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『聖使命菩薩讃偈』の意義 及び 『誠魂奉安』の意義 (8711)
日時:2013年05月27日 (月) 06時20分
名前:童子

 此の 『聖使命菩薩讃偈』 はなんのために作られたのであるかといいますと、ともかく皆さんの誠魂を聖使命菩薩として礼拝し、その実相の完全さを喚び出して、速かに仏陀の覚りに導くための偈文(げぶん)であります。



 『聖使命菩薩讃偈』 の、讃というのは讃えるので、偈(ゲ)というのは偈文韻文でありますが、別にこれは韻をふんだという訳ではないのでありますけれども、全体が流暢な一つのリズムをもって綴られているのであります。


 そして私の知らない何時憶えたのか、見た事もないというような字が、処々に書かれているのであります。 例えば 「須く冥鑑を垂れ」 なんていっても、こんな熟字はどこから出てきたのか、どこで読んだと云う覚えもない、それがフッと、こういう字が浮んで来るのであります。 そのようなものは謂わばインスピレーションというのであります。

 一番しまいの行の 「その功徳普く盡十方に瀰綸せんことを」 なんて書いてありますけれども、私はそれを書くときまで見たことはない。 瀰というのは、やっぱり満ちみなぎるという字であります。 宇宙に遍満している。 綸というのもこれもなんという字ですか、反物の経緯(たてよこ)に縦横に張りめぐらされている細い糸のように、どこにでもずうっとこの普遍的に充ち満ちているというような意味らしいのであります。




 これは兎も角私の手が書いたから谷口雅春作と書こうかと思ったんですが、いや、これは私の知らぬ字を書いているから私が書いたのではないのであって、生長の家大神と称せられる宇宙の大神が、今度聖使命会員としてこの聖なる人類光明化の運動に協力なさる人々に聖使命菩薩とお名前をつけられて、その誠魂を寶筺に、あの 『實相』 の額の前に檜で立派な箱が安置されておりますが、あの中に聖使命会員の誠魂を納めて、そしてこの寶筐に向って、集る人が祈り且つ神想観をするということによって永遠にこの人類光明化運動に共鳴しその使命を遂行して下さる人々に真理の光明念波を送って祝福することになったのであります。


 常にあの 『實相』 の軸の前にあの寶筐が置かれてあって、その中に御自分の自筆で誠心を篭めて毛筆で自分の魂の波動、生命の波動というものが印象されている其の姓名を奉安して、それに向って信徒一同が毎朝聖経を読誦し神想観するのですから素晴しいのであります。 その功徳は永代に及ぶ訳であります。

                       ~ つづく

2・ (8729)
日時:2013年05月28日 (火) 01時34分
名前:童子


 自分で自筆で誠心を入れて書いた 『書』 には、その人の霊波が写っているのです。

 お寺では、お坊さんが位牌に戒名を書いてくれて拝んでくれる例はあるのでありますけれども、お坊さんの書いた字にはお坊さんの霊波が写っているのです。 自分の霊の波長が写っていないでお坊さんの霊波の写っている位牌を魂の代表として拝むちいうことは少しく無理があるのですけれども、御自分が誠心をこめて自分ま名前を署したものを、あの寶筐に納めてしかも毎日多数の信徒がそれに向って神想観をやり聖経を読誦しますから、その功徳の大なることは言わずとも明らかであります。

 
 しかし、その神想観の聖経読誦による光明念波も、それを受ける側で、それを受けとる心の準備が出来ていないと充分それを受けとることが出来ませんから、この 『聖使命菩薩讃偈』 をあげて、  「あなたの魂のために、斯ういう理由で、聖経を読誦するのですよ、 あなたは聖使命菩薩になったのですよ」  という意味で聖使命会員の皆様の誠魂、即ち誠の魂に対して呼びかける所の言葉であります。


 そしてこの言葉で呼びかけて、それから魂の霊的向上のために信徒多勢で 『甘露の法雨』 を読み神想観を行ずるというようにするのでありますから、これは、お寺に一人や二人のお坊さんに永代経をあげて頂くよりも、まだまだ幾百千倍の功徳が多いかわからないのであります。


 
 お寺に永代経についておきましても、一年に一遍お盆の時などにその人のためにお経あげてくれるかどうかわからないところが多い。 いわんや神想観をや、という訳であります。 なかには、何の供養もしないで位牌を預かっているお坊さんもなきにしもあらずであります。 但し立派な責任感をもった高徳のお坊さんはこの限りでありません。


3. (8730)
日時:2013年05月28日 (火) 02時25分
名前:童子

 嘗てこんな例がありました。 講演旅行に九州の博多へ行きました時に、私は南支のアモイの監務庁の長官をしておられた日吉さんという人のお宅へ泊めて貰った事がありました。


 その人の奥さんがこう顔一面が南洋焼けといいますか醜しく全体が妙に黒ずんでいて、実に見苦しい顔をしているんです。 どういうことでそうなったんだろうときいて見ますと、その奥さんが肋膜炎になりました時、或る医者にかかったら、変質強壮剤として微量の砒素剤を与えたのだそうです。 

 砒素というものは劇毒薬でありますけれども適量を順次その量をふやしながら毎日用いて行くとその人の体質が変って健康になる。 いわゆる変質強壮剤となるのであります。 それを医者が微量づつ注射を続けておったのだそうですが、それを一ヶ月ばかり注射をしますと、中毒症状を現わしまして緑色の吐物を吐くようになり、水も何もほとんど受けつけないようになって非常に苦しんだのでありますが、それがともかく一ヶ月程すると、やっとボツボツ自分で鏡を見たり髪を梳るぐらいの事が出来るようになったのです。

 そして、始めて鏡を見たら自分の顔が、到る処、ムラムラと斑点が出来、あたかも世界地図の大陸みたいにシミがひろがっているんです。 日吉夫人は自分の顔があまりに見苦しいので驚いたんですけれども、それから兎も角も身体は元気になりましたけれども、顔にできた地図みたいな斑点が消えないのです。



 そこで日吉さんの奥さんはある霊覚のある行者に見て貰ったのでありますが、そうしたら、関東の大震災で、家が倒れて燃えている時に、その柱の下敷になった日吉さんの極く近親者が鯛が焦げたように所々黒くなって焼けながら苦しんでいる姿が見える。 その霊がすがっている。 そして何かそれのほかにもう一つ、金色にきらめく物が見えるけれども、良くわからないが、それは何か黄金の指輪のように思う。


 その光るものにその人の霊が執着をのこしている。 それに心当たりがないかといいます。 すると、実は心当りがあるという。 それは日吉さんの極く近親者の関東の大震災で焼けて黒焦げになって■んでおった。 丁度、鯛を焼いたように皮膚が、黒くなって焼けただれていたが、その■体が、金の指輪をはめておったというのです。

 その金の指輪を遺品に日吉さんは自分の家に置いたというのですけれども、自分の先祖からの菩提寺の坊さんが 「そんな物は自分の家に置いたらいかんから、お寺に預かってお祀りしよう」 といわれるので、東京の日蓮宗のあるお寺に預けたんだそうであります。

 それを思い出して行者に話しますと、行者が 「その光る物はその金の指輪に相違ない、その焼け■んだ人の霊がその金の指輪に非常に執着をもっている。 その霊が貴女に憑(ウツ)って救われたいと思っている。 それで所々焼け焦げたように皮膚に黒い斑点が出来ているのですよ。 だからその霊を呼び出して良く経をあげてやんなさい。 そしてその指輪は自分の家へ持って帰って、お祀りして良く供養してやんなさい」  というのでした。

 それで、その指輪を預けてあったお寺へ行って、指輪を返してくれといったら、その指輪はお祀りしてあるどころか、何処かへ紛失して無いという。 祀るというので、折角預けて置いた金の指環も紛失してしまうようなそういうお寺もあります。




 このようなお寺ばかりではありますまいが、誠心をもって本当にそのお寺の代々の坊さんが、祖先の霊魂達を拝んでくれるかどうかっていうことは、現代のお寺の状態では保証が出来ないのであります。

 仏教は無我を説くから 「我」 というものもない。 従って霊魂は存在しない、と堂々と無霊魂論を主張する坊さんもあります。 だから永代経についておいても本当に霊魂の存在を知って末代永代に御経をあげてくれるかどうかわからないのであります。 せっかく預けておいた位牌も指輪のように紛失するかも知れない。


 けれども、ここに皆さんが誠心をこめて、自分の霊波を附けてお書きになった自分の名前を、あの寶筐に納め置いて、毎朝ここに信者が集って神想観をし、『甘露の法雨』を読むということになりますと、これは、これはわたし一人で読むものでもなければ、あとつぎの教師や坊主が読むのでもない。 信徒の続くかぎり、集って神想観して聖経を読むのでありますから、ごまかすこともなければ、忘れることもない。 だんだん信者が増えて行けば寶筐の前で聖経を読んで下さる人の数は益々増えて来るし、神想観をする人の数も益々増えて来るということになるのであります。

4. 由来があきらかに・・・ (8819)
日時:2013年05月30日 (木) 14時20分
名前:童子


 その聖経を読む前に、この 『聖使命菩薩讃偈』 を読んで、こういう意味をその誠魂につたえます ――


 『この広大なる慈門は、すべての宗派を超越して、人類の苦悩を消滅し、滅罪清浄ならしむるなり。 殊にみづから功徳を受くるのみならず、或は更に進んで衆生を救済指導せんがために、それに要する堂塔伽藍道場等を供養し、或はみづから進んで神より選ばれたる聖使命を感得して、聖使命会員となるは、菩提心を起して己れ未だ度らざる前に、一切衆生を度さんと発願修行するもの、即ち誠に菩薩の位に進むものにして、その功徳能く無礙の実相、完全の相を生長せしむる基をひらくものなり、無礙の実相、完全の相が顕現するとき、自他おのづから悟りに転ぜらるるは勿論、その利益普く有情非情に蒙らしめて余すところなし。


 たとい過去の一家一門業多く重なりて悟りの障りとなるべき因縁ありと雖も、ひとたび聖使命を感得して菩薩の位に進むとき、その功徳あまねく無尽の法界に充満して、一門家族親族縁族の面々の悪業は消滅し、すべての罪因縁は解脱せしめられる。 如何に況や聖使命の菩薩自身の因縁をや ・・・・・ 』


 と、こういうふうにその霊魂に偈文を読み聞かせる訳であります。 ここに 『誠魂』 を納めた聖使命会員が生きていても、やがて霊界に往っても、この偈文も聖経読誦の功徳はつづくのであります。


 現世におろうと、霊界に行こうと人間の霊魂というものは善念を送られると栄えるのです。 その人に向けて 『甘露の法雨』 を毎日読まれると、倫敦にいても巴里にいても感ずるように、霊魂に移転して感ずる。 われわれの魂というものは物質を食べて生きているのじゃないのであって、念波を食べて生きているのであります。


 その念波が善念であり、真理の念波である場合には、その魂は栄えるし、悪い念波 ―― 怨みの念波、詛いの念波 ―― である場合には、その人の魂は衰え、その人の魂が現世に出ている時には不幸になるということになるのであります。


 だから、こういう讃偈を読んで頂いてから、その悟りの向上のために、続いて 『甘露の法雨』 を多勢で読んで戴くということになれば、これは素晴しいのであります。 その人の魂の向上のためには、この身が終ってからでも魂になってからでも、また現に生きている間だけでも、これは素晴しい功徳になる。

 
 これは毎日多勢の人が一緒に真理のお経を供養し、神想観して光明念波を送ってもらうことになっているのでありますから、忘れられるということはない、またここに来て、一緒に光明思念を送り、聖経読誦を供養して下さる人自身も、 『与えれば与えられる』 の法則によって大いに祝福されることになるのであります。





 もっとも、これを発案せられましたのは、此処におられます東京の誌友相愛会連合会長の山上新太郎先生であって、 『是非ともこういうふうにして戴きたい』 と聖使命会員の誠魂奉安筐を発願さられた。 

 そしてそれを奉安する時に奏上する偈文のようなものを書いてくれと、こう仰っしゃいましたので、大急ぎで書こうと思ってペンをとったらスラスラと思わぬ文章が書けたのがあの 『聖使命菩薩讃偈』 であります。

 そして先ず聖使命会員の誠魂を、自筆でしたためたお名前をこの寶筐に納めるときに教主先生にこの讃偈を読んで戴いてその誠魂に向って 『汝は聖使命菩薩である』 という名前をつけて戴いて、そしてその魂がいよいよ解脱を経て自由に活動し易いように幸福に祝福されるというふになっているのであります。

 本部内の人も、あるいは外郭団体の人も、信者の人も、信者でない人も、ともかくこの聖使命会に入って、そして魂が、多勢の信徒によって現実に毎朝祝福されるということは、古今未曾有の一大盛事だといわなければなりません。

終章 (8871)
日時:2013年05月31日 (金) 15時11分
名前:童子


 生長の家が満二十五周年のこの秋の大記念日を制して、こういう素晴しい行事が行われるという事は、実に画期的な出来事であります。


 この運動に一人でも多く参加下さいまして、多勢の人を、更に一層、勧請してわれわれの同志に入れていただいて、行く行くは二十四億の全人類が、ことごとく聖使命菩薩となり相互祝福運動の、この運動の恩恵に浴するようにして頂きたいものであります。


 私が生れて今年で満六十一年、数え年は六十二歳、明治二十六年の生れであります。 それをひっくり返すと六十二年になりますが、上からも下からも同じ年であります。 今日は又私達の結婚三十五周年記念日であります。 私の誕生日に結婚して、これを忘れないようにして置こうというので、特に誕生日を選んで私達は結婚したのでありますが、結婚というものは、今までの人間のいのちの状態が、新しい段階に飛躍して、新価値を創造する事であります。 


 この新価値を創造するこの日、この時、こういう聖使命菩薩の誠魂をお祀りして、新たにこの聖使命会員を聖使命菩薩として礼拝するということは、これまた、新しい価値の創造であると思われるのであります、


 皆さん、これから新しい菩薩としての位をもって、人類光明化に邁進せられんことを希望するものであります。  ありがとうございます。




 昭和29年11月 秋季記念大祭 御指導 速記録より 
                  於:生長の家本部大道場



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