そういう微妙な加減が梅雨時の石井竜也を
   健康的に導いてくれる感覚的情緒風景なのだ。

   だけど、そんな事より、
   石井竜也の一番優れたところは、
   そんなに大好きな『梅雨の歌』を
   好意を持って絶対に書かないところにある。
   これをして、石井流・隠し拳『鬼の爪』という。
By H美
(762)/2009年07月06日 (月) 14時33分



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