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マサノブ教批判⑪ (7846)
日時:2013年04月23日 (火) 16時39分
名前:中村晃生

<「生長の家」のご本尊である住吉大神の絶大なる御神威の力を

知れ!>


マサノブ氏が、余りにも「生長の家」の大神である「住吉大神」

をないがしろにしており、信仰の本質を理解していないため、私

が、個人的に体験した「住吉大神」のご神威に関して皆さまに少

しご報告申し上げ、「生長の家の大神」の信仰の一助にして頂き

たいと思います。

実際には、「住吉大神」は絶大な力を発揮される神様であられ、

誠心誠意信仰すれば、その役割、立場に応じて必ず「恩寵」を与

えてくださります。なお私が体験したことは、個人の与えられた

役目の問題もありましょうが、どなたであっても体験し得ること

であると確信しております。


私は、ご縁がありまして昭和58年、38歳の時に福岡県大川市の市

長になりました。当時は日本で2番目に若い市長であり、関西以西

では最も若い市長でした。もともと私の本籍が大川市であったこ

とがご縁となったのですが、その当時私は、田中六助衆議院議員

の秘書をしており、地元の陳情などを処理して上げていたことな

どで、「六助先生の所にうちの出身者がいる」ということが評判

になり、来るべき市長選挙の候補者として担ぎ上げられたと言う

次第でした。実際には私は家族と共に子供の頃から東京に出てき

ていたため、言うなれば、地元のことをあまり知らない「落下傘

候補者」であった訳です。


当時の現職市長は、市役所の生え抜きであり、実力者でもありま

した。背後には暴力団の影が噂され、市民からは恐れられた人物

でもありました。そんな事情は全く知らずに、「郷里の困ってい

る人たちを助けよう」との心意気一つでこの選挙に飛び込んだの

ですが、選挙自体は大いに盛り上がり最終的には、市が真っ二つ

に分裂する国政選挙並の大選挙になりました。


右も左も分からない大川市内を、ひたすら歩いて戸別訪問をして

あいさつ回りをする中で、私が信仰する「生長の家大神」、「住

吉大神」のご存在、ご助力を感じたのはこの時です。

大川市には、市中心部に「風浪宮」という古社があります。実

は、神功皇后が三韓征伐をされた帰途、暴風雨に会い、船団はバ

ラバラになりながらも何とか本土に戻り、初上陸したのが大川市

であったという伝説があります。皇后が上陸されたその時、その

地点から白鷺が飛び立ち、皇后は「あれはワダツミノカミの化身

である」として、アズミノイソラマロという武将に、後をつけさ

せます。白鷺は3キロほど飛んで、楠木の上に止まり、そこをワタ

ツミノカミ、すなわち住吉大神をお祭りする神社にした次第なの

です。


このような奇縁でもって私は、信仰していた「住吉大神」と巡り

会いました。市長選挙に臨み、最初は私は選挙事務所の場所を探

しあぐねていました。というのも実力者であった現職の市長が、

選挙事務所になりそうな空き地をことごとく自分の方で押さえて

しまい「中村の借り賃の倍出すから彼には貸すな」と、土地の所

有者に圧力を掛けていたからです。それでも1ヶ所だけ最適な空

き地が見つかり、私はそこにプレハブ作りの事務所を立てること

が出来たのです。

そして、その事務所が立った時、私は「これでこの選挙は勝っ

た」という不思議な安堵感を感じたことを覚えています。それ

も、その空き地がちょうど神社と市役所を結ぶ三角形の頂点に位

置していたためで、「住吉大神が神社と市役所をむすんでくれて

いる」との感覚がしたためであります。


事前の大方の予想を覆して、選挙は「奇跡的」に私の地すべり的

な大勝利でした。市長に就任して役所に通勤するようになると、

私は毎朝、風浪宮に参拝することを日課としました。市長になっ

たのが5月で、ちょうど田植えのシーズンでした。そのシーズン

中にある部落の農家の皆さんが多数陳情に押しかけたのです。

農家の皆さんの話では、「もう30日近くも雨が降っておらず、田

植えが出来ないで困っている」とのことでした。その地域は、大

川市内でも筑後川の最下流域にあり、雨が降らないため水不足で

田植えができないというのです。陳情は、市の力で井戸を掘って

欲しいと言うものでした。もちろん快諾したのですが、でもそう

は言ってもやはり井戸掘りは直ぐ出来る訳でありません。その間

に田植えの時期を逸することもありえます。


いろいろと考えてみた私は、大川市の守り神である風浪宮の神様

に雨を降らして頂けるように頼みに行くことに決めました。もち

ろん、100%の自信があったわけではありません。しかし、「絶対

に勝ち目はない」と言われていた私を、勝利に導いていただいた

ほどの力のある大神様です。しかも竜神様であり、天候を左右さ

れる神様でもあります。あるいは、何とか願いを叶えて頂けるか

もしれないと、一縷の望みを託していたのです。

その日の夕方、仕事を終えた私は、帰途に神社に立ち寄り「降

雨」の祈願をしたのです。奇跡は、その日の晩に起きました。30

日間も降らなかった待望の雨が、「ザー」と音を立てて肺然とし

て市内に降り注いだのです。もちろん水不足の問題は直ちに解決

しました。


こうした出来事が、一回限りしか起きなかったら、私も「単なる

偶然だったかな」ということで終わっていたと思います。しか

し、私が雨降りの祈願に神社に向かうと、必ずその日の夜か翌朝

には雨が降るのです。それが私が市長をしていた5年間に5,6回起

きました。こうなるともう「偶然」とは言えなくなります。

これは「住吉大神」の信仰者であった私と、大神様との間に何ら

かの「黙契」があると思わざるを得ません。つまり、大神様はハ

ッキリとおっしゃらないが、私との間に「我祈れば天地応える」

状態が出来上がったと、感じるに至ったのであります。またその

ような大神の「恩寵」に深く感謝を申し上げ、ますます私は信仰

を深めるようになりました。


ある時は、こんなことがありました。その日、台風が北上して大

川市に近づいていました。私は市長室に座ってテレビで台風の進

路を心配しながら見守っていたのですが、どうもテレビの報道で

は大川市を直撃しそうな気配なのです。有明海を真っ直ぐに大川

市に向かって北上するテレビ画面の報道に、「このままでは市が

直撃を受ける」と感じた私は、思い余って神様にお願いに行くこ

とにしました。雨の中を拝殿にぬかずいて私は、大神様に「台風

の進路を変えて下さい」と、無謀なことを頼み込んだのでありま

す。

すると、その直後に何と台風は、大川市の直前で進路を「左に直

角」に変更(通常台風は右に曲線を描いて本州方面に動くのです

が)、韓国方面に向かったのでした。これには祈った方の私も、

ビックリ魂消てしまいました。大神様は私の「無理な願い」を聞

き届けて下さったのです。


もっと大きなご神慮を頂いたのが、筑後川で行われた防災訓練で

の出来事でした。実は昭和26年に筑後川は大雨で大氾濫を起こし

ます。特に久留米市周辺で堤防が何ヶ所も決壊し、数百人が死亡

する大惨事となりました。そんなことの教訓で、福岡県ではその

後は毎年、筑後川流域の自治体で交代で大規模な防災訓練が行わ

れています。この年は大川市で訓練が行われることになり、その

日は県知事以下の要人を含め、市民2千人が参加する予定となって

いました。


しかし、当日はあいにく福岡県全域が「朝から雨」の天気予報で

した。早朝、心配しながら起きてみると案の定、外はシトシトと

雨が降っていました。この頃になると大神との関係に大分自信を

持ち始めていた私は、早速雨の中、風浪宮に向かいました。そし

て大神様に「どうか天気にして下さい」と、またムリなお願いを

祈ったのです。

大会の開会は、御前10時から予定されていました。でも8時ごろに

なると雨脚は次第に弱くなりポツポツとなって、大会が開始され

る頃には何と完全に止んで、上空には青空が広がりはじめまし

た!心の中で大神様に感謝申し上げたことは、言うまでもありま

せん。


防災大会は、大盛況で素晴らしい大会となりました。正午に大会

を無事終えて、その後は県庁から来て頂いた来賓の皆様方と「な

おらい」の会食に入ったのです。その時、県知事に同行してきた

秘書課長が、私のところにやって来て、「しかし、市長さん、世

の中には不思議なことがあるものですね」と真剣な表情で言うの

です。

どうしたのか尋ねると、「イヤ、実は今日は県内全域雨の予報

で、私たちが福岡市の県庁を出た時も雨が降っていました。でも1

時間半ほど南下して大川市の手前まで来ると、何と大川市の上空

だけポッカリ穴が開いたように雨雲が無く、青空になっていたの

です」と首を傾げて話すのです。私は、下界の大川市にいたので

県内の他の都市の状況まで知る由もありませんでした。都合良く

雨が上がってくれて良かったとしか思っていなかったのです。し

かし、課長の話を聞いて、初めてこの天気は、私の祈りに応え

て、大神様が「特別に」ご配慮頂いたものだと分かったのです。


大神様の、御神威はかくのごとく強大であります。特にその団

体、あるいは組織の長が「住吉大神」を信仰していれば、必ずや

力をお貸し頂けるのです。

私は、自分がこのような奇跡的な体験を何度も経験しているから

こそ、マサノブ氏が新潟の講習会の前日に大地震に出会ったり、

昨年8月の「大自然賛歌経」の発表日に、宇治別格本山の大講堂に

落雷が直撃するような事件が起きるということは――マサノブ氏

が「住吉大神」を信仰していない。逆に大神がお怒りになられて

いる――「証拠である」と自信を以って断言し、厳しく糾弾する

理由なのです。

我々が谷口雅春先生をお慕い申し上げ、「生長の家」の信仰をし

ているということは、取りも直さず「生長の家の大神」である

「住吉大神」の信仰者であるということであります。神様に対す

る信心は、誠心誠意行わなければなりません。大神の御神威を畏

れ、そのご配慮、恩寵に絶えず感謝する気持ちが大事なのです。



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