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50年という時間の中で・・・ 09.06.22
世の中で、50歳といえば、ただのオッサンか、 死の恐怖に常に人間ドックを欠かさない、 健康逆オタクか、気の短くなった自分を 弱い自分が隠すように、気が変になってくる時期。
一心不乱になって育て上げた子供達は、 一人前に生意気な口をきき始め、 親の言う事なんか馬耳東風。 だからといって、親子の絆が切れたとも言い切れない 何とも微妙な家庭内の駆け引きが行われている 時期でもある。
仕事に視線を向けても、あと、 どのくらいこの会社にいられるかは、 ペケ次第、いつでも、どうぞと、社長様は、 ドアをあけて出て行ってくれるのを待ってくれている。 それも満面の笑みを浮かべて。
人間関係は、相当な変革がある、 まず、30代の社員や、 お得意さんに相手にされなくなる。 たとえ若い話題を持ち出しても、じじいの遠吠え。 まともに聞くものはいない。
40代からは煙たがられ、早く、そのイスを、 どいてほしいと、言わんばかりの視線を投げ掛けられる。 足腰は、いつ粉々になっても不思議ではないくらい、 骨は弱くなってる。
ここまで言うと、なんだよ、石井竜也! お前はそろそろ人生、まとめに入ってんじゃねエの? なんて、意地悪な意見がでそうですが、 俺の意見は世に言う、こういった、 50代への常識的社会的視線、自分自身への考え方とは、 ちょっとちがうんだな。
このごろの俺って、人間ってさ、自分がいくつかなんて、 あんまり関係ないんだと思うようになった。
つまりは、人がみていない、もしくは、 気がつかない部分にスポットをあてられるか? そして、それが実際人々に作品として、 徹底的な衝撃が与えられるか?という事。
その覚悟がある人と、ない人の2種類しかないんだな。 そこに血液型も生まれた星座だとかも、 人格や家系、裕福、大富豪、こんなもの、 まったく関係ない。
・・・事に気がついた。
あるのは『深い、場所から拾って来た、 誰にもまねの出来ない世界を完全に作りきる情熱と、 瞬間。』
50歳はいいよ!自信を持っていえる。 ここにあるのは、50歳になった自分の顔の写真。 ふ〜〜〜ん、いくらか、醜くなった。 でも、これがいい。ガキにはわからない渋さと、 ガキに味わえない渋い視線がある。 その視線は、つまり、誰を見ているのか?といえば、 それは、自分の「一番深い井戸の中に移る水に揺れる亡霊のような自分の顔。」 その顔が恐ろしければ、俺は間違った人生を過ごしている。 その顔が生き生きしていたら、きっと、俺は、充実した人生の まっただ中にいるに違いない。・・・悔いはない。
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By H美
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(754)/2009年06月23日 (火) 00時26分 |
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