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人間は美しきものなのである (6682)
日時:2013年02月24日 (日) 04時51分
名前:伝統

”人間は美しきものなのである”

     *「光明道中記」(P66<2月24日 心の眼ひらく日>)より

【大自然に心がなければ、大自然より発生した人間に心が生ずるはずがない。
                       (「生命の實相」第十九巻)】

美しく開く春の花を見るにつけても、その美しさを味わう心の不思議さに驚嘆される。
天地自然がどんなに美しくとも、若し吾々の心に「美」が宿っていなかったら、
天地自然の美は存在しなかったであろう。

天地自然の美、梅の花、桜の花、桃の花・・・の美。
それら凡てを味わうことが出来る「大いなる美」が人間に宿っているのである。
”人間は美しきものなのである”。

若し「人間」の知覚力が分析的な測定機のような顕微鏡的、機械的装置に過ぎないものだったら、
吾々はどんな美人をも祖面の醜婦と観、そんな美術品もただ空間(あき)だらけな
分子の機械的な集まりとして観たであろう。

機械的な心に観られた世界は機械的なものに観える。
そこには「美」は存在しないのである。

吾々の観る世界が美しく観えるのは、吾々が「美しく観える」立場から万象を見ているからである。
吾々は最も美しく観える寸法に於て人間を観、天地自然を観ているのである。
美は吾々の観る心によってのみ発掘される。

ものを暗く観る立場から観ている者は盲人である。

先ず心の眼を啓くことが第一である。
心の眼明るければ世界は明るく、心の眼瞑(くら)ければ世界は暗い。

           <感謝合掌 平成25年2月24日 頓首再拝>

最も美しき心によって世界を見んかな (6699)
日時:2013年02月25日 (月) 03時27分
名前:伝統


     *「光明道中記」(P67<2月25日 心美しきに日>)より

【心の眼がひらかれなければ実相の国土が如何に美しくとも見ることは出来ないのだ。
・・・三界はただ見る人、見る人自身の鏡である。  (『生命の實相』第十六巻)】 

これは難解な「維摩経」を判り易く意訳して戯曲化した私の作の一節である。

「菩薩心浄ければ浄土浄し」の意味である。浄土と云うのは、何か土の平面的は広がりや、
景色などのように思っている人もあるかも知れぬが、「浄土」と云うのは「世界」であり、
「世界」と云うのは「主観(こころ)の住んでいるところの客観界」の意味である。

浄土とは主観客観全一の存在であり、客観ばかりではなく、主観によって、
観る者と観られたるものとの一体の世界である。

孔(あな)ばかりを観ている人には此の世界は多孔性の世界であるし、
塀ばかりを見ている人には、前途見透(みす)かしのつかない衝突ばかりの世界である。

他(ひと)の欠点を探す人には此の世界は孔だらけな無味乾燥な世界に見えるであろう。
棘(とげ)ばかりを見出す人には此の世界は、針地獄に見えるであろう。
我れらは最も美しき心によって世界を見んかな。
  
今日いちにち人の美しさのみを見ることをつとめよう。
  
若しそれが美しく見えないならば自分の心が汚れているのだと反省しよう。

           <感謝合掌 平成25年2月25日 頓首再拝>

【美的価値と行】 (6803)
日時:2013年03月01日 (金) 04時41分
名前:伝統

     *『光明道中記』(P72 三月「万物めぐむ」~はじめの言葉)より

人間は宇宙の生命が咲き出た美花である。
それに気着かぬ人が多いのは悲しむべきことである。

人間自身が花であると云うことに気が着いたならば、
人間はただ美しく生きることに懸命になれるに相違ないのである。

人間の価値には、美的価値と、道徳的価値と、経済的価値がある。

経済的価値とは物の生産と消費との関係に於ける価値である。
経済的価値を生産のみにあると思うのは間違である。
生産と消費との調和に価値が生まれるのである。

道徳的価値とは人間の心に生じたるものを行為に表すところの価値である。
経済的価値も、道徳的価値も、行(ぎょう)を通してのみ、その価値を成就する。

美的価値は離れて観る価値であるから、行と最も縁遠いところの価値であるが如く思われる。
併し、「美」もまた行を離れて存在し得ない。

「美」は紋理(もんり)であり、相(すがた)であるが、
相(すがた)もコトバの振動によって展開するから、行(ぎょう)なくんば美もまたないのである。

           <感謝合掌 平成25年3月1日 頓首再拝>



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