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食と運勢 (7124)
日時:2013年03月15日 (金) 04時40分
名前:伝統


     *「光明道中記」(3月15日 待人来る日)より

【類は類を招(よ)ぶ。類でないものは反発する。此(この)法則で運命が形成される。
                           (『生命の實相』第一巻)】

ドイツの諺には「人間はその食するところの食物に似る」と云うのがある。
日本でも石塚食養法の石塚左玄氏は此の説をとなえて、
その食養法もそれによって指定せられていたのである。

ドイツでは生人参(なまにんじん)を食べると美しい歯と顔色になり、
蔓条(すじ)を追うて薯(いも)を作って行く馬鈴薯は推理力を、
その蔓(つる)の曲線美が芸術的である蔓豆は芸術的能力を発達させると言っている。

そこで人参を多く食するロシア農民は歯が非常に美しく顔色が人参色をしている。
馬鈴薯を小麦の代りに食べているドイツ人は世界一の哲学者科学者などを輩出している。

石塚氏は目の形が食物の形に似る事を事実を以て指摘した。
麦を常食とする人の目は麦粒の形をしており、米を常食とする人の目は米粒の形に
切れていると言って、その典型的な写真をその著書に掲げた事がある。

藷(いも)類を多食すると、手足が大きく伸びるのは藷そのものが
手足を伸ばして伸びて行くものだからだろうか。

藷は横にのびるものであるから、それを多食する者は正坐が下手であって
ごろごろと転がるものが好きである。

米を常食とする者は一株の苗から無数の株が増殖するように殖えるのである。

日本の国民は米に似てその発達増殖限りなしである。

「実るほど頭のさがる稲穂かな」。

           <感謝合掌 平成25年3月15日 頓首再拝>

人はその食物に似る (7139)
日時:2013年03月16日 (土) 03時47分
名前:伝統


     *「光明道中記」(3月16日 「寂(さ)び」を知る日)より

【教育とは本人の内に宿る天分を引き出すことである。(『生命の實相』第七巻)】

日本人は鯛を目出たいと言うが、西洋人は鯛を不潔な魚であり掃除夫(スカベンジャー)だと
言って食べない。鯛は死骸でも腐肉でも何でも海中の不浄物を食して、海中を掃除する役目を
すると信じられているからである。

西洋人は日本人が生臭いとして上品な食物でないとしている鰊、鰯、鮭などのようなものを
賞美する。類は類を招き合う、西洋人は一言にして言えば生臭い人種である。
第一体臭が非常に強い。

その文化も生まであって、悪どくて、「寂び」の味いがない。
「寂び」の味わいを知る者は日本民族のみである。
吾々は世界一の執着なき国民である。

味いも淡々たる物が好まれるがために、鯛の如き濃厚ならざる食物が賞美せられる。
日本人を侵略民族のように思うのは日本人を知らざる者である。

類は類を招(よ)び「人はその食物に似る」執濃(しつこ)い食物を好む民族のみが執着強く、
欲深き者である。

日本人にして牛肉を多食し、魚族でも油濃きもの ―― 鯖(さば)、鰯(いわし)、鯵(あじ)
の如き背の青き魚、鮪(まぐろ)、鮭(さけ)、鱒(ます)の如き赤身の魚を多食する時は、
それが日本人の淡々たる性格に適せざるが故に、その成分の一部が巧みに体外に排泄せらざる
時には、皮膚に雀斑(そばかす)、頬焼けなどとなってあらわれる。

生れつき雀斑多き者は概ねその父母が此種の食物の愛好者である。

           <感謝合掌 平成25年3月16日 頓首再拝>

形が善き性質を表現する食物を食べるべき (7155)
日時:2013年03月17日 (日) 03時48分
名前:伝統

     *「光明道中記」(3月17日 人相応を知る日)より

【教育とは引き出すこと。(『生命の實相』第七巻)】

「人はその食に似る」と言えば如何にも唯物論的に考えられる。
人間が食べるところの「物」に似ると云うのであれば「物」が主となり、人間が従になって了う。

併し更に深く考えてみると、「物」は本来自性なく、「物、物に非ず」である。
それが或る一定の形状、色彩、性質に対応するところの
心の波が存在していることを現わしているのである。

例えば吾々が顔を赧(あか)くするならば、
顔は物質であって、自性なく、自分の力であかくはならない、
何か赧(あか)くなるところの心の波が内部に起るときに顔が赧(あか)くなるのである。

それと同じく或る植物がある一定の形状をしていると云うことは、
その植物の内部に動いている心の波が、
そう云う形をもって象徴(しるし)となし得るような相(すがた)で波打っているのである。

草花の美しさは十七八歳の少女の羞じらう感じを与える
 ―― そしてその草花は生殖のために蝶を招んでいるではないか。
やっぱり、形は心の影だ。

そうすれば吾々は形が善き性質を表現する食物を食べるべきである。

人間自身に内在する諸種の潜在的性質のうちから、
その食物に内在する心の波が「共鳴」の原理によって、
その同種のものだけを表面に引出すからである。

           <感謝合掌 平成25年3月17日 頓首再拝>   

善きもののみを触れるようにする ~ 内在の善きものを引出すために (7166)
日時:2013年03月18日 (月) 04時58分
名前:伝統


     *「光明道中記」(3月18日 環境も大切である。環境を選ぶ日)より

【欠点と自分と四つに組んでは欠点は直らぬ。(『生命の實相』第九巻)】

吾々の内部には全てのものを包蔵しているが、受動状態にある限りに於て、
外部から触発されたものだけが、内部から外部へと発現してくるのである。
即ち彼に触れることによって引き出されたものだけが引き出される。

吾々に赤い色の波動が触れれば、吾々の内部から赤の波動が引き出されて、
始めて其処に「赤」の感覚を生ずるのである。

この意味に於て、吾々に触れる物は環境にせよ、愛情にせよ、食物にせよ、
いずれも善きもののみを触れるようにしなければならない。

孟母三遷の故事もこの意味に於て価値があるのである。

「生長の家」学生道場は日本精神を養う学生の道場であったが、
今は都合で閉鎖されたが、近いうちに新築したいと思っている。

高級下宿だ位に思って来た青年もあったにも拘らず、
その道場へ入所しただけで、道場長や集まっている学生たちが、
概ね模範的な光明思想の持ち主であると云う環境の感化だけで、

其処に入寮した青年で、
今迄人生が不愉快で遊んでも遊んでも無意義で退屈で仕方がなかった学生が、
人生が楽しくなり、酒を飲むことにも遊ぶことにも興味を感じなくなり、
よく勉強出来るようになった例がある。

同じように東都へ遊学して住まう環境の如何で勉強の能率が全く異なるのはこれで判る。

           <感謝合掌 平成25年3月18日 頓首再拝>  

食べ物は、顔の形や性格に影響を及ぼす (7192)
日時:2013年03月19日 (火) 03時48分
名前:伝統

     *「光明道中記」(3月19日 人格完成の日)より

【教育の目的は完全なる人格の養成にある。(『生命の實相』第十三巻)】

実際、肉食を多くする人間は、それが数代に亙って続くときは人間の骨格、
歯の形状さえも肉食獣に似て来るのは事実である。

近頃の若い人たちは外側の門歯4本が犬歯のように尖っている人が可成り多い。
下顎が発達して横に広がり、下顎の蝶番(ちょうつがい)の支点から力点までの距離が短く、
強靭なる肉を前歯で噛むのに力の節約が出来る設計になる。

その結果、平安朝や元禄時代の面長の瓜実顔(うりざねがお)の上品にも優美な顔は
少なくなって顎が横広がりである円顔が多くなる。

所謂近代的美人が円顔であるのは、人間の形態が、その食物の結果、羊や馬のような草食的
従順形態から、ライオンや虎や猫のような肉食的攻撃形態に移ったことを示している。

その肉食動物は表面媚び優しく装いて、
(猫やライオンや虎などの外装の毛皮の如何に優美なるかを見よ)
油断を見て飛びかかって相手の死命を制するのである。

正々堂々と働かずに、猫撫で声の如き外交をもって人の膝に登りつき他の寵を得る。

牛馬の如き草食的従順形態は、外面を飾らず、猫撫で声も出さず、その装いも美しく飾らず、
ただ営々と努力を持って世のために自己を捧げて働くのである。

           <感謝合掌 平成25年3月19日 頓首再拝>  

類似のものが類似のものを引き出す (7216)
日時:2013年03月20日 (水) 06時25分
名前:伝統


     *「光明道中記」(3月20日 根気の良くなる日)より

【陰陽結ばれた所に生かす力が湧いて来る。(『生命の實相』第六巻)】

植物食の中でも色々の食物がある。
その食物の中に内在する「心的存在(こころのなみ)」はその植物の性質(こころ)だけの
相異である。

速やかに成長して速やかに腐敗し枯死するような植物には、その通りの心がある。
そいう「心」を含んでいる食物を食すれば、吾々の神の子としての自覚が積極的に相手を支配
しない限り、自分が受動的である限り、速やかに伸びて持続性のない性質が引き出される。

(悟って超越すれば別である)

類似のものが類似のものを引き出すのである。

昆布、大根、蒟蒻(こんにゃく)、蓮根(れんこん)などの「コン」の名の附く食物は
「根気」をよくし、持続性を強める。
これは言葉の類似による「類は類を呼ぶ」心の法則の応用である。

牛蒡(ごぼう)などは一以て貫く精神のあらわれとして、
食すれば終始一貫持続性を強める。

伸びるばかりで自分ひとりで立つことの出来ない瓜類、蔓藷(つるいも)類などは引締る力の
ないものとして、引締る力のある塩気を強く鹹(しおから)くして食すべきである。

塩気は物を引締るから肉類などを鹹(しおから)くすると硬くなりすぎる。
万物は陰陽で保つ。求心力と遠心力である。

塩気は求心力、霊の力であり、
水気は遠心力 ―― ぶよぶよと膨れて外にひろがる力である。
家庭にも食物にも調和が必要である。
(以上、石塚食養法の理論)

           <感謝合掌 平成25年3月20日 頓首再拝>

食にも、陰陽がある (7236)
日時:2013年03月21日 (木) 04時55分
名前:伝統


     *「光明道中記」(3月21日 実相展(ひら)いて現象整う日)より

【心が交わらないなら、肉体が交じり合って何の夫婦のまじわりでありましょうぞ。
                        (『生命の實相』第二十巻)】

肉は焼けば縮まる、求心性の強いものであるからである。
餅は焼けば膨れる、遠心性のあるものだからである。

更に砂糖の乾餅(かきもち)は焼けば随分と大きく伸びる。
遠心性のものに遠心性のものを重複追加したからである。

肉は塩漬けにして焼けば益々縮まって硬く不味くなる。
求心性のものに求心性のものを重複追加したからである。

肉は淡(うす)く塩気を与え、砂糖を加えて甘味多くして食すれば美味である。
求心性のものと遠心性のものと陰と陽との調和である。

太陽は光を放ち、地球は光を吸収する。
遠心性と求心性との調和である。
其の調和の中から万物が生まれるのである。

肉食を主にしている西洋人が砂糖を多食するのは余りに害はない。
それは求心性の肉と遠心性の砂糖が調和するからである。

焼けばふくれる遠心性を其の内部力として包蔵する米を常食としながら、
徒(いたずら)に西洋の食習慣を輸入して、同じく遠心性の砂糖を過食する
ところに弊害があるのである。

遠心性を其の内部力として包蔵する食物を偏して食せば、
遠心性を中に空(うつ)ろにするが故に、内部が空ろになる筈である――

それは大阪医大の片瀬淡教授が実験せる砂糖過食の酸性血液症が
骨の成分が溶解して骨が軽石状になった実験に相照応する。

           <感謝合掌 平成25年3月21日 頓首再拝>

「食により、人間の運命が変わる」 (7533)
日時:2013年04月07日 (日) 03時35分
名前:伝統


石塚食養法の石塚左玄氏は、明治時代の名医ですが、この石塚左玄氏に
影響を与えたと言われている人に、江戸時代の観相家「水野南北」がおりました。
<水野南北(江戸中期の観相学の大家)(1760~1834)>


水野南北は、『食は命なり』 という名言を残しています。
「飲食により、人間の運命が変わる」という意味です。


水野南北の経歴は、それだけでも、数奇な人生です。

両親を早く失い、子供の頃より、盗み、酒を覚え、長ずるに酒と博打と喧嘩に明け暮れ、
18歳の時、酒代ほしさに押し込み強盗をしでかし、とうとう牢屋に入れられました。
ところが、これが観相学への第一歩となったのです。

南北は、牢屋の中で罪人たちの顔をまじまじと観察して、ある事実に気付きます。

それは 
「人の顔には、それぞれ相がある」 ということでした。

入牢している罪人たちの顔と、娑婆に過ごす一般人の顔とでは、
その特徴に著しい相違がありました。

この時点から、南北は、観相学に興味を持つ様になります。

出牢後、大道易者に
「剣難の相がある。1年は生きられない、死相が出ている」と告げられ
その災いから逃れるため 禅寺へ行き、出家を願い出ます。

住職に
「1年間、米飯を口にせず、麦と大豆のみで過せたら入門を許す」と言われ、
南北は、生命の危機の恐怖から、好きな酒もぷっつりと絶ち、
麦と豆を常食にし、川仲仕をして暮らします。

1年後、易者と再会し
「不思議だ! 剣難の相が消えている!! 何か大きな功徳を積まなかったか」と聞かれ
別に、何もしなかったが、食事を、麦と豆だけにしたことを言うと、

「食を節することは、天地に陰徳を積むことであり、
 それにより、知らず知らずに天録が書き換えられ、相まで変わったのだ」と教えられました。

これが契機となり、観相学に興味を持ち、その道を志します。
まず3年間、散髪屋の小僧になって頭の相を研究。
次の3年間、風呂屋の三助をして裸体を観察。
これで、生きている人間は、「よし、解った」と。

さらに3年間、
火葬場の隠亡(おんぼう・・・死体を処理する人)をして、
死者の骨相や 死因がわかっている死体を観察。
これ以降も、研究を積み重ね、学究の徒と化していく。

神道や仏教から始まり、儒教、史書、易まで網羅する。
南北の名である、南と北は火と水であり、陰陽すなわち「易」である。

しかし、そこまで研鑚を積み重ねても、従来の観相学では百発百中とはいえず、悩んだ末に
伊勢の五十鈴川で 断食水行50日の荒行を行ない、断食を続けるのさなか、天啓が訪れる。

『食は命なり!』~「人の命運は総て食にあり」
南北は喝破した。

水野南北が言うには運のいい人に共通している特色があるということです。

死体を切り開いて、運の悪い人は内臓とくに胃や腸の中の色やツヤ、
残存物が悪いことを発見したのです。
このことから彼は「運は食なり」という結論にたどりついたのです。

食べるものが偏っている人は運も悪いというのです。

さらに食事の量を見ると、その人の性格や運がわかるとさえいっています。

食事量の少ない人は、たとえ人相が悪く見えても福相で長命型が多い。

人間の欲望の中でいちばん強いものは「食べる」という欲望です。
その「食べる」欲望をどのようにコントロールするかが、
大切だということを説明されていたようです。

美味大食を戒め「慎食延命法」を説くに至る。

以後、観相にあたっては、必ず詳細に、その人の食生活を聞いて占断を下し、
外れることがなかったという。

また凶相の者でも、食生活を改善することにより、運を変えることが出来るとし、
『南北相法極意』を執筆、後『相法修身録』と改題し刊行され、広く世に知られた。

結論として、水野南北の教えの要点は、
いかなる良相・吉運・健康な人であっても
常に美食をし、十二分に食事をしたならば、悪相となり、凶運短命となる。

如何なる悪相・凶運・病弱の人でも、
口にする物を節し、食事を腹八分目にする人は、良運となり、健康長命となる、という事です。

           <感謝合掌 平成25年4月7日 頓首再拝>

食べるということは想念を食べること (7712)
日時:2013年04月16日 (火) 03時55分
名前:伝統


   *谷口雅春先生・著「心と食物と人相と」からの抜粋要約

「食は心なり」という諺もある。
人は食物によってその性質が左右されるという食心一元の理である。

食べ物は心を変え、人相を変える。
人間は心によって行動し、人相を観れば運命を予言できる。
生き物は生まれた場所にある食べ物が適食であるが、食べ物によって容貌が変化する。

両親の食べ物が胎児に遺伝的な影響を与えるが、
本人の発育期の食べ物もこころの形成を規定する。

肉を多食すると歯が尖ってくる。顔は肉食動物のように丸顔になる。
これは上下の顎骨の蝶チョウツガイ番の支点から、食べ物を噛み砕く重点(噛み砕くために
重みのかかるところ)になる歯までの距離が短くなるためである。

性格が偏執的で、行動が凶暴になりやすい。
短気で戦闘的になる。

そのわけは動物が殺される時の怨恨や憤怒が腺組織を刺激して出す
毒性のホルモンを肉と一緒に食べるからだといわれる。

食べるということは想念を食べることでもある。
また、肉に含まれるコレステリンが性欲の異常昂進をもたらす。

野菜や穀物を多食すると、草食動物のように面長になる。
歯にかかる力が軽く、歯と蝶番の距離は長い方がいいからである。
性格は温和で、非戦闘的で、忍耐強い。

また、ドイツ人のように芋類を多食すると思索的な人間になるといわれる。
芋はスジを伝って伸びて芋を作るので、
条理を伝って伸びていく論理的思索と類が同じだというわけである。

           <感謝合掌 平成25年4月16日 頓首再拝>

運がよくなる食事のとり方 12か条 (7833)
日時:2013年04月23日 (火) 06時19分
名前:伝統

     *『偉人・天才たちの食卓』(佐伯マオ著)<P116~126>より

(1)運命の吉凶は食で決まる。

  ①食事量の多少によって、人の貧富や寿命や未来の運命を予知することができる。
   人間は天より与えられた一定の食事量がある。
   これをみだりに貪り食うものは、天の規律を破るものである。

  ②食事の量が少ない者は、人相上不吉な相であっても、運勢は吉で、
   それなりに恵まれた人生を送り、早死にしない。とくに晩年は吉。

  ③食事が常に適量を超えている者は、人相学上から見ると吉相であっても、
   ものごとが調いにくい。
   手がもつれたり、生涯心労が絶えないなどして、晩年は凶である。

(2)粗食の者は貧相でも幸運をつかむ。

  ①食事が常に適量である者の運勢の吉凶は、相として表面に表われているとおりである。

  ②常に大食・暴食の者は、たとえ人相上は良くても運勢は一定しない。
   もしその人が貧乏であればますます困窮し、財産家であっても家を傾ける。
   大食・暴食して人相も凶であれば、死後入るべき棺もないほど落ちぶれる。

  ③常に身のほど以上の美食をしている者は、たとえ人相が吉であっても運勢は凶である。
   美食を慎まなければ、家を没落させ、出世も成功も覚束ない。
   まして貧乏人で美食をする者は、働いても働いても、楽にならず、一生苦労する。

  ④常に自分の生活水準により低い程度の粗食をしている者は、人相が貧相であっても、
   いずれは財産を形成して長寿を得、晩年は楽になる。

(3)粗食でも大食すれば大凶。

  ①粗食で少食を守っている者は、たとえ極悪貧相の相であっても財をなし、出世する。
   子孫にも財を遺す。
   しかし粗食にしているとはいっても、大食で、量が一定していない者は大凶である。

  ②少食で、量も厳重に決めている者は、相が悪くても福分に恵まれ、万事思うようになる。
   こういう人は外見弱々しく見えても、病気になることはない。

(4)食事時間が不規則な者は、吉相でも凶。

  ①食事の時間が不規則な者は、吉相であっても運勢は凶である。
   何事も成就しそうで成就せず、生涯、生活が不安定である。

   貧しい人の場合は思うように事が運ばず、八、九分どおりまでできていても、
   完成間際で崩壊する。

  ②大食で、しかも食事時間が不規則な者は論外で、
   慎まなければ、ついに家を潰し病気で倒れる。

   もし凶相であれば、死に場所さえ定かでない境涯に落ち込む。

(5)少食の者には死病の苦しみや長患いがない。

  ①常に大食の者は病みつきから食欲をなくしてあまり食べない。
   少食の者は病気になることはまず少ないが、仮になっても食べないということはない。

  ②大食の者は天与の食が尽きてもまだ生命があるために、
   食べられない状態で長く苦しんだ後に死ぬ。

   少食の者は天与の食がまだ尽きていないために、
   生命が終わっても食が終っていない状態にある。
   食のあるところには生命があるので、その食が尽きる時に生命も自然に亡くなる。

   だから少食の者には、死病の苦しみや長患いがない。
   しかし少食であっても、食事が不規則あれば病気にかかりやすい。

  ③食を慎み、欠乏に耐える者は、晩年の凶運をまぬがれる。

(6)大いに成功・発展する相があってもその相どおりにいかないことがある。

  ①怠け者でずるく、酒肉を楽しんで精進しないものは成功はない。
   成功・発展しようと思うならば、自分が望むところの一業をきわめて、
   毎日の食事を厳重に節制し、大願成就まで美食を慎み、自分の仕事を楽しみに
   変える時には自然に成功するであろう。

  ②食を楽しむというような根性では成功は望めない。
   食は成功の基礎であり、その基礎をみだりに食いつぶすものは、
   その基礎を失うものである。

  ③食は恐ろしいまでに大切なことがらなのである。

(7)美食を続けると消化器系の病気になる。

  ①無病の相であっても、若い頃から美味を好み、毎日のように美食するものは、
   老いては消化器系の病気にかかり、食べたくても食べられない業病になる。
   貧しいにもかかわらず3年間美食を続けると、生命まで失うことになる。

  ②「食」というものは「気」に準ずるものである。
   食が定まらないから、気も定まらない。

   食が定まらなければ、万事定まらず、損失や災いをなすものである。
   食が定まると気もおのずから鎮静し、心が治まる。
   心が不動であれば、災いを生じることはない。

  ③収入が定まっている者は、3度の食事も定まる。
   収入が定まらない者は、食も定まらない。
   ゆえに収入を定めようとするなら、まず3度の食事を定めるべきである。

   しかも高い収入を得ようとするならば、少食に定めるべきである。
   たとえ衣食住の定まらぬ相であっても、3年間食を慎しみ人徳を積むなら、
   仕事は自然に授かるものである。

(8)肉体労働者は大食してもよい。

  ①肉体労働者は一見、自分のために働いているようであるが、実はそうではなく、
   世のため人のために菩薩のはたらきを働いているのである。

   ゆえに自分の分以上に大食しなければそのはたらきをなすことができない。
   だから、そのはたらきの強弱にしたがって食の大小を定めるべきである。

   そのように食を慎む肉体労働者は、やがて肉体労働から解放されて立身出世する。

(9)乱心(精神病)の相があっても、常に食を正しく定めている者には、乱心が生じない。

  ①乱心の相があるうえに、食を定めなくみだりに食べるものは、必ず乱心を生じ、
   低次元の霊がつきやすくなる。

   そういう場合は日に3度の食事の他はいっさい飲食を与えず、これを100日間続ければ
   憑きは落ちる。

  ②数年間にわたってそういう状態の者は、3年間このような食事法を続ければ自然に治る。
   これは食事を厳重に定めることで精神が正しくなり、肝気が治まるために治るのである。

(10)人格は飲食の慎みによって決まる。

  ①人が賢く上品になるのも、人品いやしくなるのも、皆、飲食の慎つしみによる。
   名僧知僧といわれる人が賢いのも、慎しみ深く少食にして、食べたいだけ食べる
   ということをしないからである。

  ②たとえ博学の出家僧だといっても、食を慎しまず食べたい放題だと、この人を尊敬
   しようという気にはならない。

(11)酒肉を多く食べて太っている者は、生涯出世栄達なし。

  ①酒肉をたくさん食べる者は太っているように見えるけれども、実はそうではない。
   酒肉のために血の量が増し、心気がゆるんでいるために太っているように見えるのである。
   人は心気を本としている。心気がゆるんでいる者で出世栄達した者はいない。

  ②大食した後は気が重くなって眠くなる。目覚めた時も体がだるく、頭が重い。
   これらは皆、心気がゆるんで全身の肉が縮まらなくなるからである。
   よって身のほど以上の大食をなす者は、生涯いい仕事はできない。

(12)高齢者の肉食は害が少ない。

  ①かなりの高齢になれば、体力が衰えるので肉食でそれを補っても害はない。
   しかし節度をもって食べることが大切である。

  ②都会では美食や肉食が多く、動物を殺してその肉を食べる。
   そのため意識が高慢になり悪心が生じる。
   常に粗食に耐える者は、万事控えめで、悪心が生じることがない。

  ③鳥や魚も食物であるが、その命を奪って食べるのだから、
   その報いを受けて長命を短命に変える。

   しかし肉食でも正しく、しかも少なく食べる時は、生命を養い長命を保てる。
   これは鳥魚は人間に食べられることでその役目を果すからであり、
   一種の慈悲行となるからである。

   ・・・・・・・

《「われ、衆人のために食を節す」という精神を貫く》

この南北の教えの根底に流れているのは、彼が(伊勢神宮で)霊感を受けて決意した、

「われ、衆人のために食を節す」  という精神である。

これは自分の食を減らして、その減らした分を神に奉げて、また人に施す。
自分の食分を少なくし、空腹をガマンし、食べるはずであったものを、そのようにする。

そうすると陰徳を積んだことになり、少食を続けることでその徳が積もり積もって、
開運につながっていく。徳が貯金となり、その貯金を使うことで運が開けていくということである。


水野南北は、「運が悪くて難儀ばかりしているが、神に祈れば運が開くでしょうか」と問われ、
以下の様に答えています。

  「真心を込めて祈らなければ、神は感知してくれない。
  真心を込めて祈るとは、自分の命を神に献じることである。

  どうするかというと、いつもご飯を三善食べる人なら、二膳だけにしておいて、
  一膳を神に献じる。
  といっても本当に一膳分を神棚なら神棚にお供えする必要はなく、心の中で念じればよい。
 
  自分が祈りを捧げたい神仏を想い浮かべて、その神仏に向かって、
  『三膳の食のうち一膳を捧げます』と言う。
  そうして自分で二膳を食べると、その一膳は神仏が受けとってくれる。

  それを自分も十分に食べて、そのうえで神仏に上等な食を献じても、
  神仏は喜ばれない。自分が我慢して献じる、その真心を受けてくれるからである。

  そうすれば、どんな願いごとでも叶えられる。
  小さい願いごとなら1年で、普通の願いごとなら3年、そして大望は10年で叶うのである」


また、こういう言い方もしている、

  「自分の食分をけずって、生あるものに施すことは大きな陰徳で心がこもっている、
  別のものを用意して施したのでは罪になってしまう。
  自分の食分を施すことが、本当の陰徳である。

  そういう人は、自分でとくに祈らなくても、神は守ってくれる。
  またそうやって食を慎むことで、おなかのなかは楽であるし、気持ちもすっきりしている。
  病気にかかる心配はないし、災難にあうこともない。

  そんなふうにして、食事を慎しむならば、慎しんだ分だけ自分の天の扶持をのばしているわけで、
  それを足台として立身出世ができる。

  ひたすら自分から徳をのばさないと、天から福徳がまわってくることはない」

   ・・・・・・・

《他にも開運の秘訣として、》

(1)早起きして、毎朝、昇る太陽を拝む。

  ①毎日、朝日を拝むことで、健康で長生きすることができる。
  ②早起きすると運がよくなる。
   早朝の太陽には”少陽発達”の気がある。この気を受けると、心気がすこやか、活発になり、
   そうなると自然に運命もすこやか、すなわち好転する。
   運は気につれてめぐるものだからである。

(2)朝は早く起床し、夜は早めに就寝する。
   夜に仕事をすることは大凶である。

(3)衣服や住まいも贅沢すぎるものは大凶である。

(4)貧乏人が金持ちの趣味をまねるのはよくない。

(5)倹約は吉であるが、ケチは凶である。
   真の倹約とは、出すべきところには出して、余計なものを省くことである。

(6)精神を治めるために食を慎む仏法

  ①仏法は精神を治めるための根本である。
   だからまず飲食を慎むことをもって、その修行のはじめとする。
   飲食慎めば心は静かになり、不動心を得る。
   さすれば、道をきわめることはたやすい。

  ②食べ過ぎたり飲みすぎると、心がにごり、気分は自然と重くなって迷いの心が生じ、
   道をきわめることが難しくなるものである。

           <感謝合掌 平成25年4月23日 頓首再拝>

「子どもの運勢」と「給食革命」 (8353)
日時:2013年05月13日 (月) 04時01分
名前:伝統

     *メルマガ「RPE Journal (2012年11月22日)」より

皆さん、お子さんいますか?

キレテませんか?
学校に、いじめありますか?

大きな社会問題になっていますね。

どうすればいいのでしょうか?

今回は、キレテル子供をおとなしくさせ、いじめを根本的に解決する、
【意外な方法】をお伝えします。

お父さん、お母さん、そして悩んでいる学校の先生も是非ご一読ください。


(1)荒れた学校

   大塚貢先生は1992年、長野県のA中学校に赴任してきました。

   その学校は、
   ・校舎内をバイクで爆走する生徒がいる(!)
   ・校舎内のタバコの吸殻を集めると、1時間でバケツ一杯になる
   ・毎日犯罪が起きる

   等々、とんでもなく荒れた学校だったのです。

   大塚先生は、ここで5年間も校長を務めました。

(2)非行生徒と「食」の意外な相関性

   大塚先生は、子供が荒れる原因を徹底的に研究することにしました。

   そしてわかった第1の理由。
   それは、「授業がつまらない」ということ。

   嗚呼、わかります。
   私も、高校のとき、授業中寝てばかりいました。

   それで大塚先生は、先生たちに呼びかけて、皆で面白い授業をやるよう努力して
   いったのですね。

   学校が少し変わってきました。


   しかし、大塚先生はさらに研究をつづけます。
   次に目をつけたのが、「食」と「非行」の関係でした。

   先生は学校の近くにあるコンビニに張り込み、
   生徒たちが何を買っているか調査します。

   すると、
   ・コンビニ弁当
   ・カップラーメン
   ・菓子パン
   ・果汁1~33%で砂糖だらけの清涼飲料

   などを買っていることがわかりました。

   (学校には給食があるので、子供たちはこれらのものを間食している。)

   大塚先生は、ここで驚くべきことを発見します。

   コンビニで上のような食べ物を買っている子供たちは、
   「非行少年」「不良少年」 がおおかったのです。

   先生は、「食事と非行には関係があるのではないか?」 と思い至ります。

   次に大塚先生は、「家で何を食べているか?」調査してみました。
   すると、生徒のなんと38%が「朝食」を食べていないことがわかった。

   私たちみたいな大人は、別に朝飯抜きでもいいのかもしれません。
   しかし、子供は学校に行き、ハードな部活をし、その後勉強します。

   朝食を食べなければ、体と脳を動かすのに必要なエネルギーが不足する。

   それでイライラしたり、気力がなくなったりしている。
   ていうか、人がイライラするのは、肉体の欲求が満たされないときです。

   ・眠いのに事情があって眠れない
   ・腹が減っているのに食べれない

   もちろん、大人になれば、「金がない」とか「妻とケンカした」「上司に怒られた」とか
   より複雑になりますが・・・。

   それでも、「あ~腹が減った。気分がいいぞ~」なんて人は少ないでしょう。

(3)給食革命の取り組み

   大塚先生は悩みます。

   「お子さんには、朝食を食べさせてくださいよ」という。
   しかし、モンスターペアレンツですから、「大きなお世話」といわれてしまう。

   先生は、「家でまともなものを食べれないのなら、
   学校でまともなものを食べさせるしかない!」

   そう決意されます。
   そして、「給食革命」を実行することにします。


  ★今までの給食は?
   ・菓子パン
   ・揚げパン
   ・中華麺
   ・スパゲッティ
   ・ソフト麺
   ・肉

   うわ!
   体に悪そう。

   今はやりの「糖質制限ダイエット」でいえば、「糖だらけ」じゃないですか?!
   ま、肉は違いますが。


  ☆革命後の給食は?
   ・毎日主食はご飯
   ・魚
   ・野菜

   さらに、こんなこだわりも。
   ・お米、野菜、豆、果物など、【無農薬】食材を使用
   ・ご飯に、玄米を混ぜる(高いので100%玄米ではない)


   さて、給食革命で、学校は変わったのでしょうか?


(4)給食革命で、学校が変わった!

   給食革命をはじめてしばらくすると、生徒たちに驚くべき変化が出てきました。

  ①本を読むようになった。
   休み時間、給食後、読書をする子供たちが激増した。

  ②作文コンクールで全国1、2位が続出
   読売新聞主催の全国作文コンクールで、大塚先生の学校の子供たちが、
   毎年のように1~2位に入るようになりました。

  ③アトピーの子が減った。

  ④非行がなくなった。

  ⑤不登校がいなくなった。

  ⑥学力が劇的に向上した。


(5)「給食で死ぬ!!」 をご一読ください

   どうですか、皆さん?
   メルマガですので、詳細はかけませんが、興味がある方は大塚先生の本
   「給食で死ぬ!!」 をご一読ください。

   ホント、驚きの事実が満載です。
   そして、「食事」と人間の行動の相関性に気がつかされます。

   というわけで、

   「家の子供はキレヤスイ」と思ったら、こんなことを実行してみてください。

  ①朝食をたべさせる。
  ②パンよりご飯を多くたべさせる。
  ③野菜をたくさんたべさせる。
  ④魚をたくさんたべさせる。

   上級編は、上の4つに加えて
  ⑤低農薬、無農薬の食材を多く食べさせる。
  ⑥玄米を食べさせる(あるいは少しご飯に混ぜる)。

   これをちょっと試してみてください。

   今まで「うるせえな、くそババア!」なんていってた子供が、
   1ヵ月後には、

   「母上さま、いつもありがとうございます。肩をおもみしましょうか?」

   なんてことになるかもしれませんよ。

・・・・・

今、「給食で死ぬ!!」を手にとっていますが、現代の「食」の問題点がテンコモリです。

           <感謝合掌 平成25年5月13日 頓首再拝>

家庭の食事点検 (8601)
日時:2013年05月22日 (水) 04時51分
名前:伝統

    *『泣いて生まれて笑って死のう』(医学博士・昇幹夫著)<P34~43>より

私が近年大変気になるのは、子どもたちの食環境です。


1953年当時、米国は朝鮮戦争が終わり、増産した小麦の持っていき場がなくなりました。
そこで、日本の学校給食を援助するという名目で、「ごはんよりパン」という大キャンペーンを
はり、これを契機に日本の食卓は大きく変わりました。

1978年当時のNHKテレビ番組「食卓のかげの星条旗」の中で、はっきり明言しています。
子どものときパンの味を覚えてくれたら一生食べてくれると!  
見事な卓見でしょう。


婦人科の診療に不妊外来があります。
親になりたくてもなれないカップルが昔は10組に1組、
いまでは7組に1組という具合に増えています。

不妊の原因は大半、女性側といあわれてましたがいまでは男女半々になりました。

1999年の日本不妊学会でセンセーショナルな発表がありました。

大阪の森本義晴先生は、不妊ではない、普通の男性、平均年齢21歳60人の**
調べて驚きました。正常がたったの2人だったのです。(正常者はたったの約3%)

体外受精で生まれる数は50人に1人、年間2万人もいます。
体外受精は自費で平均50万円です。そうしなければならない理由が、男の**が減り
動きも悪いという男性不妊が原因というのです。

そして、彼らの8割がハンバーガー、カップめんといった加工食品を常食にしていたのです。
それ以来、森本医師の外来では栄養士による食生活始動を不妊治療に加えました。

ハンバーガーの半分は脂肪です。
発ガン性や環境ホルモンへの影響で話題になっているダイオキシンなどの有害物質は油に溶けます。

ハンバーグの値段を半額セールにしたときには、あるお母さんは50個買って冷凍し、
おやつのたびにこれを解凍して子どもに与えたという例もありました。
安いからと1日2回も食べて平気な10代も増えました。

そんなジャンクフードばかり食べていたらどうなりますか?
いまでは、10代の糖尿病や高血圧なども珍しくありません。
子どもの成人病というじつに変な言葉も一時、使われました。


M社の社長は、味覚は10歳までに決まる。
それまでにハンバーグの味に漬け込めば、味噌、しょうゆの味は忘れるから売り上げは上がる、
と豪語したのです。

ハンバーグショップが最初にできたのは沖縄でした。
アメリカの食習慣がいち早く若い人を汚染しました。
毎年、成人式のニュースで荒れる若者が出るのは沖縄ですね。

結婚式の引出物はK社のフライドチキンというのが沖縄です。
離乳食にフライドポテトを買ってすりつぶして食べさせているヤンママもいます。

その結果、5年ごとの都道府県別平均余命調査で大きな変化が現れました。

2000年に、「日本一の長寿県」と言われた沖縄県の男性は26位に転落し、
「26ショック」という言葉が県内を駆け巡りました。2005年も25位でした。

しかし、明治生まれの人に関しては今でも日本一の長寿です。

大正から昭和20年生まれまでの方が日本人の平均値で、
戦後、米軍の支配下に置かれた時代に生まれた人々が短命になりました。
親が子どもの葬式を出すという逆縁という現象が身近に起こるようになったのです。

どっぷりジャンクフードにたかった子どもたちが親になったらどうなるか、
火を見るより明らかです。手塩にかけて育てるという言葉があるように、手間暇かけて育てる
から余計にかわいいのに、食も育児も面倒なことはイヤという若い母親が増えました。

デパートの離乳食コーナーに行ってごらん。
イタリア風味、フランス風味の離乳食。
キャッチコピーは、小さいときから世界の味に親しみましょうというものです。

あなたの赤ちゃんの国籍はどこ?  と言いたくなりますね。

その結果、5、6歳になるとお吸いものみたいな水っぽいものはイヤ、
やっぱりポタージュという子どもになり、
その結果、アトピー、脂肪肝が10歳以下でたくさん増えたのです。


数年前、福岡のある養豚業者はエサ代の高騰に悲鳴を上げていました。
そこにエサの代わりに賞味期限の切れたコンビニ弁当を安くするから買わないかという話が
舞い込んで来ました。一日二日賞味期限が過ぎた程度で腐っているわけではありません。

人間が食べても別段なんともないというような代物でした。
ブタは人間と同じものを食べますから喜んでこの話に乗りました。
まず気づいたことは母ブタがブクブクと異様に太り始めました。

ブタの妊娠期間、114日目にその結果が出たのです。
羊水はコーヒー色に濁り死産、仔豚の奇形など過去に見られなかったことが相次いで起こり、
大損害でした。


長野県上田市の元教育長、大塚貢先生は自分が教育長になって栄養士と一緒になって
学校食をパンからごはんに変えました。

その結果、非行はなくなり不登校が激減し学習意欲が高まって全国学力テストの結果も上がり、
作文コンクールで表象される子どもたちも何人も出たというすごい成果を上げました。

そして食と非行の関係を調べていくと思いがけないものが浮かび上がったといいます。


2008年6月、秋葉原の歩行者天国に車で突っ込み7人を無差別に殺した犯人や、
同じ年の3月に茨城県土浦市のJR荒川駅前で無差別に8人殺した犯人らは
コンビニ弁当の常食者で、その部屋からはその空の袋が山のように発見されています。

古い事件ですが、1972年の浅間山荘事件で、あの赤軍派の学生たちが冬の浅間で食べていた
ものは、インスタント食品とかんづめだけでした。生鮮野菜などは全く取ってなかったのです。

最近では、三大栄養素の他に微量ミネラルの大きな効用がわかってきました。
それらが欠乏すると、すぐに切れる、自分をコントロールできないというように
変わってしまうことがわかってきました。

おなかがすくと低血糖になってイライラするのは誰でも体験があるでしょう。
血糖値の低下だけでなく野菜果物に含まれる微量ミネラルの研究からもこれからの食を考える
うえで大切な要素、そして食はいのちのもとであることをこれらは教えてくれると思います。

(中略)

昔、好き嫌いするなといってしつけたのは、栄養の問題だけではなく、
生き方、ピンチに出会ったときの乗り越え方も教えていたわけです。

からだはこの地球で生きるための宇宙服、その材料を再点検することが大切です。

食という字を見てください。
調理された料理の上に載せたフタを表すのが食という字の上の「人」です。
そして下の「良」という文字もその料理を表すものだそうです。

そしてこの字は「人をよくする」とも読めますね。
そう考えたほうがいまの時代にはぴったりかもしれません。

           <感謝合掌 平成25年5月22日 頓首再拝>

日本人は、食い改めよ (8994)
日時:2013年06月04日 (火) 04時22分
名前:伝統

    *『泣いて生まれて笑って死のう』(医学博士・昇幹夫著)<P41~49>より

小麦は、95%がアメリカからの輸入でしょう。
パンを食べるということはアメリカのお百姓さんが喜ぶということで、
日本の(食糧)自給率の低下に手を貸したということでもあります。

もうひとつ、お手持ちのペットボトルの水、フランスやカりフォルニアの水ですか?
どうして日本にいて外国の水を飲まなければいけなんですか?

その無意識の生活習慣が自給率の低下を招くんです。

洋食(カタカナ食品)から和食(ひらがま食品)に変えることで、自給率が増します。

・・・・・

人間と動物の違いはいろいろあります。
でも食に関していえば食べ物をお互いが分け合うというのは人間だけなんです。
サルは親子でもエサは取り合いしますよ。

お米を表すのが「禾(のぎ)」へんです。
そのお米、つまりごはんをみんなで分け合って口にして食べるというのが「和」という字の
なりたちです。食をみんなで分け合うところから和が生まれるのです。

ところでひじを曲げてムの字のように独り占めをしたのが「私」するという字のルーツです。
昔の人の賢さに驚かされますね。

まず大人から食い改めることが大切です。
昔のしつけは、おしつけであって、食育などというおおげさなものではなく、
残さず食べるがしつけの基本。

それで昔の子どもは食べ物のありがたみを知り、好き嫌いはいけないということを学んだのです。
我慢、辛抱は死語でしょうが、辛いけど、一年我慢してこの字に一をいれると幸せになるからね、
と漢字を教わったものです。

いまではそんなことを学校の先生がいうと、モンスターペアレントが、不登校になったら
どうするのの! と怒鳴り込む時代です。そして各人が好きなものだけを食べるバラバラ食という
他国にない、現代日本だけの構図ができました。

・・・・・

さらに、日本人と欧米人は同じ人間ではない、遺伝子が違うということを知らないから、
欧米のものを舶来といってありがたがるようになってしまったのです。
日本人にはこの千年来の人体実験で残った日本食こそがいちばん合うのです。

いますべての遺伝子が解明され白人と日本人は遺伝子が違うということがはっきりしました。
いまから焼く1万年前に3つの農業形態ができたといわれます。
吾々温帯に住むものは主食が穀類と豆、南の地域はイモ、そして北の地域は酪農と小麦を主に
しました。

温帯に住む吾々の祖先は何度も何度も飢饉という体験を経て、少ないカロリー、少ない脂肪で
生きられる飢餓耐性遺伝子というものを獲得しました。
北の白人は乳製品を持っていますからこの飢餓耐性遺伝子はありません。

その少ないカロリー、少ない脂肪で生きられるこの日本人が毎日、高カロリー、高脂肪の食事に
なるとどういうことになりますか。すぐに糖尿病になりますよ。

だから日本から移民としてハワイやカリフォルニアへ行った方々に糖尿病が3倍、
高脂血症が5倍というのはそういうわけなんですね。

・・・・・

最近、乳がんや大腸がんが増えています。
これは食物繊維の多い日本食の消費が減って脂肪、動物性たんぱく質の多い欧米食が増えた
ことが一因とされています。

名著『粗食のすすめ』の著者で管理栄養士の幕内秀夫先生は1万人以上のガン患者の食生活を、
川越市のガン専門病院である帯津三敬病院での調査の結果、
乳がん患者の8割は洋食であることに気づきました。とくに帰国子女です。

日本人なのに洋風の食事ばかりの結果、乳がんや大腸がんが増えてきています。

世界で11万人以上の大腸ファイバースコープをして確かめたニューヨーク大学の
新谷弘実教授も同じことを言っています。

風土はフードということをもう一度、思い出してください。

           <感謝合掌 平成25年6月4日 頓首再拝>

「食」と「運」の大原則 (9470)
日時:2013年06月25日 (火) 07時44分
名前:伝統


        *「運命好転十二条」(第十二条 食生活)<P185~189>より

江戸時代、水野南北という人がいました。占い師です。
人相、手相、骨相、墓相、家相、ありとあらゆる相学、観相学を究めた人でした。

相学を究めるために、風呂屋で背中を流す役をやったり、
墓守をしてその人の骨相を観察したりしました。

ありとあらゆる相学を何十年とやり続けた人で、晩年には門下生が800人ほど、しかも
その一人ひとりがそれぞれプロの観相家で、200人とか300人とかの弟子を持っているという、
どんでもない観相家でした。

この人が数十年の観相学の中で至った結論があります。

人相も手相もとても良いものを持っていながら衰運になっている人がいる。
逆に人相、手相、家相がとても悪いものであるのに、興隆運になって
運がどんどん上向いていく人がいる。

相学には必ずといっていいほど例外がある。
例外がひとつもない相学というものがないだろうか、というのが、
水野南北のテーマでした。

そして、ついにその結論を得るに至りました。
「万に一つの誤りもなし」というものを水野南北は見つけたのです。
それが「食生活」でした。

簡単に言うと次のようなものです。

運が上向きになったときに食べ物が変わる、贅沢なものになる、華美なものになる、
そういうふうに食べ物を変えた人は必ず衰運になる、というのです。

逆に、どんなに自分の運が上向きになっても決して食べ物を変えない、贅沢にはならない、
華美にならないという人は必ずや興隆運になる、というものでした。

「万に一つの誤りもなし」という言葉を水野南北は遺しています。

水野南北は晩年、相談に訪れた人の食生活を必ず聞きました。
そして「そういう生活をしていたのでは運が下向きになりますね」
「そういう食生活ならば必ず運が上向きになりますね」と、判断したのです。

この宇宙の大法則は、私が発見したものでなくて、水野南北という人が発見したものです。
他人が発見したものではありますが、私自身が20歳の頃から40年間ずっと考えてきて、
確かにそのとおりだと思えるものがありました。

私自身はグルメでもありませんし、食道楽というのでもありません。
お金のあるなしによって食べ物を変えるということは、一切やってきませんでした。

よくサラーリーマンやOLに、「給料日はフルコースで何千円のものを食べるが、給料日の
数日間はカップ麺だけで我慢して過ごしている」と言う人います。つまり、お金があるときは
いいものを食べるが、お金がないときは簡単にすます。そういうお金の使い方です。

これも同じように食生活の問題として大いに論じられるべきものになりそうです。

給料日であろうが、給料日の前日であろうが、同じような食べ物を食べる。
つまり、給料日のあとに美味いもの、高いものを食べるという生活をやめて、
普通の食べ物を普通に食べるという生活を1か月間続けることです。

「お金によって生活を変えない。お金によって食べ物を変えない」というのが大原則です。

ただし、高いものを食べてはいけないということではないと思います。
たとえば、結婚した若夫婦が、結婚した日、毎月10日なら10日に二人で美味しいものを
たべようと決めている場合などは、この限りではないと思います。

それは、お金が入ってくる、入ってこないに関係なく、そういう予定としてやっているもので
あれば、それを楽しむというのであれば良いことだと思うのです。

お金が入ってきたら高いものを食べる、お金がないときは粗食ですます、
こういう生き方はどうも良くないように思います。

お金の大小によって食べ物を変えないというのは、一言で言うと「謙虚さ」ということに
つながるのかもしれません。昔の人が言っていた「質素倹約」ということであるかもしれません。

「質実剛健、質素倹約で、贅沢をしない」ということは当たり前のようですが、
現代のような「飽食の時代」にあっては難しいことかもしれません。

「お金の多少によって生活を変えないこと。とくに食べ物を変えないこと」

これが水野南北が発見した「運の大原則」でした。

           <感謝合掌 平成25年6月25日 頓首再拝>



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