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宇治別格本山 (568)
日時:2012年08月19日 (日) 06時01分
名前:宇治茶


心のやすらぎ
 ~歴史をひもとくにあたって~                    
宇治別格本山総務・宮司 楠本加美野

昭和六十年三月末日、突然、飛田給より宇治に転勤になった。重い責任を感じ、日々なれない仕事に追われていたが、河口湖や飛田給では得られぬ「心のやすらぎ」を感ずることができた。大きな力によって動かされているという安心感がわいてくる。

当時、たまたま何もわからないまま『魂のふるさと-宇治』の編纂委員長となり、宇治別格本山の担当者より「あとがき」を依頼された。私は早速、原稿を通読した。一気に読了して宇治へ来て感じた「心のやすらぎ」がどこから来るかわかった。

この書には、宇治別格本山の誕生から今日に至るまでの歩みが書き尽くされていた。それは谷口雅春先生、谷口輝子先生の御文章が主体となっており、他の道場には見られない貴重な資料に基づいて書かれている。谷口雅春先生、谷口輝子先生の宇治によせられるなみなみならぬ御愛念を感ずることができた。

谷口雅春先生は当時の「明窓浄机」に宇治を絶讃しお書き下さっている。その一端を紹介すると、
「重労働の献労をしながら、それが治ってしまったと云うのは、ただ事ではない、屹度、フランスの『ルールドの聖泉』のように聖霊の天降っている聖地だからだと思えるのである」
「飛田給練成道場とはまた別な種類の体験がえられつつある。それは一つには土地の雰囲気の影響あるのであり、面積が広く、風光が明媚で古来宗教の道場として多くの高層がこの地を選んで修行をして黄檗山等の多くの名刹を建立した地」である、と。

私は、四十七年前に飛田給から嘉村俊凞先生と共に宇治に赴任した。献労を主とした練成をやり、山を崩し谷は埋められた。その間『生命の實相』より“罪”の項を抜粋して『人類無罪宣言』を編纂、信仰を確立することができた。昭和三十九年、河口湖の責任者となり、宇治から離れた。


飛田給も河口湖も創立当時とはすっかり変り、民家が周囲に密集しているが、宇治は四十七年前と同じ自然の環境にまもられていた。

私の部屋の目前には、御所山の原始林が屏風のようにそびえている。真偽の程はわからないが天皇の御所があったと聞いたことがある。この山は私達の山崩しの献労をいつも見まもっていてくれた。献労中に連発していた“ありがとうございます”の声をこの山は静かに聞いていてくれた。悠久に変わらない宇治川の流れ、山々のたたずまい、山王山の奥域には宝蔵神社、下流に平等院、対岸には興聖寺、その下流には黄檗山万福寺があり、宇治こそ歴史と宗教の町である。めまぐるしく変化する現代社会に生きる人達にとって、宇治はまさに「心のやすらぎ」の場である。

谷口清超先生は、宇治別格本山を生長の家の全体からみると仏間であるといわれている。古来日本人は先祖を尊び、祖先を中心として一体になって生活をしてきた。一家の大事があると祖先のお護りを願って仏前に坐り、喜び事があると先祖に報告し感謝した。先祖が祀られている宇治別格本山を訪れると、表現し難いなつかしさを覚え、ふるさとに帰ったような「心のやすらぎ」を感ずる。

「宝蔵神社神殿捧堂の祝詞」の中で谷口雅春先生は、次のように宇宙本源の大神に祈っておられる。
「今より後は一層に人類光明化運動の道に栄光を弥や増し給ひ これらの諸霊が世界平和に貢献し得て人類悉く道に迷はず争ふことなく清く明き心にて 愈々神仏及び祖先を敬い 顕幽相携へて大神の経綸を扶翼することを得るよう導き給へ」と。

宝蔵神社に祀られるという事は、大神の御導きの許に霊界から人類光明化運動に参画することで、所謂お寺や霊廟にお祀りするのとは意味が違って、全国信徒の祖先、既に霊界に往かれた信徒が霊界より人類光明化運動をしているのである。

谷口雅春先生は次のように御教示下さっている。
「生長の家の人類光明化運動には人間だけが参加しているのだと思うとまちがいでありまして、霊界における高級のスピリットが参加していて、霊界からこの光明化運動を護念しているのであります」(『生命の實相』第二十一巻)

”魂のふるさと”に帰り、神の御心のままに運動を展開する事が大切と思う。祖先を祀り霊界浄化の使命をもつ宇治別格本山の使命は益々重大であるといわねばならない。

昭和三十五年八月、宝蔵神社の落慶式で谷口雅春先生は、宇治別格本山の“奥の院”に住吉神社と稲荷神社を建立する計画を発表なさった。ところが住吉神社を建立する計画は変更になり、神癒の社入龍宮幽斎殿が建立された。『生長の家五十年史』には、「龍宮住吉本宮・出龍宮顕斎殿」と「入龍宮幽斎殿」について次のように書かれている。

「住吉大神が出御されるためには、吾々は一度“無”の門関を超えて、龍宮界に超入し、真の意味で新生しなければならないのであり、その目的のために建立されたのが入龍宮幽斎殿であったということが出来る。入龍宮幽斎殿の建立から住吉大神の顕斎への道が具体的に開始されたと言うことができる」

昭和五十三年「龍宮住吉本宮・出龍宮顕斎殿」の建立、顕幽両界の光明化の願いをこめて三年後には「龍宮住吉霊宮」が建立され、また御心の天になる世界が地上に顕現する願いをこめて、昭和五十七年「完成の燈台」が建立された。

大聖師谷口雅春先生の「顕幽相携えて大神の経綸を扶翼する」願いは、このように実現されたと拝察される。 

平成十五年九月


以上が本当の生長の家宇治別格本山であります。しかし雅宣総裁はそのような事には一切触れず。

自作現象経の発表をこの場でしょうとし、まさしくその時刻に豪雨と雷に見舞われ、全ての行事は中止となり、現場の信徒達はその偽お経を思わず投げ捨て恐怖に包まれたのでした。

誰が聴いても偶然では有りません。私達は偶然は無いと教えられています。

雅宣総裁、猛省せよ。



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