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「神秘面より観たる生長の家四十年史」 ⑥ 大同の石仏の釈迦如来像の出現 谷口雅春先生著   (33)
日時:2012年08月02日 (木) 12時56分
名前:龍

   
    
     大同の石仏の釈迦如来像の出現     


 私が東京に移転して来た頃は、別に道場というものはなかったので、宮崎家から提供されたその家で、毎日午前と午後と二回誌友会が開かれていたのであった。

 それは小高い丘の上に茶室と離れ家が建っていたので、丘の下の宮崎氏の母屋の人たちは「お山」とそこを呼んでいたのである。今、人々が私の宅を「お山」と呼ぶのはその続きである。

 宮崎政吉氏は興業銀行創立の功労者で、同行の重役であり、東京都の各所に広く土地を所有していられる大地主であった。私は関東大震災で焼け出された続きで生活の余裕は出版のためばかりに使っていたので、室を飾る絵画もなかった。それでミレーの"晩鐘"やラファエルのマドンナが、幼いイエスを抱いている油絵の複製などを額に入れてかけてあった。

 その頃、青山五丁目に写真店を開業していた山本明氏が、嘗て支那大陸を旅行したとき、山西省の大同という処に有名な石仏の群像があったので、その中で最も神々しい聖(きよ)らかな容貌をしている釈尊の肖像だというのを撮影して来て、その原版をもっておられたが、誌友たちが集まる私の部屋には、洋画のキリスト系の油絵の複製みたいなものだけが壁に懸っているのを見て、「はじめて此の部屋に入ってきた感じでは、集まって来た人が生長の家はキリスト教かと思うおそれがあるから、生長の家は万教帰一の共通真理を説くところだと知らせるために、よい写真がありますから、引き伸ばしてもって来てあげましょう。」
 こういって、釈尊の石仏像の写真の引き伸ばしたのを、態々(わざわざ)額に入れて持って来て、壁にかけて下さったのであった。

 私たちの集まる部屋は隔ての襖を外して、八畳・六畳・六畳の室をぶっ通して使って、更に廊下にも人が坐っていたが、毎日集まる人が殖えて入りきらなくなったので、私は西側の縁側に籐椅子をおいてそれに掛け、その前に小机が置いてあった。

 私の頭の上の前方は、ちょうど縁側と畳の部屋とを仕切るための鴨居になっていて、障子は外してあるが、その鴨居の上に、山本明氏が寄贈せられた山西省の釈尊の石仏の肖像写真が懸っていた。

 ある朝、私は集まっていた人たちに何か話して、その話が一段落した時であった。私の前に坐っていた、頭が禿げていて髪をその上にまばらに梳(くしけず)っているので、年齢はよくわからないが、四十歳位に見える神士が、その鴨居の上の肖像写真を指さして、

「これは、どなた様のお写真でございますか」と尋ねるのであった。
「これはお釈迦さんのお写真ですよ」と私が答えると、その紳士は突然、意を得たとばかりに手を拍(う)って、嬉しそうな語調で、
「それで安心しました。よく解りました」と言った。
「何がよく解ったのですか?」と私がたずねると、その紳士は、
「実は私は富山県礪波郡安吉村の安吉教団の信者なのですが、その安吉教団の創始者安渓(たに)先生は素晴らしい霊覚者でありましたが、その先生が亡くなられる直前、私にこういうことを遺言のように言われた。

 "自分が死んでから数年経つと私と同じ教えを説く先生が出て来られる。お前はその先生に触れる機会を与えられるであろう。お前はその先生について教えを学ぶがよい"と。

 そして先生の死後数年経ちましてから、私は『生命の實相』を得て、読んでみますと、驚いたことに安渓先生のお説きになる教えと全く同じ教えが書かれているのです。

 そこでこの『生命の實相』を説かれる谷口先生こそ安渓先生が遺言せられた先生だと思い、精細に『生命の實相』を読んでみますと、"仏"とか"如来"とか仏教的に書かれたところもありますが、盛んに"神"という語がつかわれています。

 仏教では"神"といわないので、それに私は心が引っかかるのです。この辺の事を先生に直接お伺いしたいと存じまして、昨日夕方東京へ到着いたしましたので、先生のお邸へお伺いいたしましたところ、"今晩は九段の軍人会館で講演会がひらかれるので、先生はその方へ往っておられる。今からお出でになれば丁度前座の御話が終った頃で、先生のお話には間に合うでしょう"といわれるので、大急ぎでタクシーを雇って参りましたところ恰度先生のお話になる処でした。

 後の方の席から聴いていたのですが、今日は先生は直接、先生のお側で先生のお顔を拝せると思って、出来るだけ先生のお近くに来てこうして坐らせて頂いたのですが、さて谷口先生といわれる方の顔を見ると、昨日、軍人会館で講演せられていた人の顔とは異うのです。

 妙だなと思って、フト上を見ると、この肖像画が懸っている。そしてこの肖像写真の人が昨夜、軍人会館で講演されていたので、それで、この肖像写真のお方はどなた様かと思ってきいたのです。

 そしたら"お釈迦さま"だと言われて、"ああ、生長の家の教えはお釈迦さまが説教しておられるのだとわかりましたので、思わず安心して手を拍った次第です。」

 この人は梶喜市郎という人で、手を拍って悦ばれた瞬間、今まで一方の耳が聴こえなかったのが、突然よく聴こえるようになったといってお礼を言われた。

 この梶さんの体験を新潟市の講習会で話すと、新潟の信徒総代の高橋長久氏が、「私は梶さんを幼い時分から知っています。その耳は幼い時イロリに掛けてあった味噌汁鍋がヒックリ返って、熱湯の味噌汁が一方の耳に流れ込んで、焼けただれて聴こえなくなったのでした」といわれた。
 その後梶さんは非常に熱心になって、自分の住んでいる地方の誌友相愛会をしておられたが、近頃は消息をきいたことがないのである。

 この梶さんの体験をきいて感ずることは、生長の家の教えは、釈尊が私を媒介又は喇叭(らっぱ)として真理を説法しておられるのであり、私は唯の喇叭であるということである。そして梶さんは、霊覚が発顕して、私の肉体の背後にあって講話しておられる釈尊の霊姿を拝されたものだと解釈できるのである。

       (以上転載)




龍様 (11704)
日時:2012年07月28日 (土) 17時00分
名前:水仙(縹)

合掌 ありがとうございます

 お釈迦様に見えたというのは、初めて伺いました、
ありがとうございました。

 日蓮宗の人には、雅春先生のお顔が、日蓮に見えたそうですね。
神様は、応現自在なのですね。



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