 |
|
|
近況の冬。 09.01.21
皆さんは、僕たち、俗にいう芸能関係者の仕事は、 薄々感じ取っているのではないかとは思うのですが、 こういう仕事の場合、嘘と真実の境目を どうなくすかという戦略が一番厄介な問題なのですね。 しかも、みてくださる何万人と言う方々に ご満足いただける作品を作るなんて言う神業的な事を やってのけねばならないのですから、 そんな事、どう考えても不可能なんです。 だけど、期待には応えなければならないし、 また、その最低限度、もしくは最高限度のクオリティーも 確保しなければならない。売れてるアーティストの90%は、 巨額の宣伝費とスタッフの血に出るような努力でちまたに流れます。 ですから、100万枚CDが売れようが 200万アクセスがあるダウンロードでも、 ヒットとはいえない場合もあるのです。 逆にたった1万枚でもだいヒットと呼べるものもあるんです。 これが不思議な事。こういう世界では話題性や、 ほかのアーティストとの確固たる違いや実力または、 個性などが見せつけられる事が出来れば、ある意味、 たいした数のCDが売れなくとも成功という事にもなるものです。 企画製や、制作過程においても同じ事がいえて、 途中で企画を変更せざるを得なかったり、 キャスティングが失敗に終わる事もままある事です。 しかし、人間は・・・というより、アーティストは、 そういう極限状況でも成功させてしまえるような感と 知性がと経験が必要になってくるものです。 もちろん、そこでは激しい激論や人間関係にも 多大なる被害が及ぶ事もあるものです。 しかし、そこは同じ業界のよしみ、何らかの形で成功すれば、 もう次からはケロっとして挨拶を交わしているものです。 ものを作る事は、もちろん、自分の本文であり、 生き甲斐なので、のべつまくなし、作り上げられる作品は 本人が生きている限り、つきる事はありません。 しかし、贈り物にパッケージとリボンの色の組み合わせで 安く見えるか高く見えるかのようなもので、 その作品の周辺を囲むイメージというものは 非常に大切なアイテムになるものです。 ましてや、冗談が入ってくる作品というものは ある人々にとっては非常に失礼な事も考慮しなければなりません。 法律まで破る必要はないですが、ごく当たり前のものなんて 誰がみたいと思いますか?
なにがしかの変化やショック、 感動を誰もが求めている社会において、 作品は、時にただの爆薬でしかない場合があります。 驚きを通り越して、ただの他人への嫌みと見なされる事だって 考慮しなければなりません。 それはジェントルマンシップなどという高次元な事ではなく、 ごく当たり前の理性や、最低限度守らなければならない 人としてのルールでもあったりします。 日々僕たちの仕事はこういう細い路地裏をどこにも触らないで、 すいすいと猛スピードで走り去っていくようなものです。 まさに神業、20年以上こんな走り方をしている自分が ものすごい事のようにも思えますが、実はそれにはコツがあるんですね。
それは、行き先を決め込まない。 決めすぎて脱落する人間のなんと多い事か。 決めてしまった計画を途中変更するという事は、 言葉尻だけ聞いていると卑怯に思えますが、 生きていく上で実は一番頭がいい方法です。 臨機応変な事の進み具合を必死でこなすのではなく、 冷や汗を手で隠して、余裕を悠々と見せながら歩く。 時々笑ったりして・・・。
どうです、ばからしいでしょ? でもね、これは本当に大切な事。 これが出来るか出来ないかで、 その人間の器が決定されてしまう。 もちろん、作品を作るその本人もですが スタッフや聞いてくださる人々への 多大なる影響にも繋がる大事件です。 そうならないようにいつでも脳みそは柔らかく、 社会的にはきちんと「たっている場所」を提示しておく。 そして何より、みたり聞いたりして、 作品を大切にしてくださる皆さんを イメージという保護幕で覆わなければならない。
ショーを作るのではなく、 ショーが出来上がるようにしむけていく。 そして、その一つ一つが異彩を放ち、 どこにも存在し得ない世界をつくあげる原動力を 組み立てていく。
これは船のエンジン部分をつくるようなものです。 見かけだけよくったって人は興味を持ちません。 せいぜい「ああ、きれいだね」でおしまいです。 しかし、「なんじゃこりゃ!」というものには 忘れられないパワーがあるものです。
正、そこには一定の品性が必要になります。 誰だって、「下品なものを好む人間なんだ」と 思われたくないでしょ?
というワケで、我々のやっている事は とてつもない地球のオゾン層よりも薄い皮膜上で、 しかもそれを傷つけず、むしろ、一段と輝きを 増しているようにダンスして見せるマジックを つくりあげていくことだと思うのです。
石井竜也という一人のアーティストが生まれて死ぬまで、 どのくらいの時間がかかるのかは神様しか解りませんが、 少なくとも僕はいつも、そういう意図の上を バランスをとりながらわたってきているのも事実です。
|
|
By H美
|
| (590)/2009年01月22日 (木) 09時50分 |
|