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大聖師 谷口雅春先生御著『私の日本憲法論』 謹写 3 《理念篇 仏典・聖書より観たる宇宙の実相―日本の国体と憲法との奥にあるもの―》 p32~51 《完》 (8058)
日時:2013年04月30日 (火) 10時36分
名前:コスモス

  
  理念篇《仏典・聖書より観たる宇宙の実相―日本の国体と憲法との奥にあるもの―》

 「世尊拈華と日本国憲法の在り方」と題して「理想世界」誌昭和四十二年五月号に発表。後に『女の浄土』に本題で収録。


                 一切の存在はコトバにて成る 


 聖書の「ヨハネ伝」の冒頭に「太初(はじめ)に言(ことば)あり、言は神と偕(とも)にあり、言は神なりき。この言は太初に神とともに在り、万の物これに由りて成り、成りたる物に一つとして之によらで成りたるはなし。之に生命(いのち)あり、この生命は人の光なりき」と録(しる)されております。

 すべてのものは言によって成ったというのがキリスト教の宇宙創造説であります。「万のもの之に由りて成り」とありますが、この事物が生成することを「成る」と日本語で申しますのも、実は、「成る」と「鳴る」とは同一語源でありまして、すべての事物の本質は、言(ことば)でありますから、鳴りひびくのであります。

 このことは旧約聖書の「創世記」の冒頭に、「元始(はじめ)に神、天地を創造(つくり)たまへり。地は定形(かたち)なく嚝空(むなし)くして黒暗(やみ)淵(わだ)の面にあり。神の霊、水の面を覆いたりき、神、光あれと言ひたまひければ光ありき‐‐」とあるのに照合するのであります。

 神が天地を創造りたもうたのは「光あれと言ひ給うた」ときに光があらわれ、次々と、神のコトバによって万物が生じたのであります。

 神はコトバによって万物を造ったといいますと、神とコトバとは別々のものであって、神が言葉という道具によって万物を創造られたように思い違いしがちでありますけれど、「ヨハネ伝」にありますように、「コトバは神と偕にあり、コトバは神なりき」でありまして、"コトバ"と"神"とは本来不可分の一体なのであります。

 日本の古代の言語では、神のことを命(みこと)と申しました。「みこと」というのは"御言(みこと)"即ちコトバということであります。「みこと」の"み"は"御"という字で、美称であります。

   
     平成二十五年四月三十日 謹写 感謝合掌 


大聖師 谷口雅春先生御著『私の日本憲法論』 謹写 《理念篇 仏典・聖書より観たる宇宙の実相――日本の国体と憲法との奥にあるもの――》 2 (8062)
日時:2013年04月30日 (火) 22時29分
名前:コスモス


すべての物の本質はコトバである

 すべてのものは、外面から眺めますと、物質のように見えますけれども、その本質はコトバであります。それを日本人は古来ちゃんと、潜在意識にそれを悟っておりましたので、この「湯呑」を指しても、「これは湯呑と"いうもの"である」と言います。

 またこの「書物」を指しても、「これは本と"いうもの"、書物と"いうもの"である」と言います。そのほか何を指しても、「これは人間と"いうもの"」「これは動物と"いうもの"」--などと言うのであります。

 「これは物質だ」と言い切らないで、「これは物質と"いうもの"だ」と我々が言うのは、すべてのものは、それは物質に見えても、実は「"言うもの"」なのだ。「コトバ」の具体的表現なのだ、本質はコトバなんだと知っているからなのであります。


   平成二十五年四月三十日 謹写 感謝合掌


大聖師 谷口雅春先生御著『私の日本憲法論』 謹写 《理念篇 仏典・聖書より観たる宇宙の実相――日本の国体と憲法との奥にあるもの――》3  (8063)
日時:2013年04月30日 (火) 22時51分
名前:コスモス


   日本国の本質は天照大御神の神勅(みことのり)である


 私がこんな話をいたしますのは、実は日本国家の本質について皆さんのご理解を得たいからなのであります。日本国は誰が何を如何にして創造されたかという問題であります。

 日本国がどのようにして出来たかと申しますと、日本書紀には、天照大御神の勅(みことのり)によりまして、

 「豊芦原千五百秋之瑞穂国(とよあしはらのちいほあきのみずほのくに)は、是れ吾が子孫(うみのこ)の王(きみ)たる可(べ)き地(くに)なり。宜しく爾皇孫(いましすめみま)就(ゆ)きて治(しら)せ、行矣(さきくませ)。宝祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむこと、当(まさ)に天壌(あめつち)と窮無(きわまりな)かるべし」

 と録(しる)されているのであります。天照大御神の「天」とは天球即ち宇宙でありまして、天照大御神とは宇宙の大神であらせられます。

 大神が出現された時の有様を日本書紀には「光華明彩六合照徹(ひかりうるわしくりくごうにてりとおらせり)」と書かれており、宇宙全体にその光明がうるわしく照り徹っている有様が形容されているのであります。


   平成二十五年四月三十日 謹写 感謝合掌


大聖師 谷口雅春先生御著『私の日本憲法論』 謹写 《理念篇 仏典・聖書より観たる宇宙の実相――日本の国体と憲法との奥にあるもの――》4 (8065)
日時:2013年04月30日 (火) 23時04分
名前:コスモス


    日本国の本当の建国は何時(いつ)か

 日本国の建国はいつの時代かという問題は、建国記念日制定以前から色々の説があり、建国記念日制定後にも尾を曳(ひ)いている問題でありますが、

 コトバは神であり、神はコトバと偕にあり、一切のものはコトバによって生じたという哲学から申しますと、日本の建国は、宇宙の大神にまします天照大御神が「豊葦原の瑞穂の国は世々わが子孫の王たるべき地なり」とコトバによって宣言された時に、日本国は、「神のコトバの世界」即ち「理念の世界」に於て成立したのであります。





大聖師 谷口雅春先生御著『私の日本憲法論』 謹写 《理念篇 仏典・聖書より観たる宇宙の実相――日本の国体と憲法との奥にあるもの――》5  (8076)
日時:2013年05月01日 (水) 07時15分
名前:コスモス


    
      理念とは如何なるものか

 
 もっとも「理念」というものは、コトバ即ち「神の生命の知的表現としての振動」即ち神の心の中に思い浮べられた"形相"でありますから、それは物質的形相ではありません。

 従って縦横厚みの三次元的な空間的大小の"ひろがり"をもっていません。すなわち物質的な形や大きさを抽(ぬ)きにした超空間的な純粋な形相であります。

 だから、その理念が現象面に投影して来る場合には、大にも小にも顕れて来るのであります。

 天照大御神が天孫降臨の神勅に於いて仰せられた「豊葦原の瑞穂国」というのも、色いろの解釈がありますが、これは大には宇宙ぜんたいを表わしており、国家的には日本国を表現しており、極微の世界に於ては物質原子の構成をあらわしていると見ることができます。

 というのは、瑞穂国というのは、これを哲学的に解釈いたしますと、水火国(みずほのくに)ということになります。"水"は陰の象徴であり、"火"は陽の象徴であります。

 陰陽の組合せによる結合によって出現したものはすべて、大小に拘わらず水火国であります。

 大は太陽系統から、小は物質原子に至るまで、すべて水火国であります。国家も家庭もすべて陰陽結合によって成り立つ水火国であります。


    平成二十五年五月一日 謹写 感謝合掌


大聖師 谷口雅春先生御著『私の日本憲法論』 謹写 《理念篇 仏典・聖書より観たる宇宙の実相――日本の国体と憲法との奥にあるもの――》6 (8088)
日時:2013年05月01日 (水) 21時06分
名前:コスモス



    瑞穂の国の根本構図について


 その水火国(みずほのくに)が如何なる形相をもつべきか、換言すれば、如何なる構造であるべきかの、根本構図として示されたのが、「世々わが子孫の王なるべき地なり」というコトバであります。

 これは「この根本構図は、一切の存在は世々変らざる即ち永久不変の中心をもつべきものである」という意味であります。

 これが宇宙の大神たる天照大御神の御宣言なのであります。それは宇宙の大神の御宣言でありますから、宇宙の万物すべてのものにあらわれている存在の根本的構図の原理であります。

 だから吾々が知っている最も小さな存在たる"原子"も、原子核という永久変らざる中心をもっているのであります。原子が原子としての存在を保っているのは、原子核という「永久変らざる中心」があるからである。

 原子核を中性子で攻撃して、核を破壊してしまえば、もうその原子は、爆発して飛んでしまって存在しなくなります。

 太陽系統も、太陽というその系統の「永久変らざる中心」があるので、その存在を保っているのであって、何らかの原因で太陽が爆発して飛んでしまったり、消えてしまったら、太陽系を巡る天体は、中心を失って存在しなくなる。無論、地球は単なる"死天体"として冷却して、一切の生物は存在し得なくなります。

 家庭も、家長たる父又は良人がその家庭から姿を消すと、従来の安泰平和な状態を失って、四分五裂してしまう。

 国家も日本天皇の如き万世一系の変らざる中心が無くなってしまえば、四分五裂して、ソ連や中共の革命当時のような混乱状態が起るのは必然であります。

 そしてその混乱は一時的ではなく、たえず強者が弱者を倒して、易姓革命が起り、王朝が変り、インドネシアのような状態や、中共の紅衛兵旋風に類するものが起って、存在の安定が失われてしまうのであります。

 このようにすべての存在は、永久変らざる中心を持つことによって、その存在を維持しているのであります。

 ところが現行の憲法では、国家の中心である天皇を象徴と称して、半ば破懐し、"家"の制度を根本的に破懐した。

 家長とか戸主 とかいうものはなくて、唯(ただ)夫婦単位に、陰陽がただ集っているのが家庭であって、中心というものはない。

 恰度(ちょうど)それは分子を滅茶苦茶に集合さしただけであるから、親の言うことをきく必要もなければ、親孝行する義務もない。夫に操をつくすという要請もない。ほかに好きな男が出来たら、離婚するのは自由だというようにできている。

 中心のない家庭雑居は、もう既に「家」ではないのであって、それはただの下宿人の集まりである。太陽を失った遊星のように、みんな冷えつつある。


    平成二十五年五月一日 謹写 感謝合掌


大聖師 谷口雅春先生御著『私の日本憲法論』 謹写 《理念篇 仏典・聖書より観たる宇宙の実相――日本の国体と憲法との奥にあるもの――》7  (8108)
日時:2013年05月02日 (木) 13時18分
名前:コスモス


    
      速やかに明治憲法復元の必要に迫られている

 そして国民は下宿人の集りみたいに、テンデンばらばらに国民が自分の利己主義で勝手に行動したらよい、祖先伝来の家の財産でも、家族がバラバラに分解して持っていったらよい。家なんか存在しないから、家督相続はないと定められているのが、現行の憲法であります。

 国家としては、まだ天皇が「国民統合の象徴」として、「統合の中心体」として現行憲法に存在しておりますので、日本国はこのような安泰と繁栄の状態を続けておりますけれども、

 この天皇の地位は、現行憲法そのままでは、国民の総意によっていつでも左右できるように規定してありますから、社会主義や共産主義系の政権が樹立され、

 そういう革新系の代議士の議席が三分の二を超えるようになると、その三分の二以上の発議が、「国民の総意」と認められて、天皇制廃止の社会主義憲法が新たに制定せられる惧れがあるのであります。

 しかも社会党は、1970年には日本に革命政権、又は革新系連合政権を樹立すると言っているのですから、そういうことにならないように、

 今のうちに現行の憲法が本当の憲法ではなく、占領中に日本を弱体化する政策上押し付けられた"占領行政基本法"であることを明らかにして、

 占領終了と同時に失効せるものであり、その失効と同時に、明治憲法はそのまま生きているということを宣言すべきなのであります。

 つまり、国家にも永久かわらざる中心が万世一系の天皇の形によって持続することによって、一切の存在が「永久変らざる中心を持つ」という天意の実現せる唯一の国家が日本国家であって、もし、この日本国家に天皇がなくなれば、

 すべての存在には永久変らざる中心があるという神の宇宙創造の基本形態が、国家だけには当てはまらず、破壊されることになります。

 今こそ吾々は神意を実現せる真理国家こそ日本国家であるという、日本国家独特の神聖性を明らかにするために、明治憲法復元に踏み切るべき時であります。

                  (つづく)

        平成二十五年五月二日 謹写 感謝合掌
   

大聖師 谷口雅春先生御著『私の日本憲法論』 謹写 《理念篇 仏典・聖書より観たる宇宙の実相―日本の国体と憲法との奥にあるもの―》 7 (8109)
日時:2013年05月02日 (木) 13時49分
名前:コスモス


 こう申しますと、私の言うことは非常にナショナリズム的に他から観られるかも知れませんが、海外の書籍などにも、生長の家はナショナリズムにつながるというような紹介記事を書いたものがありますが、

 世界的に組織を持ち、生き生きと活動しているアメリカの新しいキリスト教リリジャス・サイエンスの理事長であるウイリアム・ホルナディ博士が数年前見えたときに、その事について質問せられたことがあります。その時私はこう答えたのであります。

 「イエスの教えた模範的祈りの"主の祈り"に於いて"天にまします吾らの父よ、御名(みな)をあがましめ給え、御国を来たらしめ給え。御心の天に成るが如く地にも成らしめ給え"と祈るように教えられているのであるが、

 天には唯一つの永久変らざる神がいらっしゃって、すべてのものがその唯一つの神の御心に帰一しているのでありましょう。そうすれば、天にそのように御心の成るが如く、地にも成るとすれば、その御心が地上に成り、

 その御心が国家にあらわれるならば、永久変らざる中心が国家にも成就しなければならない。そのような永久変らざる中心である万世一系の天皇をもつ国は日本だけであって、国家としては最も神意にかなう形態をととのえているのが日本国家である」と申し上げたのであります。

 すると、ホルナディ博士は大いに頷(うなず)いて、賛成の意を表されたのであります。

 だから古事記、日本書紀等の示すところの天皇中心国家というものはキリスト教の示す世界観、または国家理想とも完全に一致するものであります。

 これをナショナリズムだ、軍国主義だとキリスト教側から反対されるのは理窟に合わないのであります。


      平成二十五年五月二日 謹写 感謝合掌


大聖師 谷口雅春先生御著『私の日本憲法論』 謹写 《理念篇 仏典・聖書より観たる宇宙の実相―日本の国体と憲法との奥にあるもの―》 8  (8111)
日時:2013年05月02日 (木) 16時13分
名前:コスモス


   釈尊の教えも唯一の中心に帰一する国家を示された

 仏教に於きましても、天皇中心国家なるものは、釈尊の教え又は釈尊の宗教的悟りの理想であったのであります。

 「世尊拈花と日本国の憲法」という題で私は話すことになっているのでありますが、「世尊拈花」というのは、あの禅宗の聖典である『無門關』という本の公案の第六則であります。
 それには斯う書かれております。

 「世尊、昔、霊山会上(りょうぜんえじょう)に在って、花を拈(ねん)じて衆に示す。是(こ)の時衆皆黙然(しゅみなもくねん)たり。唯迦葉尊者(ただかしょうそんじゃ)のみ破顔微笑(みしょう)す。世尊曰く、吾れに正法眼蔵、涅槃妙心、実相無相、微妙(びみょう)の法門あり。不立文字、教外別伝(きょうげべつでん)、摩訶迦葉に付嘱(ふぞく)す」

 この公案の出典はどこにあるか。釈尊がこのようなことをせられたという事実物語のようなものは『大蔵経』の中には集録せられないで、特殊な『大梵天王問仏決疑経』という経に詳しくその事実が記載されているのであります。

 『大蔵経』にそれが収録せられていないのは、伝えられているところによると、この経は帝王経として、帝王の読むべき秘蔵の経であるから」、一般の『大蔵経』には収められていないのだということであります。その『大梵天王問仏決疑経』には、このように書かれているのである。

 「爾の時、大梵天王、即ち若干の眷族(けんぞく)を引き来たり、世尊に金波羅華(こんぱらげ)を献じ奉り、各々仏足を頂礼(ちょうらい)し、一退いて一面に坐す。爾の時、世尊即ち献じ奉られる金色の波羅華を拈じ、目を瞬(またた)き、眉を揚げて諸々の大衆に示す‐‐‐‐」

 この破羅華(はらげ)というのが、"高天原(たかあまはら)"即ち実相世界の構図を象徴的に示すところの華なのであります。"破羅"というのは梵語で、"彼岸"という意味であります。

 現象世界のことを"此方(こちら)の岸"即ち"此岸(しがん)と申しますが、実相世界のことを、現象の此方の世界から見て"彼岸"と申します。「彼岸に到る」即ち「実相の悟り」に到達することを"到彼岸"即ち波羅密(はらみつ)"と申します。実相の悟りに至る六つの道を"六波羅蜜"と申すことは、皆さん既に御存知の通りであります。

 このように"波羅"という語は、"彼岸"即ち"実相世界"をあらわしているのであります。この実相世界のことを、キリスト教では、"天"とか"天国"とか申します。神道では、高天原と言うのであります。

 その実相世界の構図の通りに、現象世界が成ることを、「みこころの天に成るが如く地にもなる」というのであります。


   平成二十五年五月二日 謹写 感謝合掌


大聖師 谷口雅春先生御著『私の日本憲法論』 謹写 《理念篇 仏典・聖書より観たる宇宙の実相―日本の国体と憲法との奥にあるもの―》 9 (8118)
日時:2013年05月02日 (木) 22時16分
名前:コスモス


  蓮華の花の構造は何を象徴するか

 さて、みこころの天に成れる相(すがた)は、金波羅華(こんぱらげ)――即ち金色の蓮華の花にはハチスといって、中心に"ス"があるように統一の中心がある世界である。

 まだみこころが"天"(実相)だけに成っていて"地"(現象世界)にはまだ完全にその通りになっていない現在に於いては、天界の構図を肉眼で示す訳にはまいりませんが、お釈迦さんは蓮華の花を、その象徴として示されたのであります。

 「宇宙の実相は空ではないぞ、この通りに実のある世界である」と示されたのです。蓮華の花は、花が開いたときに既に中心に"実(み)"即ち"実(じつ)"がある。

 その実相から現象世界が花びらのように展開しているのがこの世界である。その実相は金剛不壊であって不動である。その表面にあらわれている現象だけが波のように常に変化している。

 それで仏教では、この世界を"蓮華蔵世界海"と称して、"海"に喩(たと)えたのであります。蓮華蔵世界海という語は、『華厳経』にある語(ことば)でありますが、

 蓮華の如く、中心に"ス"をもつ中心帰一の荘厳な相を内に蔵する世界であるが、海の表面の波の如く現象には有為転変(ういてんぺん)の相があらわれているのであるというのが、"蓮華蔵世界海"の意味であります。

           

           平成二十五年五月二日 謹写 感謝合掌


大聖師 谷口雅春先生御著『私の日本憲法論』 謹写 《理念篇 仏典・聖書より観たる宇宙の実相―日本の国体と憲法との奥にあるもの―》 10  (8119)
日時:2013年05月02日 (木) 23時02分
名前:コスモス



        釈尊出興の最大目的は

 釈尊がこの世に出興せられた最大の目的は、宇宙の実相が、蓮華の花の如く、中心に巣(す・統す・枢すう)があって、万象悉くその巣より出で巣に帰る――即ち宇宙の実相は、中心に"ス"即ちスメラミコトが在(ましま)して、

 万象悉く"それ"より発し"それ"に還る――その実相を説き明かさんがために出興せられたのが、釈尊がこの世に出興された目的であり、使命であると私は思うのであります。

 何故かというと、釈尊が六年苦行の後、山を降って尼蓮禅河(にれんぜんが)の畔(ほとり)の菩提樹の下で静坐瞑想してサトリを開かれて、第二七日目にはじめて、その悟った真理を、何の方便もなく、そのまま説教せられたのが、『華厳経』であるからであります。

 この『華厳経』の題目は、詳しく言えば『大方広仏華厳経』でありまして、此のお経の題目を解釈すれば、"大方広仏"即ち凡ゆる方角に無限に広がっている如来が大方広仏であり、

 その普遍的如来の生命の展開が大宇宙であり、その構図は蓮華の如く中心に"ス"があって、万物悉くその"ス"より発し、そこに還って行くというのであります。

                 (つづく)

      平成二十五年五月二日 謹写 感謝合掌


大聖師 谷口雅春先生御著『私の日本憲法論』 謹写 《理念篇 仏典・聖書より観たる宇宙の実相―日本の国体と憲法との奥にあるもの―》 11  (8127)
日時:2013年05月03日 (金) 07時34分
名前:コスモス


 ところが釈尊が『大方広仏華厳経』をお説きになって、この宇宙に内在する実在の構図を示されたけれども、普賢菩薩ひとりだけその神意がわかっただけで、他の聴衆にはその神意がわからなかった。

 そこで釈尊はこの『華厳経』を竜宮へ秘めて置いて、道徳修養を主とするような『阿含経(あごんぎょう)』のようなお経をお説きになっていて、それ以後は久しく宇宙構図の真実を顕さなかったのであります。

 『大方広仏華厳経』が竜宮に秘められていたということには、深い象徴的意義があるのであります。

 竜宮というのは、あの浦島太郎の神話で御存知の竜宮であります。竜宮とは浜の砂を掘って、三池炭鉱のように深く深く海の底へ沈んで行ったら、そこが竜宮というようなお伽噺ではないのであります。

 竜宮とは海の底であります。一切のものを「生み出す根底」の世界「生みの底」のことであります。換言すれば創造の本源世界のことであります。

 創造の本源世界は、時間空間以前の世界でありますから、超時間の世界です。だから浦島太郎が竜宮海に往(い)っていた間は、年齢(とし)が寄らなかったという神話になっているのであります。

 そこには沢山の乙姫が住んでいました。創造の本源世界に沢山の乙姫が住んでいるというのは、どういう意味でありましょうか。

 乙姫は"音秘め"であります。"音"とはコトバでありまして、この講話の冒頭で申しましたように、創造はコトバによって行われるのでありまして、それは秘められたる創造の力であるから、"音秘め"であります。

 そして、そのコトバの数は創造の数と等しく無限であります。仏教学者の伝える処によりますと、本当の『華厳経』は文字に書いたお経ではなく、宇宙の創造の本源世界に鳴りひびいている真理のコトバそのものであります。

 釈尊がその真理のコトバをお説きになりましたのが、『華厳経』であります。その『華厳経』が普賢菩薩にしかその真の意味がわからなかったというのは、普賢というものは、宇宙普遍の叡智であります。その叡智を出して来なければ『華厳経』の意味は分らないというのであります。

 さて、その宇宙普遍の叡智に導かれて解釈してみますと、竜宮海即ち、「生みの底」(創造の本源世界)には無限の音姫即ち「秘められたる実相のコトバ」が充ち満ちているのであります。

 その創造の本源に秘められてある真理のコトバそのものが『華厳経』でありますから、『華厳経』を読むには、神通力によって竜宮へ降りて行かねばなりません。そこへ降りて往って『華厳経』を読んで来たのが、竜樹(りゅうじゅ)菩薩であります。


    平成二十五年五月三日 謹写 感謝合掌


大聖師 谷口雅春先生御著『私の日本憲法論』 謹写 《理念篇 仏典・聖書より観たる宇宙の実相―日本の国体と憲法との奥にあるもの―》 12  (8130)
日時:2013年05月03日 (金) 10時19分
名前:コスモス



       竜樹菩薩とは如何なる人か


 竜樹菩薩という人の伝記はいろいろありますが、大体、釈迦が入滅せられてから大凡(おおよそ)二百年後に生まれて、寿命七百歳を保って神通自在の人だったと云い伝えられています。

 神話中の人物で、ハッキリとは分りません。従ってその行績を象徴的に解釈しなければなりません。

 幼きこと四歳にしてヴェダの経典を全部読破した。その後、地上にあらゆる仏典を読破したけれども、大乗の仏典が見当たらないというので、神通力で竜宮へ降りて往った。

 そして、そこに秘められている大乗の真理の経典『華厳経』を読破したというのであります。

 つまり是は、創造の本源世界にある「実在の構図」即ち「実相世界の構成」換言すれば「御心の天に成る世界構図」の秘密を読破したというのであります。

 その『華厳経』のコトバの数は、その上本には十三千大千世微塵数(せんだいせんせみじんじゅ)あり、中本には四十九万八千八百偈(げ)あり、地上に持ち来たって、現今、文字の形で伝わっているのは、下本だと言われております。

 下本とは簡略本のことでありまして、その上本、即ち本当の『華厳経』のコトバは十三千大千世微塵数というのは、大千とは千の自乗であります。

 千の自乗を十三千倍した数だけの世界を擦りつぶして、メリケン粉のように微塵にした、その微塵の数だけのコトバの数があるというのですから、

 これは大宇宙そのもののコトバの数でありまして、大宇宙の実相そのもののコトバの展開そのものが『華厳経』なのであります。
                 
      平成二十五年五月三日 謹写 感謝合掌


大聖師 谷口雅春先生御著『私の日本憲法論』 謹写 《理念篇 仏典・聖書より観たる宇宙の実相―日本の国体と憲法との奥にあるもの―》 13  (8140)
日時:2013年05月03日 (金) 14時10分
名前:コスモス



『法華経』にあらわれた実相の構図


 竜樹菩薩が竜宮海に降りて往って実相の構図を見て来た処によりますと、そのコトバの姿はどのように実在世界で展開していたかというと、

 蓮華荘厳(れんげしょうごん)の姿に展開していて、その中央の蓮華の花の"ス"の中心に、毘盧遮那(びるしゃな)如来(訳して大日如来、日本的に翻訳すれば天照大御神)がましまして、この全法海はこの如来身の顕現であると、『華厳経』の「浄眼品(じょうげんぼん)」には書かれております。

 そしてその如来身は、あらゆる顕現の世界に重現(じゅうげん)せられて真理の説法をしておられる――この説法しておられるということは、宇宙に満つる創造のコトバそのものであるということを意味しております。

 そしてこの蓮華蔵世界海の周辺には八つの金剛囲山(こんごういせん)に取り囲まれてあり、中心には"大日如来"即ち天照大御神の宝座(ほうざ)があって、それによって宇宙の存在が支えられているのであり、

 そこから一切の真理のコトバが発生し、能(よ)く明らかに一切の世界を照らしているということを『華厳経』の「盧遮那仏品(るしゃなぶつほん)」には次の如く書かれているのであります。

 「仏子よ、当(まさ)に知るべし、此の蓮華蔵世界海の、金剛囲山は蓮華日宝王地(れんげにっぽうおうち)に依りて住せり。彼(かしこ)に一切の香水海あり、一切の衆宝あまねく其の地に布(し)き、金剛の厚地にして破懐(はえ)すべからず、一切の衆宝を出生し、又能く明らかに一切の世界を照せり」

 これは全く、日本書紀に、天照大御神が御出誕になった時に、"光華明彩・六合(りくごう)照徹"と、全宇宙に天照大御神の御徳が照り徹っている有様を形容しているのと符節を合わしているのであります。

 兎も角、釈尊は、その悟りをひらいて、宇宙の真理を自覚なさった真理の発表の第一声である『華厳経』に於いて、宇宙の実相は、中心座に永遠変わらざるスメラミコト・天照大御神・大日如来がましますことをお説きになり、

 一切の真理のコトバはそこから出生して、全宇宙を照らしていることをお説きになった。だから、これをお説きになることが、釈尊がこの世に出られた最大の目的であり、使命であったといって好いのであります。

       平成二十五年五月三日 謹写 感謝合掌


大聖師 谷口雅春先生御著『私の日本憲法論』 謹写 《理念篇 仏典・聖書より観たる宇宙の実相―日本の国体と憲法との奥にあるもの―》 14  (8141)
日時:2013年05月03日 (金) 15時08分
名前:コスモス


            世尊拈花の意義について

 こういう『華厳経』が釈迦成道の第一声であって、それを理解する者が普賢菩薩のほかに誰もいなかったので、久しく竜宮海なる創造の本源世界にそのままこの真理は沈められていたのでありますが、

 梵天王(ぼんてんのう)が偶々(たまたま)釈尊の説教会(え)にのぞんで、金波羅華を釈尊に献上して「これについて衆生のために説法して下さい」と言うものだから、金波羅華を大衆に示して「ここに宇宙の実相がある」と、その象徴を悟れと仰せられたのであります。

 再説いたしますと、釈尊は、悟りをひらかれてから、宇宙の実相が蓮華荘厳の姿を内蔵する蓮華蔵世界海であると説いて、その第一声を挙げられたにも関らず、それを理会する者がないので、

 『阿含経』のような修養説教から説きすすんで、修養の根本となる"欲望の否定"の哲学を説くために、一切現象の空を説く「般若部」のお経を説いて「五蘊皆空(ごうんかいくう)・無眼耳鼻舌身意(むげんにびぜつしんい)」と一切を否定し切られた。

 ところが「般若部」のお経によって、釈尊は一切を否定し、否定し、否定し切られた末に、いくら否定しても否定し切れない"実相"があることを、釈尊は「法華部」のお経に於いてお説きになったのであります。

 先ず当時八十幾歳の老いぼれている現象の「肉体の自分」は「本来無い」のであって、五百塵点劫(じんてんこう)以前よりも尚更に、百千万億阿僧祇劫(ひゃくせんまんのくあそうぎこう)以前から存在する久遠実成(じつじょう)の如来である実相のみが独在するのであるとお説きになり、

 「衆生劫尽きて、大火に焼かるると見る時も、我が此土は安穏にして天人常に充満せり」とお説きになって、

 焼け尽きる現象世界の奥に、永遠に焼けないくだけない実相世界がある。そして、その実相世界は、やがてくだける現象世界よりも、一層確実な具体的な世界であるとして、

  園林(おんりん)諸々の堂閣、種々の宝もて荘厳せり
  宝樹華果(ほうじゅけか)多くして、衆生の遊楽する所なり
  諸天、天鼓(てんく)を撃ちて、常に諸々の伎楽を作(な)し
  曼陀羅華(まんだらげ)を雨(あめふら)して、仏及び大衆に散ず
  我が浄土は毀(やぶ)れざるに、而も衆(しゅ)は焼け尽きて
  憂怖(うふ)諸々の苦悩、是(かく)の如き悉く充満せりと見る
  

    平成二十五年五月三日 謹写 感謝合掌


大聖師 谷口雅春先生御著『私の日本憲法論』 謹写 《理念篇 仏典・聖書より観たる宇宙の実相―日本の国体と憲法との奥にあるもの―》 15  (8143)
日時:2013年05月03日 (金) 15時46分
名前:コスモス



        『妙法蓮華経』の題目の意義について

 このように釈尊は、実相は"空"にあらず、そんな有耶(うや)、無耶(むや)ハッキリしないところの夢幻的存在でもなく、実にハッキリした具体的存在であるとお説きになった。

 この真理をお説きになったお経が『妙法蓮華経』と名づけられているのは、この世界の実相は、妙法即ち妙なる法(ことば)によって成り立っている世界であって、

 その法(ことば)は蓮華の花びらのように、中心に巣があって、一切のコトバが中心のスメラミコトに中心帰一している世界だという真理を、文底秘沈(もんていひちん)の真理として表現しているのであります。

 私たちが「南無妙法蓮華経」ととなえて有りがたいのは、それは単にお経のお題目だからではない。

 「宇宙の実相は妙法蓮華の相(すがた)である。その中心にスメラミコトがましますのです。それが実相です。その実相に、私たちの生命を帰一します。その実相と、私の生命とは一体でございます」という意味の誦え言(となえごと)であるから、「南無妙法蓮華経」と誦(とな)えることが有りがたいのであります。

 だから或る団体の信者であるように、天皇に対して敵意をいだき、やがて天皇制を廃するための下ごころで、現行憲法を当分の間護持するつもりで、護憲側にまわっているような人々が「南無妙法蓮華経」と唱えても、"心"と、誦える"言葉"とが一致しませんので、決して功徳はないのであります。


     平成二十五年五月三日 謹写 感謝合掌


大聖師 谷口雅春先生御著『私の日本憲法論』 謹写 《理念篇 仏典・聖書より観たる宇宙の実相―日本の国体と憲法との奥にあるもの―》 16  (8145)
日時:2013年05月03日 (金) 17時08分
名前:コスモス


        蓮華蔵世界の意義を説く

 蓮(はちす)の華をもって"蓮華蔵世界海"即ち"大宇宙"の象徴とし、その蓮の華の中央にある"巣"をもってスメラミコト即ち大日如来・天照大御神が中心座にましますことの象徴とみとめますのは、

 一切の存在はコトバによって創造(つく)られたのであり(「創世記」、「ヨハネ伝」、弘法大師の「声字即実相」)そのコトバをスベテ統源した一番もとの本源のコトバが、「ス」であるからであります。

 万籟寂(ばんらいせき)として現象の声も音もない寂静の世界に坐して耳をすますと、かすかに現実のひびきではない"スー"の声が感じられます。

 これは現象世界のサ行活用の"ス"の声ではないのでありまして、皆さんが目覚めている時には、耳に聴える色々の言葉を発言なさいますが、それら一切の言葉を内に秘めて静かに眠りに入られたとき、その一切の言葉が一つに統べ統合せられた声が出る――

 それが"スー、スー"という寝息にあたる声でありまして、すべての存在の根源である、コトバのすべてが統べられ統一せられたコトバが"スー"即ち「統べらミコト」でありますから、

 中心に蜂の巣のような形の"巣"があるところの蓮の華をもって天皇が中心座にまします宇宙存在の本来のあり方を象徴するのであります。

 そしてその実相世界を蓮華蔵世界と称し、釈尊の成道の第一声から、世尊拈花の具体的象徴による蓮華説法を通じて、更に仏法の最高峰である『法華経』に於いて、宇宙存在の根本のあり方、従って又日本国家の本当のあり方は、

 永久変らざる万世一系の天皇が、宇宙存在の根本的鎮めとその中心座にあらせられねばならぬことを、釈尊は、お説きになったのであります。

 法華宗だけではなく、浄土経の各宗に於いても、「南無阿弥陀仏と称えると、極楽浄土の蓮華の台座の上に坐す」と言われているのは、実相の浄土は、中心にスメラミコトのまします蓮華蔵世界であるからであります。

 ところが現行の憲法は、日本国家の主権は天皇になく、単なる象徴であり、主権の存する国民の総意如何によっては、いつでも天皇を廃し得るようになっているので、

 宇宙存在の根本的構図に反(そむ)いている、反真理的憲法でありますから、どうしても、この憲法の非真理性を明確にして、

 釈尊が『華厳経』及び『法華経』及び花を拈(ひね)って具体的に示された天皇中心の明治憲法に復元しなければ、

 将来、日本国は非常な混乱状態に陥ることになること必定であります。何故なら、実相の真理に反いているものは、一時は栄えるように見えても、幻の上に築かれた楼閣のようなものであるから、崩壊するほかはないからであります。

              
            (この項完了)


    平成二十五年五月三日 謹写 感謝合掌




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