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この瞬間だけ、僕の話を聞いてください。 09.04.22
そして、その後は、コンサートに向かって一緒に、 盛り上がっていきたいと思うのです。
さて、次々にいただく、父親の朴報に対する 皆さんからの暖かいお言葉に、未だ、 現実とは思えない自分の心がどうしても、 涙を流させます。 実を言いますと、2009年、4月14日・深夜、 僕の世界で一番好きな人間、愛する父親『石井昭雄』が 御歳78歳で他界いたしました。
春の桜が満開のすばらしい季節に 花の大好きだった父が亡くなったという事は 決して、偶然ではないと感じております。
生前の父は、紳士で、決して人の悪口を言わない、 口数は少ないが、非常に造詣の深い英知と想像力、 行動力を僕に、切々と教えてくれた命の恩人。 ・・・というより、石井竜也を形作っている 細胞の8割は、父親が作ってくれたと言っても 過言ではないかもしれません。
引っ込み思案の僕の絵をどんどん、 いろいろなコンペティションに出品したり、 東京にくれば必ず、スペクタクル映画と 来日している海外アーティストの絵画展には 絶対に連れて行かれました。
そんんな中で知ったのが 『フンデルト・ヴァッサー』だったり、 フランシス・ベーコンだったり、 エゴン・シーレだったり、印象派や野獣派、 ウィーン表現派や、ダダイズム、モダンアート、 コンセプチュアル・アート、それこそ、 レオナルド・ダ・ビンチまで教えてくれました。
上野の美術館で、1時間も『カレーの市民』について、 ベンチで話し合った事もありました。 僕にとっての初めてのプロデューサー、 それが父親だったのです。
でも、それは僕が小さなときの子供騙しじゃなくて、 米米CLUBがはじまってからも、 父親の褒め言葉に酔いしれながら、 僕はおおらかにバンドを作り上げていけました。 それは、その陰に必ず、父のお褒めの言葉が 待っていたからかも知れません。
とにかく、父の存在は僕にとって、 一つのバロメーターなんかじゃなく、 『愛』の形と声だったのです。
涙はもう、出尽くしました。
これからは、父が必ず会場のどこかで 僕を、大きな声で応援してくれていると 信じています。
今も、後ろで、「あんまり、大げさな事は 書くんじゃねえよ」と笑っているかもしれません。
とにかく、にぎやかな事が大好きだった父ですので、 今回のコンサートは大好きなメニューじゃないかと 思うのです。
だから、心配無用です。
僕の心の中で、父は優しいあの笑顔で、 「そうそう!」と首を縦に振りながら、 僕の企画をのぞいている事でしょう。
「おとうさん、こんなにも多くのファンのみなさんに 応援されている僕は本当に幸せ者です。 今日も、こんな時間まで曲作りでした。 だけど、心配しないで、大好きな事を 堂々とやってのけてみせますから。 だから、どうか、やすらかに、 天国から見ていてくださいね。 お父さんの事は、絶対に忘れません。 あなたが教えてくれたすべての事は、 僕の細胞の一つ一つにしみ込んでいて、 決して、変わる事はないでしょう。」
最後に、今回は皆様に心配させてしまいまして 本当にご迷惑をおかけいたしました。 僕の心は今、コンサートで満たされている状態です。 父の死を悲しむ余裕もありません。 でも、没頭する何かがあるというのは とても僕を助けてくれています。
今僕ががんばらなければならないのは、 家族や母親のショックを出来るだけ緩和させて あげねばならないという事だと思うのです。
今回のこのメッセージを最後にして、 これからは前を向いて歩いていきます。 どうか、皆様の応援・声援を聞かせてください。 僕はそれさえあれば、もう、何も怖くありません。 皆さんの暖かさに感激いたしました、とともに、 「人間はいいな」という父親の声が聞こえてきそうです。
本当にいつも支えてくださって ありがとうございます。
僕は大丈夫ですので、どうかご心配なく。 ガンガンやっていくので、 たのしみにしていてくださいね。
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By H美
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| (676)/2009年04月23日 (木) 09時35分 |
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